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『ボス・ベイビー』なぜ人気作に? 脚本の整合性を超えた実存主義的な姿勢

2018年03月29日 15:32  リアルサウンド

リアルサウンド

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 自宅の前に停まった一台のタクシー。7歳の少年ティムが外を見ると、そこから降りてきたのは、いかにも高級そうな黒いスーツと腕時計、サングラスを身に着け、革靴を履き、ブリーフケースを携帯するという、ベテランの大物ビジネスマンのような姿の、ものすごく背の低い人物だ。「なんだ…!?」ティムが驚いている間に、その人物は華麗なステップで颯爽と玄関まで歩いてくる。それはなんと、生まれたばかりの少年の弟だったのだ。


参考:日本で暗黒時代が続いたドリームワークス 初登場1位『ボス・ベイビー』で大復活?


 全く意味が分からない状況だが、とにかくここで現れた“ボス・ベイビー”というキャラクターは、赤ちゃんとビジネスマンの要素が混在する、対極的な存在のギャップからくる不思議な可愛さに溢れている。そんなボス・ベイビーと少年ティムが繰り広げる冒険を追いながら、彼らの間に徐々に生まれていく愛情を、ギャグ描写たっぷりに描いたのが、本作『ボス・ベイビー』なのである。


 本作は、日本で大規模公開された、久々のドリームワークス・アニメーション作品でもある。さらに日本では意外ともいえるほどの動員数で、週間動員1位にランクインするなど人気作となった。ここでは、そんな『ボス・ベイビー』の人気の秘密を分析していきたい。


 社会性から切り離され、難しいことは考えられないはずの赤ちゃんを語り部にして物語が進行する映画といえば、市川崑監督の『私は二歳』(1962年)という先行作品があり、本作の設定が踏襲する「オッサンくさい赤ちゃん」が登場する、『ベイビー・トーク』(1989年)がある。『ベイビー・トーク』ではブルース・ウィリスが赤ちゃんの声を演じていたが、本作(字幕版)でボス・ベイビーの声をあてているのは、アレック・ボールドウィンだ。


 近年、かなり体重が増して貫禄がついたアレック・ボールドウィンは、近年の『ミッション:インポッシブル』シリーズでCIA長官を演じていたり、TV番組でトランプ大統領に扮するなど、金や権力を持ってそうな見た目という意味では、いまや他のアメリカの俳優の追随を許さない。そんなボールドウィンが赤ちゃんを演じているというだけでも、ものすごく笑える。


 おじさんが中年太りによって体型的に赤ちゃんに近づいていくという現象が示すように、おじさんと赤ちゃんは、意外と共通点が多いかもしれない。赤ちゃんのように傍若無人でキレやすく大声を出したり、家事を全くやらないというのは、おじさんに顕著にみられる傾向である。本作では、ボス・ベイビーがティムの父親を「ヒッピー」と呼ぶ場面があるが、ここで表現されているのは、権力志向で政治的に保守的な傾向を示す、ステレオタイプな組織人間としての中年男性のイメージである。


 ティムが空想好きな少年として描かれているように、ボス・ベイビーというキャラクターは、劇中の序盤あたりまでは、両親の関心を奪われたティムの嫉妬や思い込みによる“赤ちゃん”のイメージの表出なのだと観客に思わせている。だが物語が進むにつれ、そうではなく本当にボス・ベイビーという人物が存在しているという事実が明らかになり、観客は当惑させられることになる。例えば、ティムが「気にならないの? 赤ちゃんなのにスーツを着てブリーフケースを持ち歩いてる!」と、当然の疑問を両親にぶつけても、「分かってるわ。でもかわいいでしょう?」とはぐらかされてしまう。このシーンに至っては、論理的な整合性が完全に抜け落ちている。


 これは本作が、2010年に発売された絵本『あかちゃん社長がやってきた』(”The Boss Baby”)を原作に、そこに設定や展開を接ぎ木するように映画化されているところも大きい。絵本の内容では、「赤ちゃんは会社の社長のような存在だ」というユーモアを具現化した、一種ファンタジックな世界として統一感があるが、さすがにその世界観で映画の尺を埋めるのはつらいということで、ボス・ベイビーを、より現実的な存在として扱って、いろいろと肉付けしたという事情は容易に想像ができる。そのため、そのまま残された本来の世界観と、映画版だけの世界観がうまく混じり合っていないため、不要な混乱を呼び起こしてしまっているのだ。


 このあたりは、アニメーション映画界で随一の精緻な脚本力を誇る、ディズニー/ピクサー作品とはかなり開きがあるといえるが、それが本作のキャラクターの異様なインパクトを際立たせているとも感じられる。脚本の整合性を超えて、ここでは「とにかくボス・ベイビーは、ここにこうして間違いなく存在しているんだ」という実存主義的な姿勢で押し通そうとしているのだ。クリント・イーストウッドが、『荒野のストレンジャー』や『ペイルライダー』で演じた謎のガンマンが、幽霊のような、実在する男のような、何だかよく分からない中間的な存在だったからこそ、逆に圧倒的な存在感を持ち得ていたように、本作を鑑賞すると、多くの疑問を残しながらも、やはりボス・ベイビーの印象だけが強烈に残るのだ。


 一方で、ティムとボス・ベイビーの部下たちがバトルする「赤ちゃんパーティー」での騒動や、ボス・ベイビーが仔犬の着ぐるみを着て企業の深部に潜入する作戦など、スラップスティックなユーモアやギャグを盛り込んだ一つひとつの場面は、うまく作り込まれていて飽きさせない。その部分は、『オースティン・パワーズ』シリーズの2作の脚本を書いたマイケル・マッカラーズが本作の脚本を書いているということが功を奏しているだろう。マッカラーズは、自分の赤ちゃんを手に入れるために奔走するコメディー映画『ベイビーママ』(2008年)の監督・脚本をも手がけており、コメディー描写や家族映画を手がけるという意味では、まさに適材といえる。


 ドリームワークス・アニメーションの全体的な作風は、『カンフー・パンダ』シリーズや『マダガスカル』シリーズなど、ディズニー/ピクサー作品に比べ、『ヒックとドラゴン』などの一部の例外はありつつも、比較的低年齢でも楽しめる、スラップスティックなものが多い。そこは、『ミニオンズ』のイルミネーション・エンターテインメントや、『アイス・エイジ』シリーズのブルースカイ・スタジオなどと近い。


 …というよりは、むしろ近年のディズニー作品やピクサー作品の方が、大人が楽しめる深みのある作品をつくるために、子ども向け映画の業界内で先鋭化、異端化してきているといえるだろう。差別がはびこる社会の暗部を描いたノワール『ズートピア』や、人生に悩み、田舎の酒場で過去の思い出を語り合う『カーズ/クロスロード』など、小さな子どもたちはもちろん、中学生あたりの年代でも、作品の魅力を味わい尽くすのは難しい。『ボス・ベイビー』と同時期の公開となった『リメンバー・ミー』も、メキシコの文化における死生観が根底にあり、教育的な部分が大きい。


 『ボス・ベイビー』の日本で人気を得たのは、「ボス!」「ベイビー!」というインパクトあるキャラクターの面白さであり、内容自体も、それが単純に楽しめるものになっているという明快さにあるだろう。そしてストーリーの側を歪ませてまでも、キャラクターの魅力で潔く一点突破していこうという姿勢が支持されたように思える。それは、ディズニー/ピクサー作品とは別の方面からヒット企画を生み出していくための、一つの答えになっているのかもしれない。(小野寺系)