2018年03月24日 10:52 弁護士ドットコム
選択的夫婦別姓を求める裁判が、新たに始まる。2015年12月に「夫婦同姓は合憲」とする最高裁判決が出されてから約3年。東京都や広島県在住の事実婚夫婦4組が4月、国や自治体を相手取り、別姓の婚姻届が受理されず法律婚ができないのは憲法違反だとして、賠償を求める訴訟を各地の地裁で起こす。
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弁護団は総勢16人。団長は前回の夫婦別姓訴訟で最高裁まで戦った榊原富士子弁護士が務める。1980年代から夫婦別姓について取り組んできた。最高裁判決に終わることなく、なぜ再び旗は掲げられたのか。背景には、40年に及ぶ夫婦別姓を求める戦いと人々の思いがあった。(弁護士ドットコムニュース編集部・猪谷千香)
一度出された最高裁判決は、なかなか覆らない。それが世間の「常識」だ。最高裁判決の日、原告団長の塚本協子さん(当時80歳)はがっくりと肩を落とし、「これで塚本協子で生きることも死ぬこともできなくなった」と泣いた。
あの日から、3年も経たない2018年4月、新たに事実婚夫婦4組が原告となり、第二次夫婦別姓訴訟を起こす。前回に引き続き、弁護団長を務める榊原弁護士は最高裁判決をこう振り返る。
「あの日、負けてみんな本当にがっかりしました。でも、そこから夫婦別姓を求める人たちの『一体、いつになったら…』という気持ち、『早く何とかして欲しい』という気持ちがより強くなっていくのをひしひしと感じました」
やがて、悲しみは決意に変わる。「これで、終わらない」。
敗訴してから強まる人々や弁護団の思いに、榊原弁護士は背中を押された。しかし、最高裁判決に対して何ができるのか。
弁護団はすぐさま会議を開き、研究を重ねた。メンバーの中にはどうしても仕事の都合で抜けなければならない弁護士もいたが、若い弁護士は情熱を持って、第二次訴訟から加わった弁護士は疲れを知らず、弁護団を牽引した。
「次こそという思いで、ずっと会議を続けていました。私も最高裁判決に関する色々な評釈を集めて読み続けました。ずっと読んでいると、今度はこういうふうにやればいいのかなという、みんなの一致するところが見えてきました。それが今回、提示した『憲法14条違反(同氏を望むか望まないかにより婚姻の可否という別異扱いが生ずる点)』『憲法24条(個人の尊厳と両性の本質的平等)違反』『国際人権条約違反』です」
前回の訴訟では、最高裁判事15人のうち女性を含む5人が民法750条で規定されている「夫婦同姓」を別姓の例外を認めていない点において「違憲」と結論づけた。次の訴訟では少なくとも「違憲」の判断を8人まで増やさなければならない。
「8人になるということは、そんな簡単じゃないと思っています。何回もかかるかもしれません。でも、社会の動きとともに絶対に夫婦別姓を認める方向に行く。何もしないより、何かした方が早い。黙っていたら、諦めたかなと思われてしまいますから」
もともと、近代日本において夫婦は「別姓」でスタートしている。明治8(1985)年に姓を持つことが義務化。翌年には太政官指令により、女性は結婚してもそのまま生家の姓を名乗ること(ただし、夫の家を相続した場合は夫家の姓を名乗る)と定められた。明治政府は当初、夫婦別姓を原則としていたのだ。
しかし、明治31(1898)年に制定された明治民法によって「家制度」が確立し、「戸主と家族は家の氏(姓)を称する」「妻は婚姻によって夫の家に入る」などと定められた。この明治民法は女性差別が徹底している。女性は法律上「無能力者」とされ、夫が妻の財産の管理権を持って、勝手に使うこともできた。相続権も親権も父親だけが持ち、妻の権利は何も認められていない。
「同姓強制」は、こうした女性差別の象徴でもあった。
戦後、新たな憲法が施行され男女平等が定められた。「家制度」は廃止されたが、「家」を支える骨組みのひとつだった「同姓強制」は亡霊のように残る。現在の民法750条の当初案では、原則的に夫婦の姓を夫の姓にする「夫婦同姓」とされていた。
ところが、これは男女平等に反するとして、GHQや国内からの批判を受け、昭和22(1947)年に制定された現在の民法では、「夫又は妻の氏を称する」という夫婦同姓の制度になっている。
さらに、新しい民法は早急に制定されたことから、直後から法制審議会で見直しが始まっている。その中では「家制度」の残骸は片付けられ、750条の夫婦同姓も「留保事項」として「夫婦異性を認むべきか」と問題化している。これが1955年、実に60年以上も前のことである。
法律の専門家の間では議論がされながらも、実現されることのなかった夫婦別姓。1970年代からは、市民の間で夫婦別姓を求める声が徐々に広がっていった。榊原弁護士自身も1984年、女性3人で「夫婦別姓選択制をすすめる会」を立ち上げた。
「仲の良い友人たちと始めました。一人は離婚して旧姓に戻り、もう姓を変えるのは嫌だと言いました。結婚で夫の姓に変えなければこんな思いをしなかったのにと。私ともう一人は、通称使用をしていました。通称は今よりはるかにストレスが大きかった時代です。3人で、なんとなく話をしていて、じゃあやってみようかということで始まりました」
夫婦別姓への取り組みは、「自分たちの問題として」始めたのだという。
1985年には国連の女子差別撤廃条約(1979年採択)を日本も批准。国際的な男女平等意識が国内でも高まったこともあり、1990年代にかけて全国各地で夫婦別姓を求める運動が活発化する。中でもメルクマールとなったのは、1986年に東京弁護士会が開いた「夫婦別氏を考える」という夫婦別姓に関する初のシンポジウムだ。
「その時、とてもたくさんの人やマスコミが来てびっくりしました。こんなに夫婦別姓に対するニーズがあったのかと。ずっと心の中で願っていた人たちがいたんだなと思いました」と榊原弁護士は話す。
当時はまだ旧姓の通称使用も認められず、結婚した夫婦のうち98%以上が夫の姓を名乗るような社会だったが、確実に夫婦別姓を求める声は広がっていった。
1980年代後半から1990年代前半にかけて盛り上がった夫婦別姓のムーブメントは、裁判や政治に舞台を移す。
1989年には岐阜県各務原市の夫婦が「市が別姓の婚姻届を受理しなかったことは基本的人権の侵害であり、憲法に違反する」として、岐阜家庭裁判所に不服申立書を出した。これに対し、家裁は「夫婦の同姓は一体感を高める上で役立ち、第三者に夫婦であることを示すためには必要」として、申立てを却下している。
一方、国でも法務省が1991年から法制審議会民法部会(身分法小委員会)において、婚姻制度の見直しをスタート。5年に及ぶ審議を経て、1996年には「夫婦は、婚姻の際に定めるところに従い、夫若しくは妻の氏を称し、又は各自の婚姻前の氏を称するもの」という選択的夫婦別氏制度の導入を提言する答申を行なった。
この画期的な答申の背景には、国民の価値観や人生観が多様化にともない、夫婦別姓を求める声が広まってきたことや、世界の国々で夫婦別姓を許容する制度が採用され、別姓が夫婦や親子関係の理念に反しないことが明らかになったことなどがあった。
この答申を受けて、法務省では1996年、2010年と2度にわたり改正法案を準備していた。しかし、いずれも国会提出には至っていない。一部の保守派議員を中心に反対が根強いためだ。結局、1996年の答申から20年以上、改正は実現していない。
こうした日本政府の鈍い動きに対し、世界は夫婦同姓に厳しい目を向けている。国連人権機関は2003年、2009年、最近では夫婦別姓の最高裁判決が出た後である2016年と3度にわたる民法改正の勧告を行なった。なぜ政府の動きは鈍いのか。榊原弁護士は厳しく批判する。
「一部の政治勢力が圧力をかけた結果です。特に近年のネット社会にあって夫婦別姓に賛否の議論が起きた時、頑張るのは反対派の人たち。賛成派は不毛の議論になることを避けてネットでの議論には反対より消極的。そうすると、どうしても反対派が強いように見えてしまう。ただ、きちんと世論調査をすると、賛成派の方が強くなってきています。また、最近は、賛成派も活発にSNSでの発信を行っています」
内閣府が今年2月に発表した最新の世論調査では、選択的夫婦別姓制度導入を容認する人の割合は全世代で4割を超え、40歳未満では5割以上だった。このほか、婚姻前の姓を通称としてどこでも使えるように法改正するに賛成の人は24.4%もおり、改正反対は29.3%にすぎなくなった。
「70歳以上では夫婦別姓に反対の人は賛成よりも多い。しかし、これから婚姻する年齢の人の意見を重視すべきです」と榊原弁護士は苦笑する。
政府が動かないのであれば、司法で訴えていくしかない。2011年、塚本さんを代表とする原告団は榊原弁護士ら弁護団とともに、夫婦同姓の本丸である民法750条は違憲だと訴え、裁判を起こした。
それから4年後に出された「夫婦同姓は合憲」という最高裁判決。今また、夫婦別姓を求める人々の声は大きくうねっている。
榊原弁護士たちの第二次夫婦別姓訴訟に先んじる形で今年1月、ソフトウェア企業「サイボウズ」の社長、青野慶久氏ら4人が、日本人同士の結婚で夫婦別姓を選択できないことは憲法違反だとして、国を相手取って東京地裁に提訴した。奇しくも、夫婦別姓訴訟の最高裁判決が出た同じ日に、再婚禁止期間訴訟で違憲判決を勝ち取った作花知志弁護士が手がける。
人々が夫婦別姓を求めて続ける理由を、榊原弁護士はこう語る。
「社会の変化だと思います。まず、共働きの夫婦が増えて晩婚化が進みました。その結果、女性の結婚平均年齢である29歳だと、大卒で8年、9年働いていたら、係長になりはじめるクラスです。すでに実績を積んでいる。
でも、結婚して相手の姓に変えたら、自分の名前でせっかく積んできたキャリアが中断され、アイデンティティに激しい揺らぎを感じるわけです。そういう働き方の変化、それから再婚が増える、連れ子再婚が増えるなど家族の構造も変化もしています」
現在の民法では、家族の多様化にも対応が難しくなっているのだ。
「それから、日本は世界の国々からも取り残されています。女子差別撤廃条約が1979年に国連で採択され、1990年代までにヨーロッパの国々のほとんどは夫婦別姓を導入していきました。21世紀になり、別姓の選択肢がない国は日本だけになってしまいました。
今、日本は法律と家族の実態との乖離が激しい国になってしまっています。他の国では別姓が許されているのに、なぜ日本では許されないのでしょうか?」
前回の最高裁判決では、夫婦は妻の姓を選べるのだから差別にはあたらないとされた。しかし、榊原弁護士たちは「夫婦のうち姓を変えている女性は、まだ96%もいる」ことを指摘する。慣習によって実際は自分の姓を選べない女性が多数存在することは事実であり、96%という数字は憲法24条が定める「両性の実質的平等」が保たれてないことの証明だ。
折しも、最高裁判決直後に閣議決定された「第4次男女共同参画基本計画」の中では、「男女共同参画の視点に立った各種制度等の整備」が掲げられている。第二次訴訟の弁護団は、そうした視点からも選択肢なき夫婦同姓を見直すべきと主張する。
「前回の訴訟では、結婚に際して男女の平等を定めた憲法24条に違反すると、5人の最高裁判事が言ってくれました。これを8人以上に増えるよう、訴えていく。そういう戦い方をしたいと思っています」
今月、4組の事実婚夫婦が東京、立川支部、広島の家庭裁判所で、別姓の婚姻届の受理を求める審判申し立てを行なった。4月にはそれぞれの地裁で、国家賠償訴訟も起こす。
榊原弁護士は、これまで婚外子や旧姓の通称使用などの訴訟を取り組み、勝利を得てきた。夫婦別姓に「自分のこと」として関わり始めて間もなく40年。今回、気持ちを新たに第二次夫婦別姓訴訟では最高裁での違憲判決を目指す。
「裁判の面白みとはいえ、地味で気が遠くなるほど時間がかかり、大変だなと思って愚痴をこぼすこともあります」と笑う榊原弁護士。「でも、みんなで全力疾走で働いていますので、どこかで絶対に実ると思っています」
(弁護士ドットコムニュース)