3月7日、東京都内のホテルで、モーターカルチャーとファッションを融合させたレザーアイテムブランド『ノイインテレッセ』による壮行会が行われたが、1997年にダカールラリーで日本人初の総合優勝を飾った篠塚建次郎が、ふたたびアフリカでラリーに挑戦したいという意志を語った。
篠塚は三菱自動車の社員ドライバーとして、世界中でラリーに挑戦。1991年にはミツビシ・ギャランVR-4でWRC世界ラリー選手権で日本人として初優勝を飾ったほか、ダカールラリーには長年参戦。1980年代には、当時“パリダカ”の愛称で知られたパリ~ダカールラリーでミツビシ・パジェロを駆り、日本でのダカールラリーの知名度を大いに上げる存在となった。
そんな篠塚は、97年にはダカールラリーを制しその歴史に名を刻んだものの、2000年にラリー中に負傷。また、ニッサンから参戦した2003年にも負傷するなど、07年を最後にダカールラリーには出場していない。ただその後もソーラーカーレースへの挑戦などを続け、現在もクラシックカーラリーに出場するなど、“現役”としてラリーを続けている。
今年70歳になる篠塚は、この日都内で行われたノイインテレッセの壮行会に出席したが、その場でノイインテレッセブランドを展開するモルフォの小澤廣幸社長から、サプライズで驚きの発表がなされた。篠塚が2019年に開催される『アフリカ・エコレース』に参戦する予定であると発表されたのだ。
アフリカ・エコレースは、2008年にダカールラリーが政情不安により中止となり、その後南米に舞台を移した後に生まれたラリーレイド。モナコをスタート地とし、その後船での移動を経てモロッコ、モーリタニアを通過し、セネガルのダカールをフィニッシュとする、かつてのダカールラリーを彷彿とされるラリーだ。約6500kmもの距離を走ることになる。
「今年の11月に70歳になりますが、やはり砂漠を走りたいという思いが強くなっているんです。いま、ダカールラリーは南米でやっていますが、南米はそれほど興味がなくて。サハラ砂漠を走りたいんです」と70歳とは思えぬ意気込みを語った篠塚。
「私とずっとライバル関係にあったジャン-ルイ・シュレッサーというドライバーが、アフリカ・エコレースをやっているんです。アフリカは治安が悪く、ラリーが開催しづらいとのことだったのですが、アフリカ・エコレースは7年間も無事にやっているので、走れるのではないかと」
ただ現在のところ、モルフォの小澤社長は「全面的にバックアップします」と宣言したが、2019年1月に行われるイベントに向け、篠塚の“夢”は動き出したばかり。今後スポンサーを集めなければならず、まだ車両も決まっていないとのこと。ちなみに、篠塚によれば、残念ながらミツビシ車での参戦は可能性は低そうだ。
「このラリーを走りたいと思って、いま計画を練っています。いずれにしろスポンサーを集めなければならないし、テレビも動いてくれると嬉しいですね。1年弱の間に、いろいろ準備して走れるようになればと思っています」と篠塚。
「総合優勝がいちばんカッコいいんですが、もう年も年なので、あまり無理をしてまた怪我をするといけない(苦笑)。その辺は抑えて、クラス優勝ができればいいな、と思っています。ぜひ応援していただけるとありがたいです」
篠塚といえば、日本のラリー界の歴史を切り拓いた伝説的なドライバー。そして世界にその名を刻んでいる。“ライトニング・ケンジロー”がふたたびサハラにその足跡を刻むのか、夢の実現を大いに期待したいところだ。