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V6 井ノ原快彦、なぜ『あさイチ』視聴者から愛される? 想像力を活かした誠実なMCぶり

2018年03月30日 07:02  リアルサウンド

リアルサウンド

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 V6の井ノ原快彦が『あさイチ』(NHK総合)のMCを務めるのは、本日が最後となる。卒業が発表されて以来、惜しむ声は途切れることはなく、いかに井ノ原が朝の顔として親しまれてきたかを実感する。“柳に雪折れなし”ということわざがあるが、まさに井ノ原のMCぶりは、降りかかる難しい問題もしなやかにいなす柳のようだった。


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 井ノ原の印象を、きっと多くの人が“誠実”だと評価するだろう。誠実さとは、他者を想像する力。価値観が多様化した現代では、誰がどう感じるかという想像力が必要だ。大衆に向けて情報を発信するときには、なおさらだ。井ノ原が『あさイチ』で視聴者から愛されたのは、その一つひとつの言動に彼の想像力と信念が感じられるからではないだろうか。


 たとえば、番組冒頭に恒例となっていた“朝ドラ受け”。有働由美子アナウンサーとNHK連続テレビ小説の感想を述べ合う姿は微笑ましく、視聴者からも好評だった。それが始まった背景を、井ノ原は「ひとり暮らしのおばあちゃんが朝ドラを見て、感想を言い合えないと寂しいじゃないですか。せめて、テレビに話しかけてくれたらと思ったのがきっかけ」(女性セブン2014年8月21・28日号)と語った。顔の見えない視聴者を想像し、そこに対してどうしたら楽しんでもらえるかを思案したのだ。


 だが、そこにはドラマを見ていない『あさイチ』視聴者は蚊帳の外となってしまう、難しさも。番組では、そんな違和感を持った視聴者の声を反映する形で“朝ドラ受け”をやめた時期もあった。だが、やはり“ドラマ受け”を始めたときの思いを尊重する形で復活したのだ。あらゆる意見に耳を傾け、できる限りの配慮をして、最適な形を模索する。その結果、元通りになることは、傍目から見たら何も変わらないように見えるが、試行錯誤せずにいるのとは大きく意味が異なる。


 “いい”と思った人がいれば、そう思わない人がいるかもしれない。井ノ原は、常にそんなふうに冷静に考えられる気遣いの人だ。だからこそ『あさイチ』ではシビアな問題も、真正面から取り上げられていたように思う。悪天候で野菜の価格が高騰したときには、消費者目線で冷凍保存で乗り切る術を紹介した。だが、一方で野菜が売れずに困る生産者の声も伝えた。線引きの難しいセクハラ問題に関しても、真正面から語り合った。井ノ原は様々な意見に寄り添いながらも中立的に全体を見て番組を進める。その安心感が、ゲストたちの本音を引き出していた。結果として、多様な考え方があることを見せてくれる番組となっている。


 「今日は、お母さんたちのそこ(気持ち)だけに焦点をあてています」3月28日放送の沖縄基地特集で、井ノ原はそう明言した。物事は観る人の立場によってその是非は変わってくる。誰の視点に立ったものなのかを明確にすることで、それ以外の立場の人の輪郭が見えてくる。マスメディアが発信した情報はある特定の立場の人の意見であり、そうではない意見もあっていい。だが、その声を発信するのであれば、自分の立場を明らかにすること。匿名で叩くのと、多様な意見を交わすのは、全くの別物であることを示してくれた。


 もちろん、情報番組にも様々なスタイルがあっていい。視聴者が、それを選ぶことができる時代だからだ。だが、誰かを笑い者にしたり、偏見を押し付けあっても「持ちつ持たれつ」で共存していくことは難しい。異なる感じ方を冷静に捉えること、誰も傷つけないように配慮することでしか、私たちは歩み寄れないのだから。井ノ原が見せてくれた『あさイチ』の誠実さが、今後も続いてほしい。そして、いつかまた井ノ原がMCを務める、思いやりに溢れた番組が生まれることを願ってやまない。(文=佐藤結衣)