大人になると時間の経過が妙に早く感じられるようになる。僕は子供の頃のことはあんまり覚えてないんだけど、言われてみれば確かに、最近は時間の流れが速く感じられないこともない。
似たような話に、大人になったら人生がつまらなくなるという話もあるようだ。子供の頃に比べて、どうして大人の日々はつまらないのか。人生を楽しむための選択肢は、きっと増えているだろうに。(文:松本ミゾレ)
「わずかな時間を有意義に使おうと金ばかりかけて、挙句、そんなに面白くないという日々」
数年ほど前の話になるが、5ちゃんねるに「何で大人になるにつれて人生がつまらなくなったか真面目に考察する」というスレッドが立っていた。大人になるにつれ、人生がつまらなくなってしまったと感じる人って僕の周りにも何人かいることはいる。
だけどどうしてそう感じてしまうのかについてまで、深く考察している人まではなかなかいない。
このスレッドを立てた人物曰く「一番の要因は、時間が無いのに金はあることだと思う」という。子供の頃は特に根拠もないまま、時間は無限にあると感じていて、お金がなくてもできる色んな遊びを考える時間的余裕もあったと振り返っているのだ。
どんなに下らないことでもためらわずに、思いっきり時間を使って遊ぶことができた、と省みてもいる。一方で大人になると、仕事と時間のプレッシャーが常に背後にくる。「わずかな時間を、有意義に使おうと金ばかりかけて、挙句、そんなに面白くないという日々」だという。
「もう一度あの頃に戻りたい。 今日夜更かししてあまり寝られなくても、長休み時間に寝るから別にいい!今日缶蹴りで一日が終わっちゃっても、また明日があるから、別にいい! あの頃に帰りたくて、死にそうだ」
「普通の大人」の楽しみなんてたかが知れている
前項で紹介した、時間とお金のバランスが変化したことで、人生がつまらなくなっているのではないかという考察は、ちょっと単純だけどある程度的は得ていると思う。
だったらこれを解消するには、仕事も辞めてお金を減らし、子供の頃のように時間をたくさん確保して缶蹴りでもしていればよろしいという、これまた単純な解決策を提示できる。しかしそれが出来れば苦労はない。
大人には現実問題、大人としての人生を着実に歩む責任がのしかかる。働かなければ世間の目は冷たいし、遊んでばかりでは税金も納められない。年金だって払わないと受け取れない。
今は、大人が「遊んで暮らして毎日楽しいな~」が出来るような時代ではないのだ。言い換えればこれは、「いい大人が子供の頃のような無邪気で楽しい日々を送る必要はない」と宣言されているようにも感じられる。
大人はお金を稼ぐもの。そのお金を使ってつまらない遊びをして憂鬱になっていたとしても、それはそれでしょうがない。それが大人の役割だという風潮がこの世間には染み付いている。
件のスレッドを立てた人物は、「早く大人になりたかったのに、何でこんな大人になっちゃったんだろう」とも追記している。一見、この人物の生き方にその原因があったんじゃないの? とも思ってしまうんだけど、果たしてすべて本人の責任なのだろうか。
こんなことを書いてもしょうがないかもしれいなんだけど、少なくとも僕には、大半の大人は楽しい人生を送っていないように見える。
そしてその原因って大抵は、当人たちの優柔不断か、流されるままのありきたりな生き方にあると思う。出る杭になりたくないという保身から、結果的に自分で妥当な人生を選んでしまっているのだ。
妥当な人生を歩む大人の楽しみなんてせいぜい酒を飲んで、いい車買ってといったありきたいなものしかない。違う生き方をしていれば、普通なら違うところで楽しみを見つけられたかも知れないが、それができない。日々がつまらないのは自分の責任なのだ。