2018年05月01日 10:32 弁護士ドットコム
東日本大震災による津波で犠牲となった宮城県石巻市立大川小学校の児童の遺族らが、市と県に約23億円の損害賠償を求めていた裁判の控訴審判決が、4月26日、仙台高裁(小川浩裁判長)で言い渡された。一審に引き続き、市や県の責任を認めた上で、およそ1000万円を増額して約14億3600万円の支払いを命じた。
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この判決では、児童が犠牲となった背景に、「学校は事前に津波避難場所を指定しておくべきだった」と危機管理マニュアルの不備を指摘し、一審では認められなかった「事前の安全対策の不備」について過失を認定した点が画期的だ。
日本全国の学校における防災体制は、改めて見直す事が求められることになる。どのような判決だったのか。これまでの経緯や遺族の声も含めて、詳しく紹介したい。(フリーランス編集者・渡部真)
2011年3月11日、14時46分頃に東日本大震災が発災。大川小学校では、地震発生から数分後に児童たちを校庭へ避難させ待機したが、津波襲来の直前の15時35分頃、校舎から直線距離で約150メートル離れている「三角地帯」を目指して避難を開始した。しかし、その数分後、「三角地帯」へと向かう途中で津波が襲来し、津波に流されながら生き残った児童4人と裏山に逃げた教員1人をのぞき、児童74人と教員10人が死亡・行方不明となった(現在も児童4人が行方不明)。犠牲児童の遺族23人が市や県を被告として提訴した。
2016年10月に出された一審判決では、原告である遺族側の主張に沿う形で学校側の過失を一部認める判決が出されたが、市と県は判決内容を不服として控訴。それを受けて遺族側も、市教委や学校に対して「事前の安全対策の不備」「事故後の対応の落ち度」について認められなかった点を改めて問いたいと控訴した。
今回の仙台高裁は、津波予見性について可能であったと認めた上で、遺族が訴え続けた「事前の安全対策の不備」について学校側の過失を認めた。一方で「事故後の対応の落ち度」の過失は認められなかった。
この判決のポイントは、大きく2つと言える。1つは、事故以前の防災体制の不備に対して市教委や学校の責任を追及した点。一審では「事前の安全対策の不備」に対して、学校側の責任が認められなかったが、仙台高裁は、当時学校運営の責任者あった柏葉照幸校長(事故当時外出中)、教頭(津波で死亡)、教務主任(事故当時に学校にいた教職員の中で唯一の生存者)の3人を名指しし、遅くとも事故発生の1年前である2010年4月時点で、大川小の実情に応じて危機管理マニュアルを改定する義務を負っており、市教委とともにその義務を怠ったとした。危機管理マニュアルが十分な安全性を考慮にいれ、最終的な避難場所として、学校から約700メートル離れ標高20メートルの「バットの森」を指定すべきだったと指摘。実際の危機管理マニュアルでは、「近隣の空き地・公園」と曖昧な指定しかされておらず、避難行動に対して不十分な記述しかなかった点を「不適切」とした。
その上でもう1つのポイントは、地震発生から津波襲来までの約50分の間に、学校が行った避難行動が適切でなかったとしている点だ。防災行政無線によって津波情報を認識した14時52分の直後に避難行動を開始し「バットの森」まで避難していれば、多くの犠牲を回避でき、児童たちの命が失われる事はなかったとした。
一審では、「遅くとも15時30頃に市の広報車の避難の呼びかけを聞いた時点で避難すべきだった」とされたが、それに対して仙台高裁は、さらに早い14時52分の直後に避難行動を開始すべきだったと指摘した。この判決は、当日に対応にあたった個々の教職員の過失を追及したというよりも、事前の防災体制の不備に関して市教委を含めて学校側の組織的責任を認めたものだ。
いずれのポイントも、大川小の「津波予見性」は事故発生前から予見可能であるとし、市や県が「津波予見性はなかった」とする主張を退けた。
遺族側の吉岡和弘弁護士は、この裁判で、2009年に施行された「学校保健安全法」を法的根拠にあげて、学校側を追及してきた。
「学校保健安全法という法律が単なる抽象的な規定ではなく、一人一人の子供たちを守っていくため具体的な規範を有する法律であることを明確にした点について、全国の学校安全を大きく前進させる判断だった。地震発生前の平時の段階で、市、市教委、校長、教頭、教務主任には安全確保義務があったにもかかわらず、それを怠ったと認めており、画期的な判決を勝ち取る事が出来た」
と、判決を高く評価した。
吉岡弁護士が「画期的」と言うように、この判決によって、日本全国の学校における防災体制は、改めて見直す事が求められる事になるだろう。
まず現状で、市町村が作成するハザードマップが地域の防災計画を組み立てる上で核となる「ハザードマップ依存」の実態がある。しかしハザードマップは、本来は一つの指針に過ぎず、必ずしも絶対的な情報ではないとされている。吉岡弁護士は「ハザードマップを安易に真に受けてはいけないと裁判所が認めた事は大きい」と指摘する。
「我々は、ハザードマップがいい加減であったことを強く訴えた。私は被害の当事者ではないが、このようないい加減なハザードマップを作った人間はどうやって責任を取るのか、声を大にして言いたい。ハザードマップを作って、この地域は安全ですよという口実に使われてきた」
震災直後から行政やメディアの中では「想定外」という言葉が繰り返し使われてきた。大川小の事故についても、「想定外の災害だったので仕方がない」という声は根強い。それに対しても吉岡弁護士は「むしろ想定内であった、想定しなければいけなかったと、高裁が認めたものだ」とし、想定外という言葉を安易に免罪符にする傾向も批判した。
このほかにも判決では、「校長らは児童を守るため、地域住民の平均的な知見に比べて、職務上の立場として、遥かに高いレベルの防災知識を収集・蓄積しなければならない」と指摘。「大川小学校のある釜谷地区では、地域住民が多くなくなっているため大川小の犠牲も仕方がない」という意見を一蹴した。さらに、地域の避難場所に大川小を指定したこと自体が誤りであるとも判断している。
事故当時小学6年生だった犠牲児童の一人、今野大輔くんは、地震発生後に待機させられたグランドで「先生、津波が来るから山さ逃げっぺ」「こんなところにいたら死んでしまう」と教師に訴えていたとされる。母親である今野ひとみさん(47歳)は、震災直後から「津波予見性はなかった」と学校側が主張するたびに、我が子が必死に訴えた「津波が来るから逃げよう」という言葉を否定されている気持ちになった。そんなひとみさんは、判決後の記者会見で「これでようやく『大ちゃんが言ってた事は正しかったよ』と報告できます」と涙ながらに語った。
父親である今野浩行さん(56歳)は原告団の団長を務めたが、判決前から緊張して足の震えが止まらなかったという。
「もしも負けてしまったら…。プレッシャーはすごかった。判決を聞いて涙がこぼれたが、市や県は、まずはこの判決を重く受け止めてほしい」と語りつつ、今後の市や県が上告する可能性を考慮して、緊張感を緩めないように身を引き締めていた。
会見後、大輔くんの墓前にどう報告するかを尋ねると、一瞬顔を曇らせて言葉に詰まり、数秒間の沈黙のあと「そういう質問が一番困るんだ」と口を開いた。
「この判決の内容を、そのまま伝えるしかないな。今日の判決で、学校側が事前にちゃんと準備してくれていれば、子供たちの犠牲はなかったと裁判所が認めてくれた。原告としてはありがたい。この判決を受けて学校の防災体制がかわって、これからの子供たちの命、未来の命は守られてほしい。でも、そのことは大輔にしてみれば、『だったら俺は、なんで死ななくちゃいけなかったの?』『なんでちゃんと準備して守ってくれなかったの?』って話になる」
子どもを失った親としては、判決によって子供たちが帰ってくるわけでないという悲しみを、これからも背負い続けなければならない。
遺族側は、「事故後の対応の落ち度」という主張が認められなかったものの、この判決を評価し現段階で上告は考えていないという。一方、宮城県の村井嘉浩知事は「今後の対応は石巻市の意向を最大限尊重して決める」という談話を発表、石巻市の亀山紘市長は、判決後の会見で「大変厳しい結果。上告するかは白紙」とした。
(弁護士ドットコムニュース)