2018年03月15日 10:12 弁護士ドットコム
神奈川県相模原市の障害者施設「津久井やまゆり園」で2016年7月、19人の入所者が元施設職員の植松聖被告人(28)=殺人罪などで起訴=に刺殺される事件が起きてから1年7か月が過ぎた。この間、様々な報道機関が植松被告人との面会取材を行い、面会室での植松被告人の差別的な言動を伝えてきた。
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筆者も植松被告人と面会や手紙での取材を続けてきた1人だが、植松被告人の考えについては、まだ理解できない部分が多い。しかし、対話を重ねるうち、報道で形成された「身勝手な大量殺人犯」というイメージとは異なる部分も見えてきた。(ルポライター・片岡健)
「あの時、自分が笑ってしまったのはマスコミの人波が突撃してきたためでした」
2017年10月下旬のある日、横浜拘置支所の面会室。警察車両で連行される際に笑っていた理由を尋ねると、植松被告人は笑みを浮かべ、そう言った。
逮捕された時は金色の短髪だった植松被告人だが、現在は大部分が黒くなった長髪を後ろで束ねており、日焼けしていた肌も白くなっている。逮捕当初の報道ではテンションが高そうなイメージだったが、実際は表情も話し方も穏やかだった。
ただ、穏やかな雰囲気と裏腹に、植松被告人が発する言葉は強烈だ。
「意思疎通のとれない方々は安楽死させるべきだと思います」
障害者に対する考えを聞くと、植松被告人はアクリル板越しに筆者の目を見すえ、はっきりした口調でそう言った。なぜ、そう思うのかと質すと、「意思の疎通がとれない方々は様々な不幸の源になっているからです」と即答した。では、何がどう不幸の源になっているのか。
「簡単に言いますと、人に迷惑をかけ、物資や食糧、マンパワーを社会から奪ってしまっているということです」
よどみなくそう語った植松被告人。筆者には、植松被告人は自分の犯行を正当なことだと信じ込んでいるようにしか思えなかった。
もっとも、今後行われる裁判で自分の正当性が認められるとは、植松被告人も思っていないようだった。死刑は覚悟のうえでの犯行だったのかと聞くと、「その通りです」と言い、死刑は怖くないのかと問うと、「死刑というより、死は怖いですよね」と素直に不安も口にした。
だが、一方で「自分の生命を犠牲にしてでも、やらないといけないことだと思ったんです」と語る。安楽死とはほど遠い「刺殺」という殺害方法をとったことについては、「反省しています」と述べたが、被害者たちを苦しめたことを申し訳なく思う様子は窺えなかった。
対話を重ねてわかったが、植松被告人は日本で今後、意思の疎通のとれない障害者を安楽死させる法や制度ができると本気で考えているらしい。
「実現までは1、2年でしょうか。安楽死させるのは精神科医の方々がいいと思います」とさらりと言った植松被告人。今の日本でそんな法や制度ができることはありえないのでは、と突っ込むと、少し言葉に窮したが、こう返答してきた。
「自分には、民主主義というのは茶番に見えまして、必要ないと思っているんですよ。優位な人間がきちんと指導すればいいと思うんです」
事件を起こした狙いの1つとして、「(報道機関に)面会や手紙でこのような主張をさせて頂けたらと思っていたんです」とも語った植松被告人。それが本当ならば、筆者を含む多数の面会取材者は、植松被告人が事件を起こす際に期待した通りの行動をしていることになる。
植松被告人に関する報道は、障害者に対する差別意識の問題にばかり焦点が当てられてきた。しかし、会って話を聞いてみると、植松被告人は障害者に関すること以外でも「より多くの人間が幸せに生きるためのこと」として様々な主張をしてきた。
たとえば、手紙に書いてきたのが「大麻の合法化」「カジノ産業への取り組み」「軍隊の設立」「婚約者以外との性行為での避妊の義務づけ」「女性の過度の肥満を解消するための訓練施設の設立」「遺体を肥料として使用する森林再生」などのことだ。植松被告人はこれらも日本が実現すべきことだと本気で考えているらしい。
植松被告人は、ある時は「日本は借金が1千兆円もあり、もう終わっている国だと思うんです」と言い、またある時は「日本は戦争をして、自ら国を壊しちゃうんじゃないかと思っているんです」とも言った。賛同できるかはともかく、日本のことをあれこれ考えているのは確かなようだ。
植松被告人は精神鑑定で、「自己愛性パーソナリティ障害」と診断されている。やりとりをする中で、自分自身のこともあまり大切に思っていない様子が窺えた。
たとえば、面会中に死刑を話題にした時のこと。植松被告人は「自分の生命なんて、大した価値はありませんから」とか「自分の遺伝子はそんなに優れていないので、子孫を残したい意欲はあまり無いんです」などと言ってきた。
なぜ、そう思うのかと質すと、「容姿的な部分です。人間って、見た目だと思うんで」と答えたが、詳しくは説明しようとしなかった。筆者には、植松被告人は容姿が悪いと思えないし、事件当時は恋人もいたという。それでも本人は容姿に関し、自分にしかわからない悩みを抱えているようだ。
植松被告人がもう1つ、回答を拒んだことがある。家族に関することだ。
事件を起こしたことにより、家族は悲しんだり、社会の批判を浴びて大変だったりするのではないか。そう質した時、植松被告人は「それは本当に申し訳ないと思っているんです」と述べた。しかし、「家族の話はしたくないんです」と強い口調で言い、それ以上は語ろうとしなかった。その態度からは家族への罪悪感に苛まれていることが窺えた。
では、自分の家族や恋人、友人が今後、事故や病気など何らかの原因で「意思疎通のとれない状態」になった場合、植松被告人は「安楽死」を望むのか。植松被告人はその回答を手紙にこう書いてきた。
〈もちろん悲しいですが、仕方がないこと、受け入れなくてはならない現実と考えます〉
その部分は決して揺らがないようだ。
【ライタープロフィール】
片岡健:1971年生まれ。全国各地で新旧様々な事件を取材している。編著に「絶望の牢獄から無実を叫ぶ ―冤罪死刑囚八人の書画集―」(鹿砦社)。広島市在住。
(弁護士ドットコムニュース)