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「こんなに悔しい3位は初めて」HOPPY 86 MC坪井翔が涙を流した理由

2018年04月10日 17:21  AUTOSPORT web

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スーパーGT第1戦岡山で3位表彰台を獲得したHOPPY 86 MCの松井孝允と坪井翔。坪井は悔しい思いを殺して笑顔をみせていた。
4月8日、岡山国際サーキットで開催されたスーパーGT第1戦の決勝。両クラスとも優勝争いは激しい戦いが展開されたが、GT300クラスの優勝争いは終盤まで25号車HOPPY 86 MCと18号車UPGARAGE 86 MCの2台で争われていた。マザーシャシー同士の戦いはUPGARAGE 86 MCの勝利に終わったが、レース後、HOPPY 86 MCのスタートドライバーを務めていた坪井翔は、悔しさのあまり涙を流したという。

 1995年生まれの坪井は、カートからジュニアフォーミュラにステップアップし、2015年に初代FIA-F4チャンピオンを獲得。16年からは全日本F3選手権に参戦する一方、17年にはGT300クラスにデビュー。JMS P.MU LMcorsa RC F GT3をドライブし、2勝を挙げて一躍注目を集めた。

 そんな坪井はその速さを買われ、今季土屋武士監督率いるつちやエンジニアリングに加入。「今年はドライバーとして成長している(土屋監督)」という松井孝允のパートナーに抜擢された。オフのテストから、ライバル勢が戦々恐々とするスピードを見せつけ、フォーミュラの感覚で乗れるHOPPY 86 MCに坪井自身もフィット。開幕戦となる岡山は、優勝候補の一台だった。

 4月7日に行われた公式予選では、Q2で雨が降り出したこともあり5番手。ただ、Q1では坪井がトップタイムをマークしており、土屋監督の期待に応えていた。5番手ならば十分優勝が狙えるポジションだ。

■堂々たるトップ争いを繰り広げた坪井
 迎えた8日の決勝。坪井はスタートドライバーを務めた。序盤、GAINER TANAX GT-Rの安田裕信やHitotsuyama Audi R8 LMSのリチャード・ライアン、TOYOTA PRIUS apr GTの嵯峨宏紀らと激しいバトルを展開し、堂々たるトップ争いを展開する。タイトな岡山で繰り広げられたバトルは、大いにファンを魅了した。

 29周を終え、坪井はピットにマシンを戻す。松井にステアリングを託しHOPPY 86 MCはふたたびコースに戻っていった。当然ながら、マザーシャシーの“お家芸”とも言えるタイヤ無交換作戦が採られており、松井は各車がピットインを終えてみると首位に浮上している。

 ただ、マシンを降りた坪井がモニターに目をやると、後方からは同じマザーシャシーで無交換作戦を採ったUPGARAGE 86 MCが近づいていた。「18号車がすごい勢いで迫っているのを観て、だんだん僕の雲行きが怪しくなっていきました」と坪井はあることに気づいた。

 追っていたUPGARAGE 86 MCの小林崇志は、レース後の優勝記者会見で「マザーシャシーはダウンフォースが強いので、前にピタリとつけているとタイヤを消耗してしまう。25号車はアウディとかとやり合っていた」と分析している。

「前半スティントを担当した中山友貴選手は前と間隔をとって、タイヤを労ってくれていた。そこが勝敗の分かれ目だったのかな……と思います」と前半の中山の走りを評した小林の分析は、当たっていた。昨年までのレクサスRC F GT3とは異なる、MCならではの戦い方を、坪井はできていなかったことに気づいたのだ。

 松井は57周目までなんとか小林の揺さぶりをしのいでいたが、ダブルヘアピンでGT500をうまく使われ、ついにUPGARAGE 86 MCが先行した。さらに松井にはスヴェン・ミューラー駆るD'station Porscheが急接近。為すすべもなく抜かれてしまう。

「周回を重ねるごとに、『早く終わってくれ……』という気分でした。本来は松井選手にもっと楽をさせたかった。それが僕の仕事だったはずなのに、できなかったのが悔しくて……」

 松井がなんとか表彰台圏内を守り切りチェッカーを受けた瞬間、坪井は自然と悔し泣きしていたという。

「こんなに悔しい3位は初めてです」

■人間は成功と失敗で成長していく
 後半スティントを担当した松井は「タイヤが厳しいというよりも、単純にペースが遅かった。25号車にずっと課題としてある『一発は出るけど決勝が弱い』部分はちゃんと持ち帰らないといけません」と坪井について触れることはしない。

 しかし土屋監督は、この日のレースについて「今日は坪井のレースだった。いいところも悪いところもね」と振り返った。

「坪井には『もしオレが乗っていたら、今日は優勝していたよ。それも余裕でね』と言った」

「レースでいちばんにチェッカーを受けるために何をするべきかを考えながら走るのがベテランの、プロの技。だけど、お前はレーサーだった。抜いてきたし、リードも築いてきた。でも優勝はできなかったよね、と」

 坪井は序盤、トップ争いを展開していたものの、後半松井が小林を防げるだけのタイヤのライフを温存できなかった。土屋監督が2016年最終戦でやってみせたとおり、ポジションを落としてでもタイヤを温存し、後半に繋ぐことが無交換作戦の“キモ”だったのだ。

 ただ勝利のために、坪井に無線で「争うな」と伝えることはしなかったのだろうか? 今回は特に上位争いは混戦で、2~3ポジションを落としてもトップとの差は大きくは広がらなかったはずだ。それを問うと、土屋監督はこう答えた。

「もちろん無線であれこれ指示することはできたけど、言わなかった。スポンサーさんやファンの思いを考えたら、勝つためには言った方が良かった。でも、ウチの目的は若いドライバーを育てることなので、『こうしろ』とは言わない。事前に作戦も伝えているけど、“レーサー”は抑えられない」

 土屋監督は、坪井の将来、そしてシーズンでチャンピオンを獲得するために、坪井にあえて悔しい思いをさせたのだ。ある意味“荒療治”とも言える。

「ちゃんとコントロールしないと、こういう悔しい思いを経験するんだ……というのが、坪井にとっての今日いちばんの収穫。やっぱり人間は成功と失敗で成長していくから、僕たちがしゃしゃり出ちゃいけないんだよね。それは鈴木恵一師匠の教えなんだけど」

「今日は、楽しかった。ドライバーふたりに信頼を託すことができたから。みんなも残念がったけど、目を腫らして観ているんだよね。そんなレースが開幕戦からできたのが、良かったなって」

■「いま弱いところが分かって良かった」
 頭では分かっていても、目の前にライバルが現れ、バトルを展開するシーンになってしまったら、どうしても戦ってしまうのが土屋監督いわくの“レーサー”の性。特に、これまでフォーミュラで育ってきた坪井にはなおさらだろう。

 ふたりひと組で戦い、300km以上のレース距離をマネージメントしながら、かつバトルも展開しなければならないのがスーパーGTの難しさ。特にマザーシャシーはストレートスピードが厳しい状態のときが多く、バトルになればそのダウンフォースを活かしコーナーで勝負しなければならない。ただ、それではタイヤを“使って”しまうのだ。

「本来、開幕戦で表彰台に乗れていればいい流れにはあるので、3位は喜ばしい順位だと思うんです。スーパーGTではなおさらですよね。でも、終わった瞬間はただただ悔しかったです。はっきりと自分のいいところと悪いところが見えてしまったので、なおさらですね」と坪井は開幕戦を振り返る。

「逆に、いまそれが分かって良かったかもしれませんね。F3に活かせるところもあると思うし、上のカテゴリーに上がる前に、いま経験できて良かったという……という気持ちに切り替えられました」

 まだ正式な発表はないが、坪井は次戦富士でGT500クラスのDENSO KOBELCO SARD LC500をドライブするはずだ。そして、坪井にとって今年はタイトルを必ず手中に収めなければならない全日本F3選手権の開幕が迫っている。

「GTの開幕では悔し泣きでしたが、今年はF3で嬉し泣きする予定ですから」

 薄暗くなったパドックで顔を上げ、照れくさそうに笑顔をみせてくれた表情は、またひとつ成長を感じさせてくれたような気がした。