僕は貧乏人だ。慢性的にお金がない。理由は簡単で、収入よりも無駄な支出が多いためだ。支出を抑えれば人並みの生活はできるが、しかし僕は悲しいオタク人間。毎月複数の怪獣や妖怪の人形を買わないと、食事も喉を通らないほど衰弱してしまう。
お金があれば、土地も技術も企業も、人の心すら買える
先日、2ちゃんねるで「金があってもできない事ってある?」というスレッドを発見した。ちょっと考えてみたんだけど、基本的にお金があってもできないことってそうそう多くはない気がする。
お金がある方が、ないよりも色んなことを堪能することができる。貧乏人にはできないことを、金持ちはできるのだから、お金の量というものは物事を追求する上で大きな推進力になる。
スレッドを見てみると、たとえば「不老不死は無理だな」とか「100メートル9秒台で走るのは無理だ」みたいな、小学生みたいな意見が目立つ。
恐らくだけど、スレ主が言いたいのはそういうことじゃないと思うんだよね。大喜利を見たいと思ってのスレ立てではなくて、それより、人生を歩む上で貧乏人では到底無理なことを金持ちが楽々こなしていく様子を見ていった上で、「ではお金を持っている人間にできないことって何だ?」というような疑問が沸いてしまったように思える。
お金があることの最大のメリットは"買える"ことだ。世の中には様々な物品に値段がつけられる。お金さえあれば、土地も技術も買える。企業、人心すら買うことができる。
ゲーム内で億万長者になっても現実で億万長者になっても、広く捉えれば同じかも
人によっては「お金があっても、本当の愛は知り得ないんだよ」みたいな意見を真顔で提示するかもしれない。が、本当の愛とかいう正体不明なものを確実に手に入れた確証なんて、お金の有無に関わらず主観でどうにでもなってしまう。だからそんな意見は参考にはできない。
スレッドを読み進めていくと、お金の万能性は人間社会の枠組みありき、という弱点を指摘する声もチラホラ見かける。いくつか紹介したい。
「金は社会を前提とするので社会がなければ何にもできん 社会が機能してる場合に限りできる事がある程度のモノだよ」
「生老病死 仏教の四苦からは金では逃れられない 逃れる方法は悟りのみ」
人間というのは説明するまでもないけど、社会性の動物で、自分たちのコミュニティを構築して、そこで通用する容姿、肩書き、お金を使って生きている。でもその枠組みを一旦外されれば、お金があっても意味はない。
社会が機能している間はお金があれば無敵だけど、しばしば社会って崩壊するものだ。そのときだけはお金があってもできないことが山のように増える。
それから、仏教用語を引用している意見もある。生老病死(しょうろうびょうし)とは四苦。生まれる苦しみ、老いる苦しみ、病に倒れる苦しみ、そして死んでこの世から消える苦しみを指す言葉だ。
僕には僧侶の友人が何人かいるが、彼らもしばしばこの用語を引用しつつ「人生に究極的な意味は個人レベルではそう多くない」と話す。
いくらお金があっても、生老病死の定めを覆すことは難しい。一つの病に打ち勝ったところで、他にも様々な病はある。そうして抵抗しているうちに老い、そしてお金にまみれて死ぬ。
お金はたしかに万能。でもそれは社会においてだけのもの。広く解釈すれば、ゲームの中で億万長者になることと、人間社会で億万長者になることって、大局的にはさして変わらないのかもしれない。