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フェスは“一体感”と“個の欲求”の両立を可能にするーー円堂都司昭による『夏フェス革命』評

2018年04月11日 15:02  リアルサウンド

リアルサウンド

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 今年も夏の音楽フェスの出演者が続々と発表され、さて、どのステージで誰を観ようかとあれこれ想像するのが楽しい季節になってきた。こういう時期に読むといいのが、音楽ライター兼戦略コンサルタントであるレジーの著書『夏フェス革命 ー音楽が変わる、社会が変わる ー』(2017年12月/blueprint)である。


 多数のアーティストが次々に演奏するフェスは、古くから存在する。ただ、現代的な形での夏フェスの隆盛が、フジロックフェスティバル(1997年が第1回)を起点としているという見方は、多くが共有しているだろう。1999年開始のライジング・サン・ロックフェスティバル、2000年開始のサマーソニックとロック・イン・ジャパン・フェスティバル、そしてフジロックの4大フェスが継続開催され、他にも各地で様々なイベントが立ち上げられたことで、日本のフェス文化は作られてきた。『夏フェス革命』は、このフジロック以降の歩みを考察している。


 日本の成人年齢が20歳から18歳へとかわろうとしていることを考えれば、4大フェスはいずれも誕生から「大人」になるほどの時間が経過している。フェスのバブルはいずれ弾けるといわれてきたが、一過性の流行には終わらず、夏の定番レジャーとして根付いた印象がある。理由について本書の著者は、フェスの提供する価値に着目しつつ、「協奏のサイクル」が成立したからだと述べる。


 フェスは、出演者、環境(衣=グッズ・ファッション、食=食事、住=立地やインフラ)、参加者間のコミュニケーションという3つの価値を提供している。4大フェスの初期には出演者の豪華さが呼び物だったのに対し、年月を経るにつれ他2つの比重が大きくなった。それは、主催者側だけの意向によるのではない。顕在化していなかった価値にユーザーが着目して新たな遊びが創出され、それに企業側も対応することで当初想定とは異なるファンベースの拡大、新たなユーザー層や楽しみ方の取り込みがなされた。そのようにフェス参加者と企業が連携する「協奏のサイクル」が、フェスを作ってきたと本書は解説する。


 食事の充実やファッションへの関心の高まり、SNSの普及で参加者間のやりとりが容易になったことなどが「協奏のサイクル」を作ってきた。また、SNSを利用する際にはネット上で自分をどう演出するかを考えることになるが、「フェスは「自分が何者か」を示すための使い勝手の良い道具となった」。著者は、フェスの掲げる「参加者が主役」というスローガンは、SNSを通して具現化されたと指摘する。さらにハロウィンやサッカーの日本代表戦など、他の社会現象にも「協奏」を見出し、それらとの対比でフェスをとらえもする。


 4大フェスの初期から今まで主催者側がどんな姿勢を示し、メディアがフェスをどのように報じたか、多くの情報を参照して歴史を再検証している。「音楽に詳しい人向けのお祭り」から間口の広いレジャーに移行し、「恋愛要素もある夏のイベント」へ変化した軌跡が、説得力のある形で記述されている。


 例えば、DJブースで同じ曲ばかりがうける「アンセム文化」や、四つ打ちで盛り上げるバンドの増加。これらは、フェスの変化として語られてきた現象である。それについて本書は、音楽マニアではない参加者が増える状況で、一体感を生み出すためにその手段が選ばれたと現象の必然性を描き出している。


 フジロック以降のフェス文化史をよくまとめており、今後、フェスについて考える際の足がかりとなる本である。ここでの議論を過去との対比で考えることもできるだろう。


 本書ではフジロックとロック・イン・ジャパンの初回が悪天候のため途中で中止になった点が、結果的に後によい反面教師になったことが語られている。そもそも大規模フェスのイメージの原形ともなっているウッドストック・フェスティバル(1969年、アメリカ)は、40万人以上の観客を集めたものの会場は大混乱だった。「愛と平和」を掲げて大勢が集まる高揚感があった半面で、衣食住への配慮がなかった。SNS以前の昔なのでスピーディな情報共有もできない。その混乱によってイベントが伝説化したところもある。


 一方、現在のフェスは参加者をただ集めるだけなく、会場内の複数ステージや飲食スペース、プレイスポットにいかに分散させるかを計算している。集合と分散のバランスをとった環境が、大勢で盛り上がる一体感と自分を演出したい個の欲求の両立を可能にしているのだ。本書に読んでそう思い当たる。


 また、『夏フェス革命』で興味深いのは、「プラットフォームとしてのフェス」というとらえ方。著者はプラットフォームとは「複数のプレーヤーを集めて顧客と繋ぐ場」であるとして、フェスにAmazonや楽天、iTunesを有するAppleなどと同様の機能を見出す。そのうえで『夏フェス革命』では4大フェスのなかでも特にロック・イン・ジャパンに注目して議論を進める。そこで思い出すのは、同フェスを主催するロッキング・オンの社長・渋谷陽一が、『メディアとしてのロックンロール』と題した評論集を過去に出版していたこと。


 同社が邦楽誌『ROCKIN’ ON JAPAN』を創刊する前で、洋楽誌『ROCKIN’ ON』の同人誌的色彩がまだかなり強かった1979年の本である。ロックの先端がパンクからニューウェーブに移り、DIY感覚のインディーズ系バンドがマニアに評価された時代だった。同書には『ROCKIN’ ON』創刊の経緯も書かれていたが、渋谷にはDIY型のメディアとしてロックと自分の雑誌を重ねてみる感覚があったと思う。


 それから約40年後、ロッキング・オンは雑誌よりフェス運営が主となり、SNSというメディアに取り巻かれたロックは「プラットフォームとしてのフェス」に見られる多彩な音楽のなかの一傾向になった。『夏フェス革命』から、そんな推移を想起して感慨を覚えた。


 本書はネットのライブ配信、VRやARの活用の可能性に触れ、プラットフォーム上位時代の行く末に思いをはせたところでエンディングとなる。未来のフェスを模索するうえでも多くのヒントがつまった内容だ。


 本書をめくり返しあれこれ考えをめぐらせつつ、今年も夏フェスを待ちたいと思う。(文=円堂都司昭)