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監督が運転するタクシー“ソン・ガンホ”に乗り光州事件を追体験 『タクシー運転手』の普遍的な希望

2018年05月05日 10:02  リアルサウンド

リアルサウンド

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 『タクシー運転手 ~約束は海を越えて~』(17年)は素晴らしい作品だと思う。本作を手掛けたチャン・フン監督は、すでに『義兄弟 SECRET REUNION』(10年)『高地戦』(11年)といった快作を手掛けているが、ここにきてさらに進化し、新たな傑作を生みだした。


参考:「韓国の若い人たちの多くは、光州事件を深くは知らない」 『タクシー運転手』監督インタビュー


 1980年5月の韓国。タクシー運転手を営むマンソプ(ソン・ガンホ)は、とある儲け話を耳にする。「ドイツ人をソウルから光州まで連れて行けば、大金がもらえるらしい」マンソプは困窮しており、幼い娘にも苦労をかけていた。こんなおいしい話はないと、ドイツ人のピーター(トーマス・クレッチマン)を連れ、鮮やかな緑のタクシーで光州へ向かう。しかし、政府が情報統制をかけていたため、マンソプは知らなかった。彼らが向かう光州は、民主化を求めるデモ隊と、それを鎮圧しようとする軍隊によって、戦場になっていることを。


 本作は「光州事件」という実際にあった歴史的悲劇を題材にした映画だ。この事件は韓国が抱えるトラウマであり、手を出す以上、中途半端は決して許されない。しかし、本作はそんな難しい題材を多くの人が共感できる人間ドラマとして見事に映画化している。これは俳優たちの確かな演技力と、監督を務めたチャン・フンの力だ。


 いわゆる人間ドラマでは、観客に虚構のキャラクターを「自分と同じ人間だ」と認識させる必要がある。チャン・フン監督はその点が抜群に巧い。本作でいえば、たとえば食事の扱い。物語が劇的な展開を迎える前、「このソン・ガンホは貴方と同じ人間なのですよ」と示すかのように、必ず食事のシーンが入る。人種・性別・言葉・思想・文化の違いはあっても、必ず食事はするもの。この人として当然の行為の強調だけでも、ぐっとキャラクターへの親近感が強くなる。また、ソン・ガンホの猫背気味の姿勢も重要だ。これは過去作でも確認できるガンホの定番である(このガンホ猫背を見慣れているせいか、姿勢を正したガンホを見ると「シュッとしている!」とビックリする)。脚本上、序盤はほぼガンホの一人舞台と言ってもよい構成になっており、ここでのガンホの一挙手一投足が、やがて観客の意識を「自分と同じ人間」から、さらに踏み込んだ「私は今、ソン・ガンホだ」まで持って行ってしまう。観客は当事者の目線となって、中盤以降、すなわち光州事件へ投げ込まれるのだ。


 マンソプが旅先で出会う面々も同様だ。チャン・フン監督は細かい描写を積み上げ、彼らの人間味を強くしていき、その上でキャラクター同士の些細なやり取りを積み上げ、お互いの関係性を印象的なものにしていく。まずは乗客のピーター。マンソプは彼とたどたどしい英語でコミュニケーションを行う。この言葉の壁は、そのまま心の壁となる。絶望的な状況の中で、2人は次第に言葉を超えてゆく(ただし壁自体は無くならないのが心憎い)。そして光州に入ってから出会う学生のジェシク(リュ・ジュンヨル)。彼はピーターと逆で、マンソプと言葉が通じるが、気持ちの部分で壁がある。マンソプは普段デモのせいで道路を塞がれ迷惑している。そんなマンソプにとって、学生デモに熱を上げるジェシクは厄介な存在だ。そこに現れるのが光州のタクシー運転手テスル(ユ・ヘジン)である。彼はマンソプに最も近く、なおかつ光州の現実を知る存在として、4人の交流を促す潤滑油的な役割を果たす。


 テスルがマンソプ、ピーター、ジェシクを家に招いて、家族と食事を取るシーンは印象的だ。ぎこちない会話から、徐々に緊張が解れていく過程は実に丁寧。彼らは親友にはならないが、それなりに仲良くなる。この「それなり」の塩梅も絶妙だ。しかし、この宴の直後から、物語は本格的な悲劇へ向かっていく。すると、まるで本当に自分がその場に居合わせたような、強い怒りと悲しみを覚える。そして各々が各々の壁を乗り越え、心を一つにしたとき、映画は光州事件の追体験から一歩だけ飛躍し、感動的なクライマックスを迎えるのだ。


 本作はチャン・フン監督が運転するソン・ガンホというタクシーに乗って、光州事件を追体験する映画であり、同時に普遍的な希望についての物語でもある。ソン・ガンホを筆頭とする役者陣の演技と、チャン・フンの演出が本当に素晴らしい。笑って、泣いて、そして「もし自分がこうなったら?」と考えずにはいられない。観客の心の深部へ届く、新たな傑作の誕生だ。(加藤よしき)