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Nulbarichのライブに感じた“バンドであること”へのこだわり ワンマンツアー東京公演レポ

2018年03月22日 20:41  リアルサウンド

リアルサウンド

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 「続き、歌いたくないなぁ……」


 この日、ある曲の途中、JQはそう口にした。それは、歌ってしまえば曲が終わってしまう、音楽が鳴りやんでしまう……そんな思いから発せられた言葉だった。彼にとって音楽とは、それほど特別なものなのだ。


(関連:N*E*R*D、Nas、Stetsasonic……Nulbarich JQが明かすルーツとなったヒップホップソング


 3月16日、新木場STUDIO COASTにて、Nulbarichの2ndアルバム『H.O.T』のリリースツアー『Nulbarich ONE MAN TOUR 2018 “ain’t on the map yet”』東京公演1日目が開催された。このワンマンツアー、当初予定されていた6会場7公演がソールドアウトしたことを受け、4月にはZepp Diver City Tokyoでの追加公演も決定している。Nulbarichは、2016年に活動を開始したばかりバンドだ。いわば“新人バンド”が到達するにしてはあまりに大きな場所に、とんでもない速さで、彼らは辿り着いている。


 ステージに上がったメンバーはボーカルのJQに加え、ギター二人、キーボード二人、ベース二人、そしてドラムの計8人編成。ステージに上がるメンバーの編成が流動的であるという点は、JQ以外のメンバーのプロフィールやビジュアルが公開されないという点とともに、デビュー以降のNulbarichを「謎のバンド」足らしめてきた特色のひとつ。だが、どうやらこの“8人編成”が、現時点でのNulbarichの完全体のようだ。


 ツアーが途中なのでセットリストについて詳しく書くことはできないのだが、最新曲と過去曲が合わさることで、よりドープに、アルバム『H.O.T』で描かれた世界観が展開されたステージだった。ドラム以外のそれぞれの楽器に二人ずつ配するという布陣は一見過剰だが、ひとりのベーシストは、曲によって、あるいは曲間でもエレキベースとウッドベースを入れ替え、もうひとりのベーシストも、ベースとシンセを立ち代わり演奏するなど、目指すべきサウンドに向けて、それぞれがそれぞれの役割を果たし、プレイヤーとしての自我をも発散させながら、“楽曲”というひとつの到達すべきビジョンに向かっていく。Nulbarichに対して「洗練されたポップスを鳴らす人たち」という印象を持つ人も多くいるかもしれないし、それは間違いないのだが、ライブを観れば、そこにある熱量の高さや、エモーションの強さ、そして彼らのなかに根強く存在する生々しく荒々しい“バンド感”のようなものを、ヒシヒシと感じることができる。


 Nulbarichのバンド活動の在り方は、とても特殊だ。JQ以外のメンバーはメディアにも出ず、詳細も明かされず、ときには全員がステージに上がらない。このスタンスは「バンド」というよりも「分業制のポップス」と言った方がいいのでは? と思われてしまうかもしれないが、JQは「バンドである」という点に、強いこだわりを持っている。そして実際のところ、これはライブでのステージングを見ればわかるのだが、彼ら8人の間にはかなり強い絆――お互いがお互いの背中をあずけ合うような信頼感、とでも言おうか――がある。


 Nulbarichは、初めからメンバーが決まっていたバンドではなく、活動をしていくなかで、徐々にメンバーを固定していったバンドだ。そのためか、作品やステージの完成度を優先する“音楽至上主義”的なスタンスはあくまで前提としながらも、ひとつの目的のために集まった者同士、その後に生まれた精神的な絆も強い。JQ自身は自分たちのつながりのことを“家族”や“会社”に例えたりもするが、Nulbarichは、既存のバンド像とも違う、「分業制のポップ」という言い方もしっくりこない、新たな「バンド」の形、あるいは音楽コミュニティの在り方を提示しているといっていいだろう。ライブ中、JQが一人のキーボーディストの肩に手を置き、「いつもありがとう」なんて声をかける場面もあった。


 そして、この日改めて思ったのは、ステージの上、音の波の上をたゆたうように動きながら歌うボーカリスト・JQの存在感には、極めて現代的なポップスターとしてのカリスマ性がある、ということ。フロントマンとしての彼の特徴は、端的に言えば「作られていない」ことだ。決して、MCで強い言葉を言うことで聴き手をアップリフトするタイプではない。「踊れ!」ではなく、「ゆっくり楽しんで」と言ってくれる感じ。もちろん、その歌唱力は常人離れしているし、歌を聴かせるべきところでは聴かせ、キメるときはキメるが、MCでは、まるで友達と無邪気にダベっているようなゆるさ、ナチュラルさを醸し出したりもする。しかし、その言葉の随所に宿るエモーションには、胸をグッと掴まれる瞬間がある。そこには、なんらステージ用の脚色などは見えない。物腰の柔らかさ、お茶目さ、生真面目さ……その全てが、あくまで自然体なのだ。私は、何度かJQに取材をさせてもらっているが、ステージ上の姿、取材現場での姿、さらに言えばスタッフなどの身近な人たちに向けて言葉をかける姿――そのどれにおいても、JQの場合、ほとんど違いがない。きっと、Nulbarichを支持する人たちのなかには、常に人間臭く、等身大である、このJQの存在感に惹かれていく人たちも多いだろう。


 先にも書いたように、あまりセトリには触れられないし、自分としても触れたくないのだが、1曲、始まった瞬間に鳥肌が立った曲があって、それが「In Your Pocket」だった。去年の暮れにリリースされたEP『Long Long Time Ago』に収録されたこの曲は、Nulbarichが最初に“化けた”瞬間の曲だと私は思っている。リフやドラムのループを主体とし、現行のR&Bやヒップホップとも共振するサウンドメイクを見せたこの曲は、しかしながら、どんな海外のポップスとも違う、Nulbarich独自の荒々しさや重さを孕んだ曲となっていた。


 ポップスとは、時代の雰囲気を利用して作られるものではない。むしろ、作り手が、その独自の人生観や文化土壌、指向性を発露させた結果、どうしようもなく時代のムードを“言い当ててしまう”、そういうものだと思う(たとえば、ジャスティン・ティンバーレイクの新作がそうであったように)。「In Your Pocket」もまさにそういう曲だった。たった2年弱の間に、初めてのツアーやワンマン、さらにジャミロクワイの前座での武道館公演などを体験し、激動の季節を過ごしてきたNulbarich。そんな彼らの擦り切れながらも発光せずにはいられないバンドの生命力のようなものが、「In Your Pocket」には刻まれていて、そんなバンドの生命力がモダンなサウンドスタイルと自然に結びつくことで、本当に特別な曲になった。ここで生まれた方向性が、アルバム『H.O.T』に宿る深く重厚な質感を決定づけていたといえる。この日、MVと同じように、スポットライトのなか、JQが「In Your Pocket」を歌い出した瞬間……この瞬間は本当に美しかった。暗闇のなかで、Nulbarichというバンドの生命が輝きだすような、宝石のような光景だった。


 この日アナウンスされ、すでに大きな話題にもなっているが、11月には日本武道館でのワンマン公演も決定した。最初にも書いたが、とんでもない速さだ。いま、ここまで“売れる”という現象を体現している存在もそうはいない。では、ここでひとつの問いが生まれる。「この時代、“売れる”とは一体、どういうことだろうか?」と。それは作品のセールスやストリーミング回数によって決まるのだろうか? もちろん、それはそうだろう。だが、個人的に“売れる”という現象には不可欠なポイントがあると思っていて、それは、“どれだけ多くの人に期待されるか?”ということだ。“期待される”ということは、すなわち“続きを見たい”と思わせることであり、もっと大きく言えば、聴き手に“明日を生きたい”と思わせることに他ならない。きっといまの時代、“続き”を期待されずとも数字を稼ぐ方法はある。でも、やっぱり私たちは“続き”を見たい。


「続き、歌いたくないなぁ……」


 この日、ある曲の途中、JQはそう口にした。それは、歌ってしまえば曲が終わってしまう、音楽が鳴りやんでしまう……そんな思いから発せられた言葉だった。それだけ彼にとって、音楽を他者と共有する空間は尊く、大切なものなのだ。でも、私たちはわかっているし、JQ自身もきっとわかっている。Nulbarichには“続き”がある、と。武道館という続きが、そして、きっとその先にも続くであろう、“続き”が。だって私たちは、道の途中で出会ったから。


■天野史彬(あまのふみあき)
1987年生まれのライター。東京都在住。雑誌編集を経て、2012年よりフリーランスでの活動を開始。音楽関係の記事を中心に多方面で執筆中。