新幹線や高速バス、飛行機でリクライニングシートに腰かけたとき、「倒していいですか」と後ろに声をかけるべきか迷ったことはないだろうか。シートを倒す際の声かけは、マナーと言われるほど浸透しているわけではなく、個人の判断に委ねられている。個人的には、声をかけられたり、無言だったり、半々くらいの印象だ。
先日のはてな匿名ダイアリーに「新幹線とかで『倒していいですか』って言ってくる人」という投稿があった。「何なの。『駄目です』って答えたらどうなるの?好きに倒してほしい」という声かけ不要派が、不満げに疑問を投げかけた。(文:ツマミ具依)
「 一度断られたことがある。それを聞いてしまった上で倒す勇気はなかった」
「丁寧なお願いは、疑問系ってマナーを習ったけど。違うの?」
「許可求めてるのではなく予告の丁寧な言い方だよ」
不要派に賛同するコメントはほぼなく、必要派が声かけの意味や言い方をそれぞれ解説していた。まず、あくまでも倒すことを一言伝えているだけで、許可をもらうつもりではないという意見。たしかに、何事も「すみません」「失礼します」といった声かけがあるだけで印象が変わるように、一言あれば不快に思わずに済むことも多い。丁寧な声かけを心掛けた結果、疑問形になったようだ。
「今日『倒します』って言われた。問答無用かよって感じだな」
こういった声もあるように、ただ報告するような言い方は少々無礼な印象を抱かれるかもしれない。やはり疑問形で聞いたほうが気持ちよく対応してもらえそうだが、
「 一度断られたことがある。それを聞いてしまった上で倒す勇気はなかった」
と、断られるリスクも少なからずあるようだ。コメントを見る限りあまり多いケースではないが、下手に断られることを思うと、無言のほうがいいと感じる人もいるだろう。
「疑問形なので返事をしないといけない、これが一番プロにとっては面倒。だから俺は『イスを倒します』と言って相手の返事がなくとも倒すようにしている」
疑問形だと相手に返答させることになるため、その面倒さを省くためにも報告で済ますという人もいた。だが、前述のコメントのように「問答無用かよ」と思われかねない。スレッドを読むと、相手のことを思った行為も人によって抱く感情が異なると思い知らされる。
「倒すことの可否」ではなく「倒すタイミング」を聞いている
「『倒していいですか?』は後ろの安全確認のために聞いてるんだよ」
「テーブルにこぼれやすいもん置いてたり、倒したらぶつかる場所にうっかり大事な物を置いてたりするかもしれないから聞いてるのよ。つまり『倒すことの可否』を聞いているのではなく『倒すタイミングの適否』を聞いている」
声かけは相手に配慮すること以上に、安全性のために必要という意見もあった。無断で倒すと物や人にぶつかったり、座席テーブルに置いた飲み物をこぼしたりといったトラブルが発生する恐れがある。声かけの必要性に疑問を抱いたら、こういったトラブルのケースがあることを思えば、少し納得できるかもしれない。