サバイバルレースとなったF1第4戦アゼルバイジャンGPはルイス・ハミルトンが優勝、前戦の中国GPで勝利を飾ったダニエル・リカルドはマックス・フェルスタッペンとクラッシュし、無念のリタイアに。F1ジャーナリストの今宮純氏がアゼルバイジャンGPを振り返り、その深層に迫る──。
------------------------------------------
荒れるアゼルバイジャンGP、風に吹かれ、風と共に去ったのは昨年と同じ6台ものマシン。世界最速・最長の公道コースでのサバイバル戦だった。
ラスト3周だけトップに出たルイス・ハミルトンが勝利を勝ちとり、中盤から完璧にリードしたバルテリ・ボッタスは完走最下位の14位にダウン。パンク(バースト)の末に、市街の道端に消えた。
最後まで誰が勝つか分からないスリリングなレース、それが現実になった。異変はスタート30分前、ルコネサンス・ラップ開始と同時にあちこちで起きていた。
ゆるゆるとした速度で何台もがラインを外し、壁際まで滑った。風向きについてピット側から無線が頻繁にとびかう。コースはまるでアイススケートリンクのようだ……。
気象用語で言う強風(風速15M前後)が“風力5以上”で吹き付け、ビル風によって風向きも変化して建物が無いセクター3エリアは突風に近い。
空力性能に特化している今年のマシンは追い風や横風、斜め風に過敏な反応をする。全長5メートル50センチ、全幅2メートルの車体は揺さぶられ、ダイナミック・ダウンフォースのバランスは乱れる。
ここのフォーメーションラップはおよそ3分50秒。ウオーマーで温められたタイヤがその間に熱を失っていく。ラインをジグザグに変え、コーナーで何度ステアリングをこじっても駄目だ(キミ・ライコネンはこのフォーメーションラップ中に壁をこすったと言っている)。
誰も一つ目のコーナーで自分のレースを終えたくない。それくらいの理性はある。やや控えめに全員が最初の直角ターンを抜けた後に、低速でも密集状態のまま2から3コーナーで“ボディ・タッチ”が多発する。幅は2メートル、コース幅がとても狭い(小さなバックミラーでは隣もよく見えない)……。
バクーは3スタイルを混ぜて合成したようなコース。セクター1は昔のアメリカGP(フェニックス)交差点みたいな直角ターンだ。
セクター2は狭いモナコのような旧市街をすり抜ける。セクター3はモンツァの2倍距離にも匹敵するストレート。ある意味とても欲張りなレイアウトと言える。
過去2回のレースは6月下旬、ル・マン24時間のころにだったのに2カ月も早い早春に変わった。リゾート地の春はまだ肌寒い。
それでもタイムスケジュールは同じ夕方のまま、低温コンディションになるのは明らかだ(昨年決勝は気温27度/路面48度)。
風のせいばかりではなく、気温17度/路面27度のこの温度差が3回目バクーを難しく変えていった。冷えた週末のフリー走行でフェラーリもメルセデスもイニシャル・セットを全面変更、それくらい今年の“新たなバクー”に対峙せねばならなかった。
風×低温×バンプ×ダスティ(ゴミ)、フリー走行でのロングラン・データなど“目安”に過ぎない。タイヤ情況もPUエネルギー・マネージメントもたんなる参考値で、データエンジニアは迷った。
レースが始まると次々と接触、イエローフラッグ、さらにはセーフティカー導入の事態に。そこで懸念したのは全域にまだデブリが飛散したままで、強風によって路面に散らかっている情況である。TVカメラに映らなくても、ドライバーも視認できない小さなモノがあちこちにあるのではないか(僕は集中した)。
完璧にトップを走るボッタスが1コーナー手前で“犠牲者”になったのは49周目。
「右リヤのエアが失われている」と、一瞬遅れて僕は気付いた。デブリを踏めば内圧21・0(PSI)のエアが一気に抜けてバーストするのに、数秒もあれば十分だ――彼は“悪魔”を踏んでしまった。
慚愧のこの瞬間に彼は何を思い、よろよろと道端に止めたのだろう。たんなるリタイアではない孤立無援な“サドン・デス”。凄まじい第4戦の悲劇の主人公バルテリ・ボッタス。
その前に起きたレッドブル勢の1コーナー事件について。あの速度からやり合う二人のバトルはあの二人しかできない高度なプレーだった。
チーム・ポイントとしては損失でも、レーサー魂を理解するレッドブルにはこれからも二人を束縛せず、名門や大メーカーとは違う“モーターレーシング”のカタルシスをアピールして欲しい。
スタンドに飛び出さず、マシンも全損せずに止め、お互い怪我もせずに済ませたダニエル・リカルドの危機回避能力。もしわずかでも左右に動いていたらタイヤが絡みあい、宙を舞う大事故になるのを彼は未然に防いだ。それをマックス・フェルスタッペンは知るべきだろう。