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『あなたには帰る家がある』は現代のホラー? 中谷美紀の姿に見る“完璧”という呪い

2018年05月05日 17:21  リアルサウンド

リアルサウンド

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「妻のつとめを果たさないくせに、要求ばかり、不満ばかり。何を被害者ぶってるの」
「なるほどね、浮気されたほうにも原因が……あるわけないだろーーーっ!」


 浮気した妻と、された妻。女として勝っているのはどっちか……とは、なんて悲しい闘いだろう。“された妻“の佐藤真弓(中谷美紀)と“した妻“の茄子田綾子(木村多江)の直接対決には、完全な勝者などいないのだ。異なるスタンスで妻を懸命に生きてきたふたり。共働きという形で家計を支え、もう一方は専業主婦として家族をサポートする。妻のつとめとは、その夫婦なりの正解があっていい。働けば家事は時短になる、家事に専念すれば収入は得られない。すべてを手に入れることなんて不可能だ。だが、人はどこかで完璧ではない現状を責めているのかもしれない。


 『あなたには帰る家がある』(TBS系)第4話は、それぞれの置かれているポジションによって正義が異なることを印象づける回だった。綾子と佐藤秀明(玉木宏)にとっては恋愛映画のワンシーンのように美しいもの。圭介(駿河太郎)にとっては真弓を傷つけないように黙っておくべきもの。自分も不倫をしている由紀(笛木優子)にとっては「それはそれ」と割り切るもの。太郎にとっては「されるほうに原因がある」と他人事。身近な人の不倫ひとつとってもこれだけの反応がある。人間関係は複雑だ。流れる川の水が、どこから湧いた水かなんて見極めるのが不可能なように、一つの事象には多くの人が作用し合って、誰かひとりを戦犯にすることはできない。


参考:木村多江、幸薄女から魔性の女へ 『あなたには帰る家がある』茄子田綾子役に滲む闇


 真弓に「カピパラ」「家族のことなんて何も考えてない」と言われたこともそうだが、職場の上司(藤本敏史)に「パワハラちゃうからね」とネチネチ言われ続けてきたストレスだって、秀明を不倫に走らせたひとつの要因かもしれない。家でも職場でも役に立たないような扱いを受けた秀明にとって「あなたといて幸せ」と言ってくれる綾子は、疲弊した日々の“癒やし“でもあるが、生きていていいという“許し“にも感じたのではないだろうか。


 プライベートも、仕事もそつなくこなして、朗らかで、美しくて、かっこよくて……そんな完璧な正解など本当はないのに、どこかで“それができていない自分“という呪いにかかっている。人間は、完璧ではない。だからこそ、その凹凸を個性だと感じて楽しみ、肯定してくれる相手を求める。その肯定感があれば、人は強くなれる。不倫に苦しめられている真弓が、不倫をしている由紀から「真弓はいい女だよ、今も昔も」と言われても、つい喜んでしまうように。


 不倫がバレた秀明が真弓に謝る姿を見て、「申し訳ない」とはなんだろうと改めて考えてしまった。きっと私たちは常に自分の言動に対して他者に、そして自分自身の良心に言い訳しているのかもしれない。その一方で、その大義名分は「本当はこうしたかった」という欲求のストッパーになっている。「結婚したから恋は引退」と思っていたことが、愛される喜びに触れて「恋は素晴らしい」「今のパートナーが相手じゃ癒やされなくてかわいそうだから」「浮気されるほうにも原因はある」という言い訳をする。だが、その言い訳は、自分の良心をごまかせても、他者には通用しない。魔が差すというのは、他者視点が見えないほど視野が狭まったときのことを言うのかもしれない。


「されるほうにも原因はある」という言葉は、現実を生きる私たちの耳にも聞こえてくる。「いじめられるほうにも原因がある」「セクハラされるほうにも原因がある」……加害者は悪い、でも被害者にも落ち度があったはず、と。そして加害者と被害者の喧嘩両成敗とはいかず、部外者によってどちらも断罪される傾向は年々強くなっているように思う。少しでも魔が差した人がいたら全力で吊るし上げる。みんなが正しく生きようと律する一方で、そのフラストレーションが魔が差す原因にもなっていたら……私たちは自分たちで負のスパイラルを創り出しているのかもしれない。そんなことを考えると、ますます本作が現代のホラーに感じる。私たちは、もっと許し合えるはずだ。そばにいてくれるだけで幸せだと愛を囁やけるはずだ。それができないと帰る家を失ってしまうのだと、家族と過ごす人が多いであろう週末に気づきを与えてくれる金曜ドラマだ。(佐藤結衣)