トップへ

『四月の永い夢』朝倉あき×中川龍太郎監督が語る、同世代としての共感 「離れていることが美しい」

2018年05月11日 12:02  リアルサウンド

リアルサウンド

写真

 第39回モスクワ国際映画祭で国際映画批評家連盟賞とロシア映画批評家連盟特別表彰をW受賞するという快挙を成し遂げた、映画『四月の永い夢』が5月12日より公開される。3年前に恋人を亡くした27歳の主人公・滝本初海の穏やかな日常が、亡くなった彼からの手紙をきっかけに動き出していく物語だ。


参考:狂った野獣=小林勇貴の狂い咲きが始まるーー『全員死刑』を商業映画デビュー作に選んだ理由


 今回リアルサウンド映画部では、メガホンを取った中川龍太郎監督と、初海役で主演を務めた朝倉あきにインタビューを行った。作品が生まれた背景から、同世代である2人が共感するポイントまで、じっくりと語ってもらった。


朝倉「初海の中にどうしても自分が出てしまう難しさはあった」
ーー中川監督の親友が亡くなってしまったことから生まれた前作『走れ、絶望に追いつかれない速さで』と今回の『四月の永い夢』には共通性も見いだせますが、そもそもこの作品はどのような背景で生まれたのでしょうか?


中川龍太郎(以下、中川):もともとは素晴らしい役者さんである朝倉あきさんが主人公の映画を撮りたかったんです。最初は、朝倉さん演じる主人公がお蕎麦屋さんを立て直す話を作りたいと思っていて。


朝倉あき(以下、朝倉):それは今初めて聞きました(笑)。


中川:実はそうなんです(笑)。でもそれは前作『走れ、絶望に追いつかれない速さで』の企画の発端にもなった親友が亡くなる前のアイデアでした。彼が亡くなった後で、いろいろな企画や思いが一緒になって最終的に今回の形になったんです。『走れ、絶望に追いつかれない速さで』は、自分にとって距離の近い視点から作りたいという意識があったのに対して、今回は「朝倉さんが主人公の映画を撮る」というのがひとつの大事なテーマでした。なので、姉妹編のようなテーマには見えるかもしれないけれど、自分としては入口が違う企画なんです。


ーー“亡くなった人を巡る物語”という意味では共通していますよね。映画で“死”を描くことに対しての強い意思も感じたのですが。


中川:命のある限りはいろいろなものを撮っていけたらと思うのですが、確かに死がモチーフになるところは変わらないかなと思います。ありきたりですけど、やっぱり死というものがないと、今生きていることの輝きもないわけで。生きているものをそのままの姿で捉えることができるのが映画というメディアのひとつの特質じゃないかと思うんです。サイレント映画とか昔の映画を観ると、死んだ人たちの踊りを観ているような、不思議な気持ちになるんですよね。でも彼らがもうこの世にいないという事実によって、よりいっそう生き生きと見える時がある。映画は死のモチーフと相性がいいのではないでしょうか。演劇は、そこにある命みたいなものをいかにダイレクトに弾けさせるかが重要だけど、映画はいかに未来に残すかも大事で。この作品でも、朝倉さんは変わらず朝倉さんですが、この作品を撮ったときの朝倉さんはもういないわけで。物語の中で直接的に死が描かれていなくても、映画には死が横溢してる。それが自分が映画というメディアの好きなところでもあるんです。


朝倉:私は恥ずかしながらそういうことはあまりちゃんと考えたことがなかったですね。でも確かに、“死”によって、より生命力が感じられるというのは分かる気がします。誰かの死を感じてしまうと、自分もよりエネルギーを持って生きていかなければいけないと思ったり、より自分の生を如実に感じたりしますね。


ーー先日高畑勲監督が逝去され、朝倉さんがかぐや姫の声優を務めた『かぐや姫の物語』が高畑監督の遺作となってしまいましたが、この作品を経験した上で感じることもあったのでは?


朝倉:高畑監督はとてもお世話になった方ですし、このお仕事をしていく上でもたくさんのことを教えていただいた方でした。接する前ももちろんそうでしたし、接してからはなお尊敬できる方になったので、ある意味目標にしてもいいのかなとも思っていたんです。より忘れずにきちんと受け継いでいきたいなと。


中川:一緒にお仕事をした経験のある朝倉さんだから言える言葉ですよね。高畑監督の『おもひでぽろぽろ』のヒロイン(岡島タエ子)の年齢が27歳だったと思うのですが、その影響で今回朝倉さんに演じてもらった初海も27歳にしたんですよ。


朝倉:そうだったんですね!


中川:朝倉さんのことは以前から素晴らしい役者さんだと思っていたんですけど、より一層強い声が際立った『かぐや姫の物語』を観て、自我がはっきりしている声ってすごいなと感じたんですよね。表面的に出てくる知性や落ち着きと声のギャップがすごく魅力的だなと。それを撮りたいというのが自分の中でコンセプトとしてあったんです。ですので、他のキャストの方々は、朝倉さんの声との親和性を意識してキャスティングしたところもあるんです。


ーー朝倉さんは中川監督の思いをどう受け止めましたか?


朝倉:素直にありがたいなと思いました。非常に魅力のあるキャラクターと、とても共感のできる台本だったので、ぜひやりたいなと。そういう気持ちもありつつ、そう思っていただいてもうまくいかないこともあるので、こうやって実現して、今ここに至っていること自体が本当に良かったなと思います。


ーー思いを抱え込んでいる初海はそこまでセリフが多いわけではないので、難しい役どころですよね。


朝倉:意識をしているにしろしていないにしろ結局演じるのは私なので、初海というキャラクターの中にどうしても自分が出てしまう難しさはありました。ただ、監督がイメージしている透明感を大切にしたかったので、声でのお芝居に関してもなるべく自分が混ざらないようにしていました。意識していたわけではありませんが、今振り返ると初海とは少し距離を置こうとしていたように思います。


ーーポスタービジュアルにも使われている、桜と菜の花が同時に咲き誇った道を初海が歩いていくシーンが非常に美しく、強く印象に残りました。


中川:この作品はあのシーンありきでした。撮影は8月に行ったのですが、あのシーンだけは4月に撮らなければいけなくて。そのときはまだ脚本が改稿される前で、最初の段階のものだったんです。でも、桜と菜の花のシーンだけはどうしても撮りたかった。朝倉さんの白い肌と、黒い喪服と、桜のピンクと、菜の花の黄色。それがトラックバックしながら広がっていく。それはコンセプトとして、一番最初に思いついたシーンだったんです。あの場所を探すのはとても大変でしたけど。


朝倉:菜の花があるからこそ、桜もよりきれいに感じられるんですよね。現場にいても中川監督のロケーションに対するこだわりや、その場所の持つパワーを感じていました。その場にいる人が感じる感動がそのまま映像になるんだろうなという予感はしていたのですが、改めてスクリーンで観てみるとそれがうまく生かされていて本当にすごいなと驚いたんです。映像だけではなくて、キャラクターの物語に沿って美しい場所が引き立たされていたので、そこにも感動しました。


ーーちなみに、朝倉さんはこれまでの中川監督の作品に対して、どういうイメージを持っていたのでしょう?


朝倉:みんななんとなくは思っているけれど、はっきり形にしてこなかったことにスポットを当てて描こうとされている方だなと思っていました。それはなかなかできることではないですし、皆さんもう少し年を重ねてから普遍的なテーマに挑もうとするものなのかなと思っていたので、この若さでこれだけ何か伝わってくる作品を生み出せるのは、はっきりと中川監督ご自身の中で、きちんと言葉や形で答えを出す勇気があるからだと感じます。同じ世代としてエネルギーをもらえますし、そういう中川監督の熱に触れたら、私の中でもきっと何かが変わるかもという予感がありました。


ーー共感し合う部分もあったと。


朝倉:私は一方的にありましたね。そういうのを確認したことはないですけど……(笑)。


中川:僕も一方的にありましたよ(笑)。


朝倉:中川監督が作り上げた初海というキャラクターもそうですし、初海が染物工場で働く青年・志熊さん(三浦貴大)に出会って、彼の職場に行ってしまう感じも、私はすごく好感が持てたんですよね。


中川:これは世代が近いからなのか、自分の朝倉さんに対するシンパシーからくるものなのかわからないですけど、朝倉さんは自分の気持ちを熱く語る人ではなくて、僕はそれがすごく素敵だなと思っていて。感情を出すことや喋ったりすることは本来誰でもできることですけど、それを抑えること自体が若い世代の特徴みたいな部分もある気がして。世代で結ぶつけることもできますけど、役者さんとして、人間としての朝倉さんの魅力でもあると思うので、僕はそこに共感していましたし、憧れていた部分もありました。これまでの僕の作品は割と感情を出すものが多かったのですが、この作品は感情を抑制することを意識しました。それは世代としてもそうですし、人間としての朝倉さんへの共感があったからだと思います。


ーー最近は勢いのある若手監督が増えてきているイメージがあるのですが、その中でも中川監督はどこにも属さないというか、独自の路線を突き進んでいる印象を受けます。


中川:それはたまに言われますが、本来監督というものは分類できるものではないと感じています。監督をする以上は若いかどうか、どういう出自であるかは、少なくとも自意識のレベルでは全く関係ありません。


ーーなかなか強気な発言ですね。


中川:素晴らしい才能が同世代にいることは感じるし、それは世代が同じだからという言説とは別次元で良いことなんだと思います。それぞれが違うものを作っているわけなんであって、孤立した美しい島であるべきだと。学生の頃に映画祭で、石井裕也監督から「映画よりも大事なものがあるから映画を撮っているんだろ」と言われて、なるほどなと思ったんです。本当にそうだなって。映画を作っている人間ばかりと関わることで映画が目的化してしまうことを今は怖れたいと思います。


朝倉:私は結構同年代の方々を見るんです。“意識している”というとまたちょっと意味合いが変わってきますけど、私は未だに役者という仕事がちゃんと理解できていないので、周りの人がどういうふうにやっているのかとか、女の子ってどういう感じなんだろうかということは気になります。


ーー今回の撮影現場の雰囲気はどんな感じだったんですか?。


中川:この世で一番美しい言葉は“孤高”です(笑)。


朝倉:(笑)。私はちょっと寂しかったんですよ。意識していたわけではありませんが、あまり喋る気になれなくて。私はまんべんなく素敵なキャストの方々と関わる立場だったので、この機会にいっぱい何かをもらって帰ろうと思っていたんです。でもあまり話せなかったので……。


中川:僕はその感じが素敵だなと思ったんですよね。監督と役者の距離もそうだけど、役者さん同士が近すぎると、あまりいい気持ちになれないというか。離れていることが美しいと思うんです。だから自分も離れていたいところがあるし、役者さんに関しても離れている人が好きです。これまでご一緒させていただいたことのある池松(壮亮)くんも太賀も、ちゃんと孤立した精神を持っている人間でした。朝倉さんも三浦さんもそういうタイプで、ちょっと独特な場所にいる人たち。人と似ないということが実はすごく大事なことで、僕はそれがすごく素敵だなと思うんです。だから今後もそういう人を撮っていきたいと思っています。(取材・文・写真=宮川翔)