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二重性を持ったジェニファー・ローレンスが本領発揮 『レッド・スパロー』が描く女性の復讐と自立

2018年04月05日 14:52  リアルサウンド

リアルサウンド

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 2010年アメリカで、あるスパイ事件がセンセーショナルに報道された。核弾頭開発計画の情報を収集していたロシアのスパイが、FBIによって逮捕されたのだ。しかもその逮捕されたアンナ・チャップマンは、女性の魅力で男性から情報を引き出す美女スパイだった。


参考:ジェニファー・ローレンス、『レッド・スパロー』と近年のスパイ映画との違いについて語る


 男をたらしこむ女スパイといえば、第一次世界大戦中に暗躍したマタ・ハリが有名だが、現代にもそういうスパイが存在して、実際に活動していたという事実に驚かされる。スパイ活動自体の是非はともかくとして、国家がそのような仕事を自国民に与えていたというのは、人権の面で大問題だろう。だが一方で、まさに“映画のような”この事件は、一種のロマンをかきたて、人々の好奇の対象となった。


 ジェニファー・ローレンス主演の、本作『レッド・スパロー』はスパイを題材に、このような時代錯誤的でエロティックなファンタジーを扱った映画だ。ここでは、そんな本作の要素や、ジェニファー・ローレンスの魅力を検証しながら、描こうとしているものをあぶり出していきたい。


 ジェニファー・ローレンスといえば、10代の若者たちが独裁国家によって殺し合いゲームをさせられる、近未来サバイバル映画『ハンガー・ゲーム』の主人公、カットニス役でブレイクした俳優だ。カットニスを演じ始めた当初、彼女はすでに成人していたが、その容姿には確かに10代の少女のようなあどけなさを残しつつ、殺し合いゲームで生存し、権力者を打倒する革命に加わるような説得力がある。純粋なイメージと、相反するたくましさとを併せ持っているのだ。『ハンガー・ゲーム』シリーズの興行的な成功の大きな理由は、作品の内容が必要とする条件に、ジェニファー・ローレンスが絶妙に合致していたということが大きかったように思える。


 では、そんな二重性を持った彼女を活かす役柄とは何だろうか。それがアンナ・チャップマンを想起させるような、ロシアの美女スパイだったというのは、なるほどと思える。20代も後半に差し掛かり、年齢なりの妖艶なゴージャスさが増したジェニファー・ローレンスは、いまだほのかに残るあどけなさによって男性を狂わせるキャラクターとして、おあつらえ向きだといえるだろう。


 ジェニファー・ローレンスと同じ1990年生まれの有名なハリウッド女優といえば、エマ・ワトソンとマーゴット・ロビーがいる。どの角度から見ても、一部の隙もない完璧な美しさに見える彼女たちに比べ、ローレンスは野暮ったく見える瞬間が何度もある。だが、一方でハッとさせる美しさを見せることもあり、その危ういバランスが、彼女の印象を多面的で複雑なものにしている。確かにアンナ・チャップマンもまた、正統的な美人というよりは、愛嬌のあるタイプである。このように警戒心を解くような力を持つ女性が巧妙に男性に近づき、求めるものを先回りして与えれば、狂わされて機密を漏洩してしまうということは容易に起こり得るだろう。


 本作の見どころの一つは、ジェニファー・ローレンス演じるロシア人女性ドミニカが、生活のためにスパイになることを決め、「スパロー・スクール」で、男を喜ばす様々な方法を伝授されるところだ。“スパロー”とは雀(すずめ)を意味する言葉だが、これは国家のために「ハニー・トラップ(色仕掛け)」で情報を探り出すスパイを指す隠語であるという。劇中では、イギリスのベテラン俳優シャーロット・ランプリングがスクールの指導者を演じている。


 本作の基になった原作小説は、ジョン・ル・カレやイアン・フレミング同様に、実際に諜報機関で働いていたという、元CIAのジェイソン・マシューズによって書かれているが、そのマシューズによると、“スパロー”は実在し、「スパロー・スクール」もカザン市に実在するのだという。カザンといえば、「2018 FIFAワールドカップ」開催都市の一つであり、日本代表のベースキャンプ地でもある。ジェイソン・マシューズの発言をそのまま鵜呑みにすることはできないが、アンナ・チャップマンの例があるように、そのような人材を養成するスクールが存在するというのは、考えられないことではない。


 主人公ドミニカを非人道的なスパイの道へ誘うのは、諜報機関に務める叔父だ。この叔父を冷酷に演じるマティアス・スーナールツは、ロシアのウラジーミル・プーチン大統領そっくりに見える。フランシス・ローレンス監督は、この憎たらしい役にプーチンのイメージを投影しているわけではないと発言しているが、観客からすると、KGBのエージェントであったプーチンを、やはりそこから連想せざるを得ない。この点は、暗黙的な了解をするべき部分であろう。


 問題は、本作がロシアのスパイ活動を非人道的なものだと描きながら、アメリカ側のCIAのスパイ活動を、人道的でフェアなものだと描いているところだ。劇中ではロシアの諜報機関が、二重スパイ容疑者を監禁し、水責めや殴打、睡眠の剥奪など、あらゆる残虐な拷問を行う場面がある。だが、それらの拷問は全て、ジョージ・W・ブッシュ政権下においてCIAが尋問の中でやっていた行為であり、そのことは報道によって明らかになっている。その事実を紹介せずに、ロシア側の残虐さだけを強調した本作は、明らかに公平さを欠いたものであることは確かである。これは元CIAの著者が書いた原作の政治性に、映画版が引っ張られ過ぎてしまったといえる。


 また、劇中に登場するロシア人たちが、ロシアなまりの英語を使っているというのは、ロシアを舞台にしたハリウッド映画の伝統的な娯楽映画の手法とはいえ、古い時代の作品への取り組み方であるということも否めない。ちなみにジェニファー・ローレンスは、このために4か月にわたってロシアなまりのアクセントを覚えたのだという。


 本作は、やがて『ハンガー・ゲーム』のように、人権を奪う政府に反抗する、女性の復讐と自立の物語へと変貌を見せ始める。本作が“現代性”を取り戻すのは、ここからやっと、というところであろう。そして、ジェニファー・ローレンスの演技はそこから一気にたくましさを取り戻し、本領を発揮することになる。本作の真の見せ場は、誇りを奪われた人間が、それを奪い返していく過程にこそあるのだ。(小野寺系)