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坂元裕二の休息はテレビドラマ史の節目となる 2010年代における功績を振り返る

2018年03月31日 06:01  リアルサウンド

リアルサウンド

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 先週、放送が終了した『anone』(日本テレビ系)だが、脚本を担当した坂元裕二が自身のInstagramで、「これにてちょっと連ドラはお休みします」と発表した。


 4年前から決めていたという。この報告を見た時、あまり驚きはなかった。むしろ、『anone』を見終わった後だと、とても納得できる。


参考:坂元裕二(@skmtyj)Instagram


 偽物をテーマにした『anone』は変幻自在の脚本が話題となったが、視聴率の面では苦戦した。視聴率の良し悪しだけで作品を評価するつもりはないが、本作にはどこか、今まで坂元裕二のドラマを愛好してきた視聴者を拒絶しているようなところがあったように感じる。


 それは、物語冒頭で阿部サダヲが演じる持本舵が、余命僅かの自分に対して医者が言う、名言の連呼にげんなりして、「名言怖いんで」と言わせるところに強く現れていた。


 坂元裕二のドラマは台詞の評価が高く、放送が終了するとSNS上では劇中で発したセリフの名言集が作られ拡散される。特に『anone』の前作『カルテット』(TBS系)はその傾向が強く、先が読めないミステリアスなストーリーと相まって、SNS上で盛り上がりを見せた。


 しかし、そうやって劇中の台詞が、ストーリーから切り離されて、心地良い名言として拡散されていく状況にもっとも苛立っていたのは坂元本人だったのではないかと思う。


 台詞は、単体で独立したものではなく、どういう状況で誰が言うかによって印象が大きく変わる。例えば、『それでも、生きてゆく』(フジテレビ系)というタイトルは、震災直後だったこともあり、当初は前向きな意味に見えたが、実は殺人犯が抱えている殺人衝動を抱えたまま生き続けなければならない自分自身に対する自己憐憫の気持ちを現したものだとわかった瞬間、言葉の意味が全く違うものとなり唖然とした。これが台詞の印象が語り手によって変わることを一番わかりやすく表していた例だろう。


 名言の話はあくまで一例だが、偽物(=フィクション)と言うテーマを描いた結果『anone』には、坂元裕二の作家としての葛藤が他の作品に比べて強く出ていたように思う。


 特に『カルテット』が誤解に近い形でヒットしてしたことが尾を引いているように見えた。嘘から始まった弦楽四重奏の4人の関係も、『anone』の偽札で繋がった偽物の家族の関係も基本的には同じものだが、受ける印象は後者の方がより暗くて重い。


 『カルテット』が近年の坂元裕二作品の中でも異例の熱狂を持って受け入れられたのは、あそこで描かれた4人の関係が視聴者にとっては「誰も傷つかない優しい世界」として現実に対するシェルターのように受け入れられたからだ。おそらく坂元裕二にとって、あの世界は偽物の関係だからこそ美しくみえるのだという前提があったのだろう。それはフィクションだからこそ描ける美しさだと言い換えても良い。


 しかし、わざわざ「これは偽物ですよ」というエクスキューズを繰り返した『anone』には、最後まで居心地の悪いものがあった。普段は裏方に徹して視聴者の夢に奉仕していた脚本家が、自分の気持ちを大声で話しだしたような作品だった。


 テレビドラマの脚本執筆を休むと決めていたから、自己言及的な作品になったのか、偽物というテーマに引っ張られた結果、自己言及的になったのかはわからないが、こういう手品のネタバラシをするようなドラマを書いてしまった後で、すぐに新しい物語を書くというのは簡単なことではないだろう。だから「しばらく休む」と知った時はむしろ安心したくらいだ。


 最後に2010年代における坂元裕二の功績について書いて本稿を終わりにしたい。


 坂元はキャリアの長い脚本家で、1991年に大ヒットした『東京ラブストーリー』(フジテレビ系)、向田邦子賞を受賞した2007年の『わたしたちの教科書』(フジテレビ系)など、その時代ごとに代表作を送り出してきた。しかし、本当の意味での作家としての全盛期は2010年に発表された『Mother』(日本テレビ系)から今年の『anone』までの8年だろう。それくらい、この8年間の作品は傑作が多いと同時に単純な完成度を超えた問題作に溢れていた。


 特に『それでも、生きてゆく』以降は、震災以降の日本の現実を描こうとしたことで、テレビドラマはここまでできるのだ。という指標を示し続けてくれた。


 『東京ラブストーリー』のような大ヒット作こそないものの、彼の作品はドラマファンや同業者の間で常に注目されてきた。テレビドラマの脚本家に何度かインタビューした際に、坂元裕二の作品に言及する姿を何度も見た。坂元の影響を受けた若い脚本家が今後、多数出てくることは間違いないだろう。


 坂元がいつテレビドラマに帰ってくるのかはわからない。しかし、テレビをめぐる状況が過渡期を迎えている現在を考えると、坂元が戻ってくる頃のテレビドラマをめぐる環境は、今とは全く違うものになっていることは確かだろう。その意味でも、坂元がドラマを休むことはテレビドラマ史における一つの節目となるのではないかと思う。


(成馬零一)