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脇阪寿一監督「大切な一戦ですけど苦しいし、しんどい」。山田健二エンジニア急逝後、最初のレースに臨むWAKO’S 4CR LC500

2018年05月02日 17:51  AUTOSPORT web

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スーパーGT、WAKO'S 4CR LC500の脇阪寿一監督
スーパーフォーミュラ第1戦鈴鹿の決勝日にあたる4月22日に鈴鹿で急逝したチームルマンの山田健二エンジニア。スーパーGTでもWAKO'S 4CR LC500のエンジニアを務めていたが、今週末の第2戦富士では、WAKO'Sは山田エンジニア亡き後、最初のレースを迎える。チームのまとめ役でもある脇阪寿一監督に、現在の心境を聞いた。

「健二さんとは付き合いは長くはないですけど、自分がやりたい方向に対してすごく理解してくれて、動いてくれた。本当に辛くて、やりきれなくて。でも、悲しんでばかりいるわけにもいかないし、クルマを走らせなければならないし。それが健二さんが望んでいることだと言い聞かして、ここ(富士)に来ました」と、前向きな言葉を述べながらも、憔悴しきった表情を見せる寿一監督。

 訃報は、当日の朝に電話で聞いた。

「朝の7時頃に電話が掛かってきて、その時間に電話が来るということはなにかあったと思いましたけど、驚きました。いろいろなことを思い出して、健二さんなら『走れ!』っていうなと思って(大嶋)和也には『大変だろうけど、お客さんもいるしプロとしてちゃんと走れ』と伝えて、和也も話を聞いてくれました。そこからはショック、悲しさ、そして不謹慎かもしれないけど、チームとしてこれからどうしよう? と。頭の中で混乱して、何をしていいか分からなかった」

「ウチのチームは山田健二さんが作るクルマのスピードが基本軸にあって、そこでドライバーふたりをどう気持ちよく走ってもらうかが、自分の目指している方向だった。山田健二さんを失って、どうするのか? その日は朝から夕方まで、ずっと頭の中がぼーっとしていて、それからTRD、トヨタと連絡を取り始めました」と、当日を振り返る寿一監督。

 その後、さまざまな経緯を経て、DENSO KOBELCO SARD LC500の田中耕太郎エンジニアがWAKO'Sに電撃移籍することになった。シーズン中、しかも開幕戦を終えたばかりでの担当エンジニアの移籍は、前例が見当たらない。


「健二さんの件でいろいろ複雑な事情もあって、(田中)耕太郎さんがエンジニアとしてチームルマンに来てくれることにななりました。僕らとしては困っていた状況でこんなにありがたいことはないので、受け入れさせて頂きました。これも健二さんが作ってくれた機会だと思っています」

 好運にも後任はすぐに補うことができたが、心情的には寿一監督もまだまだ切り替えられていない。

「みんなは『チーム』と簡単に言葉にするけど、エンジニア、メカニック、監督、マネージャー、スポンサーの方にケータリングの方、みんないろいろな思いを持って、いろいろな苦しみを背負って、いろいろなストレスと戦いながらここ(サーキット)に来ている。それを全部ひとつの方向にまとめながらレースができると楽しいけど、今回はレースをすることが苦しいし、早く無事にレースが終わってほしい。亡くなったあとの最初のレース、なんとか健二さんに喜んでもらえる成績を出したいと思うけど、早く次に進みたい」

「前を向いて笑顔になるのが不謹慎になるのかもしれないし、正解がわからない。大切な一戦でなんとかまとめたいけど迷いがあるし、苦しいし、しんどい……。和也が表彰台の真ん中に立って天を指さしながら仰いでくれたら、吹っ切れるのかもしれないね」

 開幕戦の岡山ではレース終盤で見事な追い上げを見せて4位。今回の富士には22kgのウエイトハンデを搭載するも、クルマのポテンシャルは高く、チャンスはある。寿一監督をはじめ、チームルマンのスタッフ全員がさまざまな想いを抱いて、伝統の富士500kmレースに臨む。