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『ジュマンジ/ウェルカム・トゥ・ジャングル』から考える、アメリカ娯楽映画の状況と展望

2018年04月11日 19:31  リアルサウンド

リアルサウンド

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 ついに『ブラックパンサー』が、アメリカ国内興行収入で『タイタニック』を超え、アメリカ興行収入歴代3位にまでランクインした。非白人のキャストたちによる映画が、アメリカでここまでの成功を収めたのは前代未聞だ。


参考:『ジュマンジ』カレン・ギラン インタビュー “最高”だらけの経験や演技のルーツを語る


 『ブラックパンサー』の最大の特徴は、アメリカにおける黒人の歴史を踏まえた社会的な視点が全編に行き渡っているという点である。低予算ながら差別問題をホラーコメディーとして表現しスマッシュヒットした『ゲット・アウト』、差別構造のある社会で女性の進出を描いた『ワンダーウーマン』や『ズートピア』など、現在、ヒット作品の多くに「多様性」を強く意識した描写が見られる。それがヒットすることで、さらにそのような作品が増えていく。もはやアメリカでは、このような娯楽映画を観るということ自体が、大げさに言えば社会に対する、ある種の能動的な行為になりつつあるのかもしれない。


 しかし、今回紹介する作品は違う。本作『ジュマンジ/ウェルカム・トゥ・ジャングル』は、何も考えずに受動的に楽しめばいいアトラクションのような映画だ。自分の殻を破っていく成長物語というテーマは持っていても、遊園地の乗り物を乗り終えて、「楽しかったねー」と言い合って、その後ほとんど何も残らない類の作品である。観客を不安にさせるような深刻な問題も描かれないし、驚かせるような意外な展開があるわけでもない。とはいえ本作は2017年アメリカ国内の興行収入ランキングでは4位にランクインする快挙を達成している。


 先進的な娯楽映画がヒットするなか、一方でこのように潮流から逆行しているように思える作品がヒットするというのは、何を意味しているのか。ここでは『ジュマンジ/ウェルカム・トゥ・ジャングル』を検証し、その視点からアメリカの娯楽映画の状況と展望を考えていきたい。


 『ジュマンジ/ウェルカム・トゥ・ジャングル』は、1995年にヒットした、ロビン・ウィリアムズ主演のファンタジー映画『ジュマンジ』の設定をリニューアルした作品だ。『ジュマンジ』では、ボードゲームのなかで起きることが現実にも起きるというストーリーだったが、今回はTVゲームの世界の中に高校生たちが入ってしまい、現実世界に帰るためにゲームクリアを目指すという内容となっている。


 彼らはそれぞれ、自分とは異なる性質を持ったゲームキャラクターへと姿を変える。晴れの日にレインコートを着て外出してしまうナード(オタク)な男子高校生は、たくましさの極地といえるアクション・ヒーロー、ドウェイン・ジョンソンの姿をした冒険家に。授業中にも関わらず携帯電話で友達と会話する自己中心的な、セルフィー(自撮り)大好き女子高校生は、コメディー俳優ジャック・ブラックの姿をした地図専門家に。少々真面目過ぎるガリ勉女子は、モデルとして活躍しアクションもできる俳優カレン・ギランの姿をしたセクシー格闘家に。そして同級生に宿題をやらせる長身のアメフト部員は、小柄なコメディアンのケヴィン・ハートの姿をした、ヒーローの武器を調達するサポート役を引き受ける。


 4人の俳優たちはそれぞれ自分の見た目とは対極的なタイプの高校生を演じることになる。とりわけ楽しいのは、自分のタフな見た目や腕の太さにうっとりとして優越感を味わうドウェイン・ジョンソンと、高飛車でガーリーな言動や態度をとり続けるジャック・ブラックだ。95年の『ジュマンジ』では、『ジュラシック・パーク』で話題となったILMの視覚効果による、動物たちが街を暴走し、ゾウが乗用車を踏みつぶすシーンなどが話題となった。その要素を引き継いで、サイやカバの暴走シーンを用意した本作では、もちろんこのような描写が当時と同じように、驚きを持って迎えられることはない。本作の面白さの中心となるのは、あくまで高校生の内面を演じる俳優たちのアナログな演技にあり、むしろCGやセットを駆使したジュマンジ世界のビジュアルは、ありきたりで牧歌的ですらある。


 異世界に旅立ち試練を乗り越えることで、それぞれが自己の問題を克服し大事なものを手に入れるというのは、アメリカの児童文学を代表する『オズの魔法使い』でも描かれ、ファンタジー要素を持ち込んで成長を描くという物語のひとつのかたちとして、多くの映画に影響を与え定番の設定になっているといえる。同時に、ティーン版の『インディ・ジョーンズ』といえる冒険映画『グーニーズ』(1985年)や、居残りクラスで普段対話をしない学生たちがふれあい成長を成し遂げる『ブレックファスト・クラブ』(1986年)などの要素を本作は持っている。


 そこで注目すべきは、本作が「80年代」の空気を積極的にとり入れているという部分であろう。80年代にヒットした、ガンズ・アンド・ローゼズの「ウェルカム・トゥ・ザ・ジャングル」が劇中曲のみならずタイトルにも使われていることから、この試みはかなり意図的だ。それは、本作の作り手が参照する、95年の『ジュマンジ』という作品自体が、じつは80年代的な感覚で作られたものだったからであろう。


 90年代といえば、クエンティン・タランティーノ、リチャード・リンクレイター、ケヴィン・スミスなど、インディーズの映画監督が台頭してきた時代であり、青春映画『リアリティ・バイツ』(1994年)が、当時の若者世代の空気を切り取った映画として、一つの象徴となっていた。本作では、『ジュマンジ』の記憶を喚起させるために、『リアリティ・バイツ』の劇中曲「Baby, I Love Your Way」(本作ではビッグ・マウンテンによる90年代のカバー曲を使用)を持ち出しているが、その頃には『ジュマンジ』のような作品は、すでに前時代的なものだとされていたのだ。


 80年代のアメリカ映画は、政治的に保守的な空気の中で、表層的な享楽を追うポップな作品が多く作られ、娯楽として定着していた。社会問題や自意識の問題を個人的な視点から描く90年代的といえるテーマは、そんなポップへの反動であったといえる。本作が作り出すのは、いまではすでに「ヴィンテージ」となった80年代ポップが象徴したイメージである。それは、同じく80年代の時代を郷愁とともに再現した『ストレンジャー・シングス』や、『IT/イット “それ”が見えたら、終わり。』、『スパイダーマン:ホームカミング』のような、より直接的なイメージを投影した作品とも共通する。


 では、なぜそういったイメージを持った作品が支持されるのか。それは、社会的な視点が強く反映され、洗練され複雑化する映画作品が増えたことへのさらなる反動でもあるだろう。本作の持つシンプルな表層性は、それが理解しやすいからこそ、世代を超えて楽しめるものなのだ。


 しかし、80年代のイメージを掘り出すことで娯楽映画を成立させるという手法は、裏を返せば自分たちの世代の“オリジナル”が生み出せていないということでもある。観客が求めているものは、けして「80年代的なるもの」に限定されているというわけではないだろう。それが面白いと感じるから惹きつけられているに過ぎないはずだ。とはいえ、80年代に現在の観客の求める「何か」があることは確かだ。その核となるものを発見し抽出することができるなら、「80年代」という重りを取り去って、娯楽映画はもっと新しく、幅を持ったものになっていくのではないだろうか。(小野寺系)