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亀梨和也×山崎育三郎×藤木直人、復讐劇がついに決着 『FINAL CUT』最終話“サクラ”の意味とは?

2018年03月14日 14:31  リアルサウンド

リアルサウンド

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「過去を正して、未来を見せろ」。


 3月13日に放送された『FINAL CUT』(カンテレ・フジテレビ系)の第9話「ついに真犯人登場!メディアへの復讐、衝撃完結」。12年前、テレビ番組『ザ・プレミアワイド』がきっかけで、母・恭子(裕木奈江)を殺人犯扱いされ、無実の罪で亡くした男・中村慶介(亀梨和也)。慶介は、あらゆる手段を駆使し、ついに真犯人である小河原祥太(山崎育三郎)と対峙することに。そこには、スクープを狙う百々瀬塁(藤木直人)ら『ザ・プレミアワイド』の姿もあった。さまざまな人たちの人生を狂わせてきた無認可保育園女児殺害事件に、終止符を打つ。


参考:亀梨和也、栗山千明との禁断の恋 『FINAL CUT』“制御できない愛”がもたらしたもの


 第9話では、慶介ら登場人物それぞれが自身の過去を清算し、未来に向かって歩き出す姿が描かれていた。そんな中で今回の見どころは、何と言っても、母・恭子の濡れ衣を晴らすために、この12年間生きてきた慶介と、罪を犯すも逃げ続けた真犯人・祥太、そして“ミスターメディア”百々瀬が一堂に会したシーンだろう。「依頼された案件の事実が不利なら法を主張せよ。法において立場が弱ければ事実を主張せよ。法も事実も負けそうな場合、ひたすら相手の弁護士を罵倒せよ」。


 慶介がこれまで調べてきたものを突きつけながら攻めるも、しらを切り続ける祥太。さらには「なんで君のお母さんは自殺した? 犯人だからだろう?」と慶介を挑発する。中でも祥太が発した言葉「それともお母さん、誰かに言われたのかな? いっそ死ねばって。息子さん同情されるんじゃないかって」が強烈に胸に響く。第1話から、なぜ恭子は当時高校生の息子一人を残して死んでしまったのかが、疑問であった。だからこそ、この言葉は、実際に祥太が12年前、恭子に吹き込んだのではないかと思わずにはいられない。祥太は自身の身を守るためなら、妹の若葉(橋本環奈)をそそのかし、自ら腹部に包丁を刺させる人物なのだから、十分にあり得る。


 法においても事実においても不利な祥太は、慶介をひたすら罵倒していく。それでも頭に血が上るのを堪え、作戦を遂行していく慶介は、ついに祥太から犯人しか知り得ない事実の自白を引き出した。12年間追い続けた真犯人をやっと捕まえることができた慶介。「あの日、母が見た真犯人……小河原祥太! お前だ」と睨みつけ、左目から涙を流しながら「見ろよ、バッチリ撮られてる。決定的瞬間。致命的映像。これがあなたの“ファイナルカット”です」と最後の“ファイナルカット”を突きつける。


 だが、慶介は12年前、母を一方的に犯人扱いし追い詰めた『ザ・プレミアワイド』への清算も忘れない。百々瀬らに謝罪を要求する。「傷つけられて、黙っている人たちがいるっていうことを忘れるな!」という慶介の訴えに、百々瀬は「もちろん忘れてない。いつも瀬戸際で悩む」と口にしていた。この“忘れない”という言葉は第9話のキーワードであったように思う。というのも、第9話では頻繁に「サクラ」という言葉が登場していた。「サクラ」のフランスでの花言葉は、“Ne m’oubliez pas(私を忘れないで)”。


 百々瀬の趣味であるクロスワードパズルが、実は若年性アルツハイマーを患った妻への伏線だったことが明かされている。クロスワードパズルは、認知症の予防に効果的だという一説があるのだ。病院の庭で百々瀬の妻が慶介とともに解いていたクロスワードパズルの答えは「サクラ」。そして、百々瀬が控え室で解いていたクロスワードパズルの答えも「サクラ」。百々瀬は、妻の代役を立てていたのは、妻自身の希望だと言い、その理由を「どんな形であれ、世間に自分の面影を残したかった」と推測していた。愛する旦那のことはもちろん、自分自身のことも忘れてしまう病だからこそ、彼女は百々瀬に“私を忘れないで”ほしかったのだろう。そして、日々スクープを追い続ける百々瀬自身にも、本当の百々瀬塁を“忘れないで”ほしかったのではないだろうか。


 また「サクラ」はその種類によって、“精神の美”、“ごまかし”、“あなたにほほ笑む”という花言葉もある。これまで自分たちの責任を「認識の違い」などと“ごまかし”てきた百々瀬らメディア。だが、最後には「今のままで本当に胸張れんのかよ! 過去を正して、未来を見せろ。使命を果たせ。ミスターメディア」という慶介の言葉が胸に刺さり、“精神の美”が勝った。百々瀬はカメラの前で12年前の無認可保育園女児殺害事件の報道を謝罪したのだ。そんな彼の姿をテレビ越しに見ていた百々瀬の妻が、百々瀬に優しく“ほほ笑み”かけたのが印象的である。


 私たちは無意識のうちに、報道を鵜呑みにし、正義感という名の悪意で誰かを社会的に葬っているのだろう。そして、身勝手に断罪した誰か、ひいては事件そのものを忘れてしまう。『FINAL CUT』は、全9回の物語を通して、私たち視聴者にその問題を提起し、その裏で傷ついている“誰かを忘れないで”ほしいというメッセージを発していた。同時に、自身の目で“真実”を見極めることの大切さを投げかけていたように思う。『FINAL CUT』は、ただの復讐劇ではない。過去は変えられないが、今この瞬間に過去を正して、未来を見ることはできるということを私たちに教えてくれた。どうか『FINAL CUT』で描かれていたことを忘れないでほしい。(文=戸塚安友奈)