トップへ

松江哲明が語る『ドキュメンタル』の革新性 「この番組には“笑い”しかない」

2018年04月20日 12:01  リアルサウンド

リアルサウンド

 10人の芸人たちが自腹の参加費100万円を握りしめ、芸人のプライドと優勝賞金1000万円をかけて笑わせ合う密室サバイバル『HITOSHI MATSUMOTO Presents ドキュメンタル』。2016年11月にシーズン1の配信がスタートすると、約半年ごとに新シリーズが登場。シーズンごとに異なる参加者たちの魅力はもちろん、シーズンごとに新ルールが盛り込まれ、多くのファンを獲得し続けている。なぜこれだけ多くのファンを『ドキュメンタル』は魅了し続けるのか。作品の大ファンを公言するドキュメンタリー監督の松江哲明氏に話を聞いた(編集部)


■どんなバラエティ番組にもない、独特の緊張感


 ドラマ・バラエティに限らず、まだまだ日本には配信オリジナルのコンテンツが定着していないと感じていました。決して配信コンテンツの質が悪いわけではない。ただ、AmazonやNetflixなどのオリジナルコンテンツが絶対的な支持を集めている海外と違って、日本にはまだまだ配信作品の存在が浸透していない。そんな状況の中、『ドキュメンタル』を初めて観たとき、「やっと日本の“配信番組”が誕生した」と思いました。


 多くの日本の配信コンテンツは、地上波でもレンタルでもなく、「配信でしか観られない」ことを売りにしていた部分があったと思います。テレビでは終わってしまった番組の配信版とか。でも『ドキュメンタル』が画期的だったのは、「配信でしかできない」ことをやってしまったからです。それは決してテレビや映画ではできない「過激なこと」をやっているという意味だけではなく、配信ならではの“時間の作り方”が『ドキュメンタル』にはありました。


 現在のバラエティ番組の作り方だと、次に何が起きるのか、どんなオチが待っているのかといった視聴者へのフリがあります。良く言えば親切、悪く言えば過剰な説明が入る。でも、『ドキュメンタル』にはそういった説明は一切ありません。だから、作品内で“停滞する”時間もあるんです。でも、それは面白くないから停滞しているのではなく、異常な緊張感が停滞を生み出している。バラエティ番組に出演している芸人も演出家も、当然テレビの前の視聴者を意識しています。でも、『ドキュメンタル』の出演者たちは、視聴者よりもまず、フィールドの中で“決闘者”として、同じ芸人を笑わすために全力を注いでいる。だから、あの空間の中でしか成立しない笑い、視聴者が置いていかれるような瞬間も当然あるんですが、それがこれまで観たどんなバラエティ番組にもない、独特の緊張感を生みました。そして、視聴者はジャッジをしている松本人志さんと同じ立ち位置で彼らを観ている。ある意味、配信という“一人向け”のコンテンツの正解はここにあったのかと。『ドキュメンタル』はありそうでなかったすごい発見だと思います。


■人間の本能のようなものを教えてくれる


 松本人志さんが手がけた『働くおっさん人形』(フジテレビ系)が僕はすごく好きだったのですが、今思うと『ドキュメンタル』の前身と言ってもいいかもしれません。”おっさん”を観察して、そこに生まれる空気と緊張感を楽しむ。日曜日の早朝というテレビでありながら他者と共有しづらいという時間帯も絶妙でした。バラエティ番組でありつつ、ドキュメンタリーならではの人間像の切り取り方が秀逸で、「会議室と数台のカメラだけでこんなにも面白い番組ができるのか!」と驚かされました。


 シーズン4が配信された後、プロトタイプであるシーズン0が配信されました。時間無制限で延々とその状況を映し出していく。やはり、それだけでは他のシーズンと比べるとイマイチ面白くならない。そこに制限時間という縛りを設けたのは非常に大きかったと思います。よく勘違いされるのですが、ドキュメンタリーはただあるものを撮っていく“記録”ではありません。伝えたいものを切り取ることがドキュメンタリーは重要なんです。『ドキュメンタル』には様々な仕掛けがありますが、限られた時間と狭い空間の中で、人間がどう変わっていくか、まさにメンタルを描くためには必要なのです。入り口はドキュメンタリーで、出口はメンタル、『ドキュメンタル』はまさに本作の真髄が詰まったすごいタイトルだと思います。『ドキュメンタル』を観たとき、面白いと感じると同時に「やられた!」と思ったのは、僕が意識しているドキュメンタリーのあり方が、そこに詰まっていたからなんです。


 シーズン1~4まで観て、一番心を動かされたのはシーズン4のくっきーさん。ちょうどドラマ25『MASKMEN』(テレビ東京系)でくっきーさんとお会いする機会が多かったのですが、こんな壮絶な戦いを経験してたのか、と尊敬しました。毎回くっきーさんが繰り出す宮川大助・花子師匠の写真ネタは苦しくなるほど笑ってしまうのですが(笑)、ご自身も相当なゲラだったりするところに“人間くっきー”が垣間見えるんですよね。耐えに耐えてあの死闘を潜り抜け、変化した瞬間が切り取られていて思わず感動しました。「人ってこんなに笑いを我慢できるんだ」とか「追い詰められると、こんなことをするのか」という知られざる本能のようなものを教えてくれる番組な気がしますね。


 『ドキュメンタル』のすごいところは、シーズンを重ねるごとに新ルールなどを加えてブラッシュアップしていくところにもあります。ネットもSNSもない時代は、評論家や識者の言葉が作品に対して大きな力を持っていました。でも、今は識者よりも視聴者のちょっとしたつぶやきや、書き込みレビューを意識しなくてはいけない時代になりました。テレビや映画の表現・発言が常に監視されているような状況の中で、非常に窮屈さを感じるときがあります。そんな時代の中で、『ドキュメンタル』は作り手も出演者も、みんながのびのびやっているように映ります。それでいて、視聴者の声を無視していない。まさに今の時代ならではの番組です。


■クリエイターとしての松本人志


 正直、『ドキュメンタル』で行われる過剰なパフォーマンスに、引いてしまう方も一定数いると思います。でも、そういった過剰さをカットするようなことがあれば、作品としての面白さは一気に損なわれてしまうでしょう。なぜなら、出演者たちの過剰な行動も、突飛なものではなくて、流れの中で必然的に起きたものだからです。ダレてしまったところ、やりすぎなところもしっかりと見せる、なぜこういう状況になっているかが視聴者もわかるから、その時間でも観ていられるんです。これはテレビでは絶対にできない、まさに配信だからこそ可能な手法だと思います。この番組には“笑い”しかありません。僕は今のテレビはニュースもドラマもバラエティの要素が入るようになり、すべてが画一化されたものになっている気がします。『ドキュメンタル』はそういったものとは対極の作りを行った非常にシンプルな番組です。言葉では簡単なのですが、これを実践できているのも松本人志さんのプロデュース力が大きいのだと思います。


「笑いを我慢する」というテーマ自体は、毎年恒例となっている大晦日の『笑ってはいけない』シリーズ(日本テレビ系)と共通しています。でも、『笑ってはいけない』と『ドキュメンタル』の最大の違いは、プレイヤーとしての松本さんではなく、クリエイターとしての松本さんの色が大きく見えるところにあると思っています。


 現在、地上波のバラエティ番組で独自の色がついている『水曜日のダウンタウン』(TBS系)や『アメトーク!』(テレビ朝日系)、『ゴッドタン』(テレビ東京系)などは、どれも名物ディレクターの色が垣間見えます。『ドキュメンタル』にはそういったディレクターの姿がいい意味で見えない。演出家・松本人志のもとでやってやるという覚悟が見える。松本さんを中心とした作り手たちの本気が、視聴者を魅了している要因になっていると思います。


 それにしても、まだ2年も経っていないのにもうシーズン5。いち視聴者としてはうれしい限りですが、こんなに早いサイクルで製作されていて負担が大きくないのかと心配になってしまいます(笑)。破壊と再構築を繰り返しながら、これからも進化を遂げ続ける『ドキュメンタル』を観ていきたいです。


(構成=石井達也)