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心霊スポットで「幽霊を見た」という話が伝聞ばかりなのはなぜ? 「これは親戚が~」「私の友達の友達が~」ばかり

2018年04月01日 09:51  キャリコネニュース

キャリコネニュース

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僕は幽霊の存在は信じていない。未だにばっちり意識が覚醒しているときに、「これぞ幽霊」と思しきものに出会っていないからだ。

人の知覚なんて意外と信用ならない。昔から「幽霊の 正体見たり 枯れ尾花」という言葉があるように、見間違い、見当違いが関の山だとされている。僕も同感だ。(文:松本ミゾレ)

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「私のいとこの友達が経験した、本当の話です」なんて絶対ウソだろ!

先日、5ちゃんねるに「心霊スポットで本当に心霊現象に遭ったやつっていないよね。いつも伝聞ばかり」というスレッドが立った。スレタイに全てが集約されているので、意図するところはきっと皆さんもすぐに理解したことだろう。

世間にはびこる数多の怪談は、その多くに「これは僕の父親が遭遇した話なんだけど」とか「私のいとこの友達が経験した、本当の話です」みたいな出だしが入る。

大半は自分が遭遇した"体"ではない、伝聞の怪談が多い。もちろん中には自分の実体験を語る人もいるけど、とにかくこのスレッドの趣旨としては、心霊スポットで実際に心霊現象に遭遇した人なんかいないのでは? なのである。

この心霊現象という括りも、ちょっと広い。人によってはそのものズバリな幽霊に遭遇することを指すのだろう。あるいは、ちょっと頭がクラクラするとか、車で心霊スポットに向かう際に多少のトラブルに見舞われた程度のことを、心霊現象に該当すると考えるかもしれない。

考え出すとキリがないが、どっちみち実際に幽霊に遭遇した話を展開するにしても、自分以外の誰かの体験談として話をする人はたしかに多い。

「いや、確かに幽霊を見た!感じた!」ネットで吹き上がる幽霊実在論…

幽霊なんていない。だから大抵は伝聞口調で本人に責任のない作り話。僕はそう考えている。ところがスレッドを見ていくと、結構幽霊の実在を主張する意見も多かった。いくつかそんなコメントを紹介してみたい。

「『あそこは呼ばれるんだよ。絶対通らない様にしよう』と決めてたのに通ってしまった事がある。その後は猛烈な頭痛と嘔吐。二度と近寄りたくない」
「上野の国立科学博物館で子供を見た。友達二人で見たから多分そうだろう。普通の子供に見えたけど通り抜けられない壁を抜けて消えた。消えたことに気付いたのも、何気なく友達と消えた方向に歩いて行ったら当然そこに通路が有ると思ったら無かった。そこで初めて二人でビックリした」

「自宅マンションの屋上で雨の日に彼女とイチャコラしてたら電気がショートしたみたいな音。確かめたけど何もなし。萎えてエレベーターで下まで降りたら、一階で降りた後に誰もいないエレベーターの中から思いっきり『ガーン!』て蹴られた 」

一応、今回のテーマである「伝聞」の枠から外れた、当事者の体験談を意図的に選んでいる。読み物としてはこのような話は大好きだ。でもあくまでも読み物。僕はやっぱりこれだけで信用することはできない。

それより強く感じたのが、生きている人間が一番恐ろしいということだ。このスレッドを読み進めていくと、妙な陰謀論を長々と主張している人やら、同じ言葉をコピペして病的に荒らしまくっている人なんかが目に付いたからだ。

こういった、目的不詳の怪行動をやっている人間って、絶対にこの世に実在しているだけに、幽霊の何倍も怖く感じてしまう。

古典的な怪談でも、幽霊よりも一番怖いのは人間というオチを取り入れているものがある。生きている人間のおかしな言動ほど不気味なものはないのだと、きっと何百年も昔から言われていたのだろう。