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『THIS IS US 36歳、これから』が熱狂を呼んだ理由 全米大ヒットの背景を読み解く

2018年04月10日 18:21  リアルサウンド

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 アメリカのテレビ局3大ネットワークといえばABCとCBSとNBC。21世紀に入ってからはFOXも加えて一般的に4大ネットワークと言われているが、中でもNBCは世界で初めてカラー放送を始めるなど、最も由緒あるネットワーク局として知られ、現在も『トゥデイ』『サタデー・ナイト・ライブ』『サンデー・ナイト・フットボール』をはじめとする国民的人気番組をいくつも抱えている。


参考:全米大ヒットドラマ『THIS IS US 36歳、これから』、5月12日より字幕版放送決定


 もっとも、他のネットワーク局と同様、近年ドラマに関しては、視聴者のターゲットを絞ることによって刺激的な題材に躊躇なく取り組むことができるケーブル局やインターネット動画サービスが次々に送り出すドラマに押され気味だ。また、NetflixやAmazonが多くの作品で採用している「全エピソード同時配信」「エピソードごとに長さも違う」という方法は、ビンジ・ウォッチというドラマの新しい視聴スタイルを定着させると同時に作り手側の自由も拡大させて、テレビドラマの作り方そのものに大きな影響を及ぼしている。


 そんな状況にあって、2013年に放送開始された『THE BLACKLIST / ブラックリスト』(現在アメリカではシーズン5が放送中)以降、これといったヒットドラマに恵まれていなかったNBCが、久々に送り出した大ヒットドラマが『THIS IS US 36歳、これから』だ。つい先日(3月13日)、アメリカではシーズン2の最終回放送を終えたばかりだが、シーズン1に引き続いて全米視聴者数も批評家からの評価も高い水準をキープ。シーズンを追うごとに人気も質もパワーダウンしていくことが少なくないネットワーク局ドラマだが、今のところ『THIS IS US』はそうしたサイクルとはまったく無縁のまま視聴者を虜にしている。


 『THIS IS US 36歳、これから』が成功した最も大きな理由は、ケーブル局やインターネット動画サービスといった新しい環境を得て創作的な自由を謳歌してきた、言い方を換えれば、誰もが「これまで見たことがない」ような変化球的ドラマを追い求めている現在のテレビドラマ界にあって、なんの衒いもなく「ヒューマンドラマの感動作」というど真ん中ストレートの球を思いっきり投げ込んだことにある。それは、先鋭的、革新的なテレビドラマが次々と生まれている今、一歩間違えれば「時代遅れのドラマ」のレッテルを貼られかねないリスキーな賭けであったはずだが、『THIS IS US 36歳、これから』はその賭けに勝ってみせたのだ。


 『THIS IS US 36歳、これから』でショーランナーを務めているのはダン・フォーゲルマン。ピクサーの『カーズ』、『カーズ2』の共同脚本や、ディズニーの『塔の上のラプンツェル』の脚本を経て、日本ではあまりヒットはしなかったものの、出色のラブコメ作品として映画ファンの間で高く支持された『ラブ・アゲイン』で実写長編映画の脚本を初めて手がけた脚本家/プロデューサーだ。スティーヴ・カレル、ライアン・ゴズリング、エマ・ストーン、ジュリアン・ムーア、マリサ・トメイ、ケヴィン・ベーコンと実はさりげなく『ラ・ラ・ランド』の主演カップルも含んでいる『ラブ・アゲイン』のキャスト陣は、7年前の公開タイミングでも十分に豪華なものだったが、今となってはまさに夢のような顔合わせ。強烈なキャラクターたちがひしめくその作品で、それぞれのキャストの新しい魅力を引き出していたのが、脚本のダン・フォーゲルマンと監督のグレン・フィカーラ&ジョン・レクアだった。


 実は、『THIS IS US 36歳、これから』の主要エピソードの脚本と監督は、その『ラブ・アゲイン』とまったく同じ組み合わせである。「笑い」と「泣き」のバランスは二つの作品で異なるものの(『ラブ・アゲイン』は「笑い」に、『THIS IS US 36歳、これから』は「泣き」に重点がある)、群像劇の中ですべての主要キャラクターに活き活きとしたリアリティを吹き込む、その手際の見事さは共通している。ピクサー&ディズニー仕込みの精巧なストーリーテリングと卓越した演出力。テーマはシンプルだが、異なる時間軸や地理的距離のある登場人物たちが平行して描かれる、重層的な物語の構造を持つ『THIS IS US 36歳、これから』は、現在のアメリカのエンターテインメント界における最前線、最高峰の叡智が注ぎ込まれた作品なのだ。


 映画との関連性において、もう一つ、興味深い指摘をしておきたい。『THIS IS US 36歳、これから』で描かれる親世代、子世代の家族が体現しているのは、ジェンダーにおいても、人種においても、アメリカの西海岸及び東海岸で生活する人々に典型的なリベラル的価値観と言っていいだろう。ドナルド・トランプが大統領に就任して以降、映画界では『スリー・ビルボード』、『ローガン・ラッキー』などを筆頭に、アメリカの中西部(ラストベルトなどとも呼ばれている)や南部に住むブルーカラー層に焦点を当てた秀作が続いている。言うまでもなく、ハリウッドのマジョリティはリベラル層だが、だからこそ、自分たちとは異なる価値観を持つ保守層(トランプに投票した人々)をフィクションの力を借りて理解しようとする動きが目立っているのだ。


 『THIS IS US 36歳、これから』は、いわばその逆方向からの検証だ。つまり、「トランプの時代」だからこそ、トランプ的価値観と対立している自分たちの足元をもう一度見つめ直すこと。アメリカ都市部のホワイトカラー層においてリベラル的な価値が当たり前になっていった親の世代(80年代)から現在にかけて、自分たちは何を見落としてきたのか? 何を切り捨ててきたのか? 2時間の映画ではなく、1シーズン10エピソード前後の作品が多いケーブル局やインターネット配信サービスのドラマでもなく、ネットワーク局のテレビドラマならではの週に1回というペース、1シーズン18エピソードというボリュームで、『THIS IS US 36歳、これから』はじっくりとそのことを問いかけていく。きっとそれは、時に苦々しさに満ちたものでもあるだろう。アメリカの視聴者が『THIS IS US 36歳、これから』にこれほど夢中になっているのは、まさにそこに「自分たちの姿」(≒THIS IS US)を見出しているからなのかもしれない。(宇野維正)