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ヤバイTシャツ屋さんはなぜ“普通歌にしないこと”を歌うのか 兵庫慎司がその作詞法を考える

2018年03月30日 10:42  リアルサウンド

リアルサウンド

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 「バンドってかっこいい」と知ったのは世良公則&ツイスト、ゴダイゴ、サザンオールスターズがテレビの歌番組に出まくっていた時代だったが、いちばん好きだったのはその中でもっとも三の線であり、イロモノ・キワモノカラーが強かったサザンオールスターズだった(※「いとしのエリー」以前の話です)。


 高校生の頃は<たいやきやいた>とか<牛が乳を出す/象が乳を出す>などと歌って登場した爆風スランプに夢中になったし(初期はそういうバンドだったのです)、1stアルバムの第一声が<おもちゃが米くってちゅーちゅーちゅー>だったローザ・ルクセンブルクにもすぐさま飛びついた。有頂天や人生や筋肉少女帯や死ね死ね団などのナゴム勢も、もちろん大好物。


 というふうに、子供の頃から現在に至るまで「言葉が変なバンド」「二の線じゃないバンド」「シリアスさや熱さを避けるバンド」が好きなところが、自分にはある。そこを詳しく細かく書いていくと、それだけで相当の文字量が必要になるので自粛するが、ひとつだけ「ただし」を入れておくと、「笑える歌詞が好き」というわけではない。<すもうとりゃ 裸で風邪ひかん>と歌ったおかげ様ブラザーズにはあんまりハマれなかったし(ライブは行きましたが)、<“ヘーコキ”きましたねあなた>のMEN’S 5にはまったくのれなかった。コミックソングが聴きたいわけではないのだ。今四星球にネガティブな感情を覚えないのは、彼らがコミックバンドと名乗っていても、コミックソングはやらない、むしろ熱くて泣ける曲が主だからだと思う。


 だから、おもしろいのが好きなのもあるが、それ以上に、熱くてシリアスで二の線で、大なり小なり自分に酔わないと書けないし聴けないのがロックバンドの歌詞である、というのに抵抗があるんだと思う。そういう中にも好きなバンドはいくつもあるけど、そうじゃないやつもいてくれないと困る、そういう趣味なんだと思う。


 って、そもそもなんでこんなことを書き始めたのかというと、子供の頃からそういう趣味嗜好だった奴が、今も日本のロックを聴いているのなら、そりゃヤバイTシャツ屋さん出て来たら大好きになるでしょ。という話なのだった。


 ヒップホップと同じくらい、いや時としてそれ以上に、徹底的に口語体な関西弁の歌詞。「喜志駅周辺なんもない」とか「ネコ飼いたい」というような脱力感満載の歌詞を、メロコア主体、ちょっとミクスチャーが入った音にのっけて曲にする。そりゃ痛快だし、「やられた!」と思うし、「これ発明だわ」と感嘆もするでしょう。


 ただし。不思議に思うところもあった。なんでそんな発明が必要だったの? つまり、なんでその音楽性、その曲調で、その歌詞なの? という話だ。


 ヤバTと時期を前後して、前述の四星球とか、キュウソネコカミとか、岡崎体育とか、大きく言えば近い作風のミュージシャンたちが、関西からいくつか出て来たが(あ、四星球は徳島か)、そこ、彼らとは異なるポイントだと思う。


 たとえば四星球は、本人たちも公言しているとおり、出自は青春パンクであり、歌詞も曲も大きく言えばその延長線上にある。「あの歌詞も?」と言われそうだが、くだらなかったり笑えたりすると同時に、熱いもの、感涙を誘うものが入っているし。


 たとえばキュウソネコカミの歌詞は、基本的には非リア充青年のデッドエンドな日常から発される本音が、おもしろかったり笑えたりする領域に達して歌になっているものであり、それはやたらヒリヒリしていて速くて激しくて、そのわりに開放感がない(そこがいい)あの音楽性と、とても合っている。


 たとえば岡崎体育は、ある種、職人的なトラックメーカーであって、1曲ずつジャンルや元ネタが異なる曲を作る。で、歌詞も、そのトラックに合うおもしろいやつを書いたり、シリアスなやつを書いたりする。だから歌詞と曲が合っている。


 で、ヤバTは? ジャンルで言うとメロコアもしくはミクスチャーである、ってことはその線の先人たち、いっぱいいますよね。どのバンドも基本、英語が多いですよね。もし日本語でかっこいいこととかそれっぽいこととか歌うのが恥ずかしいなら、英語でよくない?  なぜわざわざ日本語で、関西弁で、ネコ飼いたいとか、喜志駅周辺なんもないとか、週10ですき家に行っているとか、「そんなの普通歌にしないでしょ」と言いたくなる日常の些細なことをメロディにのっける必要があったのか。そして、なぜそれをおもしろいものにできるのか。


 もし自分で書けないなら、たとえば誰か英語が堪能な人に、ヤバTの曲に英詞を乗せてもらえば、まともにかっこいいものになるだろうし。とか思っていたら、歌詞を英語で書くこと自体をネタにした「ヤバみ」という曲を発表して、自らその道をふさいでしまったし。


 先日、『ROCKIN’ON JAPAN』の2万字インタビュー(ミュージシャンに自分の半生を語ってもらうこの雑誌の名物企画)を、こやまたくやに行う機会があった。このインタビュー、2018年3月30日に発売になった『ROCKIN’ON JAPAN』5月号に掲載されています。誕生から現在までを、ミュージシャンこやまたくやとしても、映像作家寿司くんとしても、そして素の小山拓也としても、正直に、しっかりと語ってくれているので、ぜひぜひ読んでいただきたいのですが、それはともかく。


 もちろん、その「なんでこの音でこの歌詞?」問題についても、改めて聞いた。彼の答えをざっくりまとめると、こんな感じだった。


①高校ぐらいの頃、曲を作ろうとしたことはあるが、とてつもなくダサいものしかできなくて、誰にも聴かせることなく葬った。今思うと、曲はかっこつけて作るものだと思いこんでいて、歌詞に普通にメッセージを込めようとしたり、韻踏んでみようとしたり、英語を入れようとしてみたりしたから、ダサいものになったんだと思う。


②大学3年でヤバイTシャツ屋さんを組む直前に、四星球のライブを観てショックを受けた。ダンボールの小道具を使ってむちゃくちゃなことをやっているのが衝撃的で、政治的なネタまであって、「うわ、こんなんやっていいの? 俺もやりたい!」と思った。


③ずっと好きなのはマキシマム ザ ホルモンや10-FEETやdustboxだったので、曲はそういうのがいい。でも歌詞やバンドのスタンスは四星球的な方法論もありなのか、と思って、「ネコ飼いたい」をはじめ、今自分が思っていること、自分の目の前にあること、自分の身近なことを歌詞にするようになった。


 以上、本人の弁でした。なぜこうなったのか、流れとしてはわかったが、さらにこの先のことも勝手に考えてみたい。その結果、彼が選んだのが「普通歌詞にしないような日常の些細なことをユーモア視点で書くこと」だったのは何故なのか、についてだ。


 まず、こやまたくやが好きなのがdustboxだけだったら、普通に英語で書いたのではないかと思う(dustbox、英語中心で、日本詞の曲は1割もないし)。つまり、彼がそれ以上に大好きで、自分のルーツにしているのが、マキシマム ザ ホルモンと10-FEETだったことが大きいのではないか。


 マキシマム ザ ホルモンの歌詞が、メロディに日本語を乗せる際の手法、それ自体をゼロから新しく作り直した、画期的でワン&オンリーで真似するのが不可能なものであることはご存知だろう。あのボキャブラリーも、言葉の組み立ても、それをメロディへフィットさせる方法も、マキシマムザ亮君という極めて特殊な人の脳内からしか生み出されないものだ。つまり、ホルモンを真似ようとすると、少なくとも歌詞に関しては、「形をなぞる」のではなく、亮君と同じように、「これまでのロックの歌詞とは違うことを違う歌い方で歌う方法を開発する」でなければいけない、ということになる。


 じゃあ10-FEETは? 熱くてストレートで聴く人の心に寄り添うような、王道メッセージソングな歌詞じゃない? と取る人が多いだろうし、実際それは間違っていないとも思うが、あのバンドはあのバンドで、自分が影響を受けた先人たちとは異なる方法を発明している。


 先人たちは英語だったが、自分は英語も日本語も使った。さらに、日本語と英語の両方を使う曲を書く際に、「サビ以外は英語、サビは日本語」という方法をとった。僕が最初に「RIVER」を聴いた時、もっとも驚いたのがこのポイントで、それが10-FEETの画期的なところだったと今でも思っている。


 80年代から日本のロックとかポップスとかニューミュージックとかを聴いてきた方ならご存知だと思うが、AメロBメロは日本語だけどサビでいきなり英語になるパターンのヒット曲、本当に多かったのです。特にロックとかニューミュージック方面で。BOØWYの「B・BLUE」とか、ZIGGYの「GLORIA」とか、レベッカの「Monotone Boy」とか。


 あれ、「英語を使ってかっこいい感じにする」という狙いもあるんだろうけど、それ以上に「サビのメロディに日本語を乗っけるのが難しいから英語に逃げる」ってことなんだろうなあ、と、子供心に思っていた。だから、そこが逆になった10-FEETの登場にびっくりしたのだ。Aメロは意味伝わっても伝わらなくてもいいから響き重視で英語、聴き手にちゃんと届いてほしいBメロとサビは日本語、ということか! と。いや、TAKUMAがそう考えて書いたのかどうかは知らないが、僕にはそう届いたのだった。


 これもホルモン同様真似できない。というか、真似した瞬間に「そのまんま」になってしまう。だからホルモンと同じく、この音に言葉を乗っける時の、自分オリジナルの方法を考えることが必要になる。


 そこでこやまたくやが発明したのが、あの「些細すぎて普通歌にしないようなことを歌にする」だったわけだ。ネコ飼いたいとか、週10ペースですき家に行っているとか、眠いとか、ドローン買ったのに法律が変わって飛ばせなくなったとか。


 ただし、「身近なことならなんでもいい」わけではない。どの曲でも必ず守られているルールがある。自分が本当にそう思っていることしかテーマにしない、ということだ。ネコ好きじゃないのにネコ飼いたいとは歌わないし、週3回しかすき家に行ってないのに週10であると申告しない、ということだ。


 「何をムキになってあたりまえのことを書いてんだ」という気分になってきたが、でもこれ、ヤバTのライブで楽しそうに大シンガロングしているお客さんたちを見ていて、改めて気づいたことだったりする。<眠いオブザイヤー受賞 wow>と合唱している子たちはみんなその「賞を授けられそうなほど眠い時の感じ」を知っているし、<肩 have a good day>と声を張り上げている子たちはみんなその「肩幅の広い人の方が収入多い」感じに同意している、という話だ。


 このバンドにとって「自分にとっての事実しか歌にしない」というのが、「普通歌にしないような些細なことを拾い上げる」際のルールであることって、すごく重要なことだと思うのです。


 たとえば、インディー時代の人気曲で、最新アルバム『Galaxy of the Tank-Top』にも改めて収録された「メロコアバンドのアルバムの3曲目ぐらいによく収録されている感じの曲」を、なぜこやまたくやは書いたのか。メロコアバンドのアルバムの3曲目ぐらいによく収録されている感じの曲が好きだったからだ。で、曲を書いたはいいが、それ以上にこのメロディで歌いたいと強く思うことがなかったから、そのまんまになったのだ、きっと。


というように、あまりにもシンプルすぎて、回り回った解釈をされることが多いバンドだが……というか、僕もそういう解釈をしていたひとりなのだが、でも、そういう耳で改めて聴いてみると、曲調やアレンジに関しては「ここ、10-FEETっぽいな」みたいな曲も、けっこうあったりする。


 『Galaxy of the Tank-Top』収録の「Universal Serial Bus」や「ベストジーニスト賞」なんて、聴いていると「ここ亮君だろうなあ」「ここダイスケはんに歌ってほしいだろうなあ」っていう感じだし。でも、この作詞法があるから(「ベストジーニスト賞」を書いた
のはベースのしばたありぼぼだが)、「真似じゃん」「パクリじゃん」に陥らずに、ヤバイTシャツ屋さんとしてのオリジナリティを確立できている、という見方もできる。


 ともあれ。「おもしろいから」だけではなくて、そんな彼らのピュアネスがちゃんとお客に届いているから、あんなに熱く支持されているんだと思う。で、あんな大合唱が起きるんだと思う。


 ライブのたびに、「こんなに意味ない歌詞をみんなで熱く大合唱しているさま、初めて観たわ、異様だわ」と喜んでいたんだけど、何度も観ているうちに「……いや、待てよ。違う、このお客さんたち、『こんな意味ないことみんなで歌う俺らおもろい』ってだけじゃないな。感動というか、興奮というか、とにかくそれだけじゃない何かがあるな、今この場には」と考えるようになっていったのでした。で、こういう結論に辿り着いたのでした。


 あと、4年付き合った彼女との別れを歌にした「気をつけなはれや」と、大学のサークルバンドとして始まった自分たちの葛藤や本音を歌った「サークルバンドに光を」という、こやまたくやが力いっぱいシリアスな本音を吐き出した2曲が入っている、というのが、『Galaxy of the Tank-Top』の重要事項なんだけど、長くなったのでまたにします、それについては。(文=兵庫慎司)