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『THIS IS US 36歳、これから』は、山田太一、坂元裕二作品に通じる? 巧みな脚本を分析

2018年04月27日 12:02  リアルサウンド

リアルサウンド

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 自分が演じる役にほとほと嫌気がさしているイケメン俳優“ケヴィン”、定職に就かないまままずは“脱肥満”を目標として日々努力する女性“ケイト”、愛する妻と幼い2人に囲まれた幸せな家庭を築いているエリートビジネスマン“ランダル”。そして、最愛の妻・レベッカと愛する子供たちのために奮闘する良き家庭人“ジャック”。見た目も性格もいま置かれた状況もまったく異なる“36歳”の男女が、互いを思いやり、ときには反発し合いながら、それぞれのやり方で“人生の壁”を乗り越えようとする物語。


 主人公たちの年代は異なれど、どこか山田太一の『ふぞろいの林檎たち』を彷彿とさせる等身大の登場人物たちを描いたドラマとして、あるいは家族や兄弟の絆を描いた感動的な“ホームドラマ”として、『THIS IS US 36歳、これから』が、ここ日本でもジワジワとファンを獲得しつつあるようだ。


 胸を張って若いとも言えず、かと言って何かを悟ったりあきらめたりしたわけでもない……結婚、出産、仕事、あるいは親との関係性など、その人生においてさまざまな意味で岐路に立たされることの多い“36歳”の男女を描いた“群像劇”であり、なおかつ“ホームドラマ”であるという、この一風変わったドラマが本国アメリカで爆発的な支持を集め、なおかつここ日本でも愛されている理由とは、果たして何なのだろうか。


 本作に出演したのち、映画『ブラックパンサー』で物語の鍵を握る“キルモンガー”の父親役を演じるなど、その活躍目覚ましいスターリング・K・ブラウンをはじめ、有名無名にかかわらず、それぞれの“役”を等身大で生きた俳優たちの好演、些細な日々のなかで取り交わす感情の“交感”をていねいに描き出す演出、さらには主題歌を担当したスフィアン・スティーヴンスをはじめ、物語や情景とリンクしながら用いられる既存曲の効果など、このドラマのポイントは数多く存在する。


 しかし、そのなかでもとりわけ際立った“巧さ”をみせているのは、やはり脚本ということになるのだろう。一般的に脚本の“巧さ”とは、いくつかのポイントに分けて考えられる。最もわかりやすいのは、台詞そのものの“巧さ”だ。すなわち、印象的な台詞が数多くあること。昨今日本で高い人気を誇っている脚本家・坂元裕二(『カルテット』、『anone』など)は、その最たるものかもしれない。


 そして、次に挙げられるのが、構成の“巧さ”である。いわゆるプロットの面白さというよりも、そこではむしろエピソードの組み合わせ方や順番、描き方が、そのポイントとなってくる。そして、とりわけ連続ドラマの場合、最も重要になってくるのは、導入と結びの“巧さ”をはじめ、視聴者の興味を持続させる物語の推進力というべきものだろう。本稿では、この3つの観点から、『THIS IS US 36歳、これから』の脚本の“巧さ”について以下考察していくことにしたい。


※以降、一部ネタバレ要素を含みます


●登場人物たちの背後にある“”歴史


 本作の脚本の特徴として、まず挙げたいのは、その構成の“巧さ”だ。日本タイトルの副題にもあるように、“36歳”をひとつのキーワードとしつつも、実は本作のなかには2つの時間軸が存在する。いずれも“36歳”という年齢でありながら、ちょうど36年分の年月を隔てた2つの物語。ネタバレを最小限に留めながら言うならば、それは“過去”と“現在”の物語である。それを交互に描き出すことによって、視聴者は改めて目の前にある“現在”が“過去”の積み重ねの上に成り立っていることを知るのだ。


 そして、視聴者たちはいつしか目の前の人物や物事の奥底に存在する“深み”や“広がり”を想像するようになる。すなわち、その背後にある“歴史”を洞察するようになるのだ。「この人がこういう性格なのは、その過去と関係しているのではないか?」。本作を観ているうちに、視聴者たちはいつの間にか物事を一面的に捉えることをやめ、より注意深い洞察のもと眺めるようになっていく。そこがまず、本作の脚本の何よりの“巧さ”であると言えるだろう。


●視聴者を惹きつける推進力


 その脚本の“巧さ”として次に指摘したいのは、視聴者の興味を持続させる物語の推進力である。本作は、現在36歳となるケヴィン、ケイト、ランダルを中心とした“ピアソン一家”の物語である。けれどもそれは、ある家族を描いた“ホームドラマ”というには、さまざまな仕掛けが施されているのだ。たとえば、先述の2つの時間軸について、年代がテロップ表示されるなど、直接的に語られることはない。その時代背景や、会話の中に登場する人物の名前などをヒントに、視聴者のほうがそれとはなしに気づくよう、実に周到にエピソードが編まれているのだ。


 さらにそれとは逆に、ふとしたシーンで視聴者が疑問を感じるような“仕掛け”も、本作には多々用意されている。「おや? あの人は誰だろう?」あるいは「彼は、結局どうなったの?」。その“過去”を知る“現在”の登場人物たちにとっては当然の事実を、我々視聴者だけが知らないのだ。その2つの時間軸が交わる地点には、果たして何があったのだろうか。36年の空白を埋める出来事を、視聴者たちは徐々に知ることになる。その一方で、過去の時間軸では知り得なかった事実を、現在の時間軸で登場人物たちが突如知ることもある。そのあたりの作りというか視聴者の興味の惹きつけ方が、この脚本はとにかく“巧い”のだ。


●“会話”シーンこそが本作の見どころ


 もちろん、すでに多くの人々が指摘しているように、本作の大きな魅力のひとつは、その印象的な台詞の数々にある。そのなかでもいちばん有名なのは、「どんなに酸っぱいレモンでも、レモネードを作ることができる」という、人生の艱難辛苦に直面した登場人物に、ある人物が投げ掛ける言葉だろう。その出来事をどう捉えるかは、結局のところ、その後の自分たち次第なのだ。あるいは「死は存在しない。“君”とか“彼ら”とかもなく、みんなひとつなんだ。始まりも終わりもない。今があるだけだ」といった哲学的な台詞など。


 そんな“名言”的な台詞が登場する場面こそが、実は本作のいちばんの見どころなのだ。このドラマを観ていてすぐに気づくのは、一対一の会話シーンが、通常のドラマに比べて、とにかく多いということである。夫と妻、兄と弟、生みの親と育ての親、果ては妻と夫の母親から、たまたまその場で知り合った第三者に至るまで、その組み合わせのバリエーションが、本作には数限りなく登場する。たとえば、仲間睦まじく過ごしてきた夫婦が、“子供を持つこと”についてそれぞれの思いを爆発させる場面。あるいは、同じ家に育った同い年の兄弟でありながら人種も性格も異なる2人が、お互いに対する積年の不満をぶちまける場面。


 年代や性別はもちろん、人種や生い立ちの異なる2人が一対一の状況で率直にぶつけ合う言葉の数々は、きっと多くの視聴者の心に深く残ることになるだろう。さらに言うならば、そこで“言い捨て”のような形にならないのも、このドラマの大きなポイントのひとつだろう。最初は衝突した彼/彼女たちのやり取りは、多くの場合、その会話のなかで、それぞれの落としどころを見出すのだ。


●これは“わたしたち”の物語


 経済的な格差、あるいは世代の違い、果ては男女やセクシャリティをめぐる対立に至るまで、トランプ政権下のアメリカのみならず、ここ日本でも現在、さまざまなレイヤーにおける“対立”が顕在化しているように思う。その状況を目の前にしたとき、我々は果たして、どんな態度をとるべきなのだろうか。ネットで見かけた“誰か”の意見に与しながら、別の“誰か”を叩けば良いのか。違うだろう。その果てにあるのは“断絶”でしかない。むしろ、その“違い”を認めながら、それでも相手に歩み寄り、彼/彼女のことを理解しようとすべきなのではないだろうか。


 このドラマに登場する彼/彼女たちは、その“違い”を前にして、ただ呆然とするのではなく、いわんや敵意をむき出しにして相手を否定し排除することもなく、それぞれが精いっぱいのやり方で歩み寄り、お互いのことを理解しようとする。そう、『THIS IS US 36歳、これから』というドラマは、観る者すべてを含む“わたしたち”の物語なのだ。


 本国アメリカの人々はもちろん、我々日本人にとっても、いま最も欠けているものであり、最も求められているもの。それは、誰かの受け売りではなく、あくまでも“個人”対“個人”の状況で、とことんまで腹を割って話し合い、相手を理解しようと努めることなのではないのか。それを、このドラマは誰よりも地に足の着いたやり方で、そっと感動的に提示してみせるのだ。本作が、アメリカはもちろん、ここ日本で高い支持を得ている理由も、実はそのあたりにあるのかもしれない。このドラマを観た者は、誰しもがこう思うに違いないから。そう、これは“わたしたち”の物語なのだと。(麦倉正樹)