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音楽がストーリーそのものに 『グレイテスト・ショーマン』の幸福な音楽の全能感

2018年03月08日 13:42  リアルサウンド

リアルサウンド

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 「さあ、立ち上がって」。第90回アカデミー賞で主演女優賞を受賞したフランシス・マクドーマンドが、メリル・ストリープをはじめとしてそこにいる多くの女性たちをスピーチで立ち上がらせたことが記憶に新しい。そして、同じくいわゆるマイノリティと呼ばれる人々を立ち上がらせたのが、本作『グレイテスト・ショーマン』である。キアラ・セトルが劇中で力強く歌う「This Is Me」は、陰に追いやられ、愛されずに傷つけられた者たちがそれでも尊厳を失わずに進むことを鼓舞する曲だ。「これが私」というメッセージを力強く伝えるその歌詞は、本作そのものを象徴する1曲として私たちの心を強く揺さぶりかけてくる。


参考:『グレイテスト・ショーマン』生放送パフォーマンス【動画】


 くだんのアカデミー賞で作品賞を受賞した、ギレルモ・デル・トロ監督の『シェイプ・オブ・ウォーター』(2017)においてもまた、身体的なハンデを背負った女性がヒロインとして描かれる。同作の受賞が象徴するように、ここ最近のハリウッドでは、それまでスポットライトを浴びることのなかった者たちが主役級の役をあてがわれる映画が数多く世に送り出され、観客の支持を得ている。本作はアカデミー賞無冠でありながらも、その潮流の中核にはっきりと位置付けられる映画だと言って間違いではないだろう。


 ヒュー・ジャックマン演じるフィニアス・テイラー・バーナムは、アメリカに実在した興行師であり、のちにリングリング・ブラザーズ・アンド・バーナム・アンド・ベイリー・サーカスとなるショーの前身を築いたことでよく知られる。このサーカス団をモデルとした映画『地上最大のショウ』(1952)は、第25回アカデミー賞で見事作品賞にも輝いた。同作は、サーカス団によるアクロバティックな演技と、3人の男女の人間関係のドラマが平行して描かれる。


 一方、本作『グレイテスト・ショーマン』では、ドラマを語るプロットは極力削がれ、歌って踊る彼らの姿が中心に描かれる。本作が持つ音楽の力は相当なもので、幕が上がって「The Greatest Show」が流れはじめると、ほんの3秒で私たちを夢の世界の彼方へと連れ去ってしまう。続く「A Million Dreams」では、ミュージカル界の珠玉のスター、ジンジャー・ロジャースとフレッド・アステアを思い起こさせるチャリティ(ミシェル・ウィリアムズ)とバーナムのデュエットが繰り広げられる。


 この冒頭のシークエンスでは、幼少期から貧しい生活を強いられていたバーナムが、いかにショービジネスに至るのかを一気に描く。食べるものにも貧窮していたとき、彼にそっとリンゴを差し出してくれたのは、「ユニーク」な女性であった。この経験からインスパイアを受けたバーナムは、「フリークス」と呼ばれる異形の身体を持つ人々などを集めてショーをはじめることとなる……。


 かつて、直球にフリークスたちの姿を描いた映画が存在した。『フリークス』(1932)は、本物のフリークスの人々を起用し撮られたため、観客の多くは恐怖に慄いた。この映画は、一国では長らく公開禁止となるほどの物議を醸した。あるいは、巨匠デヴィッド・リンチはフリークスをテーマに『エレファント・マン』(1980)を撮り、著しく顔が奇形のジョン・メリックが、「見世物」となっていく半生を描いて観る者を倫理の隘路に迷わせた。


 本作『グレイテスト・ショーマン』は、フリークスたちを「見世物」にするという同様のテーマを扱いながらも、そこにおける道徳的問題を深掘りすることはしない。存在するのは、ただひたすら幸福な音楽の全能感である。圧倒的に素晴らしい音楽の前では、語ることすら無意味で、言葉は無力でしかないように思われる。本作に登場する一人ひとりの物語が丁寧に描かれることがなくとも、私たちはその歌声に耳を澄ませ、彼らが受けてきたであろう痛みや、苦しさを想像することができる。本作ではストーリーを彩るために音楽が使われるのではなく、音楽がストーリーそのものなのだ。バーナムがショービジネスの先見の明を持っていたように、監督のマイケル・グレイシーもまた、『ラ・ラ・ランド』(2016)で功績を得る何年も前に、ペンジ・パセックとジャスティン・ポールの音楽を見出した。その音楽は「ニセモノ」ではなく、本物以外のなにものでもない。たった一つのリンゴが人生を大きく変えたように、私たちの人生を大きく変えてくれる1曲が、この映画の中にはきっとある。(児玉美月)