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木梨憲武、新しいヒーロー像を切り開く 『いぬやしき』原作と瓜二つの“普通のおじさん”

2018年05月05日 10:02  リアルサウンド

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 現在公開中の映画『いぬやしき』は、2014年から『イブニング』で掲載された同名漫画の映画化である。カルト的人気を誇る漫画『GANTZ』で一躍有名となった奥浩哉の作品であり、人物描写のリアルさと主人公達に起こる非現実的な事象が、読者を『いぬやしき』の世界へと引きずり込んでいく。そんな『いぬやしき』の実写映画化で、謎の事故に巻き込まれたことで、人ではない存在になってしまった主人公・犬屋敷壱郎を演じるのが木梨憲武だ。


参考:佐藤健の高校生役は29歳にして違和感なし! 『いぬやしき』や『半分、青い。』の演技を考察


 木梨憲武は原作の犬屋敷壱郎そのものの表情を見せる。原作で描かれる犬屋敷は年齢よりも老けてみえるため、配役が決まったとき、木梨では若すぎるのではないかと感じた人もいるだろう。しかし映画冒頭、背中を丸め、弱々しく家族と接する犬屋敷は原作の彼そのものだった。彼は家族にも会社にも煙たがられる。小さな声で「すみません」と繰り返す姿は観ていて虚しくなり、家族に意見することのできない様子はとても歯がゆい。末期ガンに罹ったという事実さえも、犬屋敷は家族に伝えることができない。悔しさから涙を滲ませる木梨の演技は、原作で小刻みに震えながら涙を流す犬屋敷そのものだった。


 その後、犬屋敷は謎の事故に巻き込まれ、人ではない存在となる。彼の体に起きた異変に対峙するとき、木梨はカッと目を開き、言葉にならない声をあげながら現実を直視する犬屋敷を演じる。コミカルさもある描写だが、ただのコメディ描写におとさない絶妙なさじ加減で演技をしている。人ではない体となり、その見た目は人をも殺傷しそうなほど物騒だ。しかし身体は変われど、意識は犬屋敷のまま。妻にその姿を見られないようにしたときには、体の見た目が理由ではなく、家族に疎ましがられないようにと「家族」を基準にして行動している。その絶妙な焦りを、木梨は持ち前のコミカルさと演技力で表現しているのだ。


 この物語は、犬屋敷と同様に事故に巻き込まれ、人ではない存在となった獅子神皓との対峙が描かれる。家族を基準に生活を続け、自分の力が人の役に立つと気付いた犬屋敷と違い、その力を憎むべき対象の殲滅に使う獅子神。佐藤健が演じる獅子神の目は犬屋敷と違い、人であることを自分から放棄している。


 しかし木梨演じる犬屋敷は、最後の最後まで人間の目をしている。獅子神の暴走を止めるため、同じような力を手に入れたにも関わらず、初めて対峙したときには説得を試み、なりふり構わず攻撃を仕掛けるようなことはしなかった犬屋敷。ヒーローとして獅子神に対抗する存在となっても、普通の年老いたおじさんにしか見えないのは、木梨が決してヒーローらしさを演じようとしなかったからなのではないだろうか。


 木梨は、最後まで犬屋敷壱郎という1人のおじさんを演じている。大切な家族を守るために、人ではない体で勝負に挑むシーンであっても、その演技は揺らがなかった。どんなに力をつけても、ヒーローには見えない。それが原作者・奥浩哉の描きたかった新しいヒーロー像なのだとしたら、木梨は適役でしかない。


 近年さまざまなヒーローを描いた映画が話題を呼んでいるが、その中でも犬屋敷は、「家族」を守るために力を発揮する、ある意味最弱なヒーローと言える。人々に称賛されることはない。しかし彼は自分の力を過剰評価することなく、自身が守った世界の中に再び溶け込むのだ。ただの犬屋敷壱郎として。映画の終わり、人ではなくなった犬屋敷を娘は優しく見つめる。そこにはいつも通り、うだつの上がらない彼女の父親がいる。木梨が最後に見せる表情もヒーローのそれではない。最初から最後まで普通のおじさんを演じきった木梨にしか、犬屋敷壱郎は演じられなかったということを証明していた。(片山香帆)