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クラシックとポストクラシカルの違いは? “鍵盤王”ニルス・フラーム来日公演前におさらい

2018年03月02日 08:02  リアルサウンド

リアルサウンド

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 日本でも静かなブームになりつつあるポストクラシカル。このジャンルを代表するドイツのピアニスト、ニルス・フラームが5月に来日、東京と大阪でライブを行う。


(関連:追悼ヨハン・ヨハンソン、ポストクラシカルの旗手としての功績を振り返る


 近年、日本においては、映画の音楽でポストクラシカルの作曲家の多くが知られるようになった。 例えば、この旗手的存在で先日亡くなったヨハン・ヨハンソンは映画『ボーダーライン』(2015年)、『メッセージ』(2016年)などの音楽を作曲。ヨハンソンと並ぶ存在のマックス・リヒターは映画『めぐり逢わせのお弁当』(2013年)を、イタリアの大御所、ルドヴィコ・エイナウディは『最強のふたり』(2011年)のほか、昨年は是枝裕和監督の『三度目の殺人』のメインテーマを作曲している。


 このように、映画館で耳にする音楽として知られ始めたポストクラシカルだが、残念ながら日本では彼らのライブに触れる機会は非常に少ない。5月のニルス・フラームの公演は、本場ヨーロッパのポストクラシカルの「生」に触れられる貴重な機会だ。


■そもそも「ポストクラシカル」とは?


 さて、ポストクラシカルとはどのような音楽ジャンルなのだろうか?  「ポストクラシカル」という言葉は、マックス・リヒターが自身の音楽について述べたことがその由来だ。彼は雑誌『CDジャーナル』(2015年11月号)の中で以下のように語っている。


「もともと「ポスト・クラシカル」は、マスコミ向けの一種のジョークとして使ったのが最初なんです。当時、マスコミは我々の音楽のことを「ネオ・クラシカル」と呼んでいた。でも、私なんかが“ネオ・クラシカル”と聞くと、プロコフィエフやストラヴィンスキーなど、20世紀前半の新古典主義を連想してしまうんですよ。だから「我々の音楽は新古典主義ではない」という意味で、冗談半分に思いついたのが「ポスト・クラシカル」だったんです」(ユニバーサルミュージック オフィシャルサイトより)


 リヒターが、クラシック音楽の嫡流である「近現代音楽」との区別を図ってこの言葉が生まれ、次第に広がっていったようだ。では、クラシックと、ポストクラシカルは、どこが違うのだろうか?


 一つ目は「聴きやすさ」である。クラシック音楽が20世紀に入り、調性をなくしたり、複雑なリズムが採用したりと実験的・前衛的に進化していく中、ポピュラーミュージックに慣れ親しんだ一般人にとって、非常に難解な存在になってしまった。クラシック音楽ファンであっても、多くは19世紀のロマン派以前に作曲された音楽(モーツァルト、ベートーヴェン、ショパン等)を好む傾向がある。20世紀の現代音楽は、クラシック音楽ファンであっても聴かれる機会が極めて少ない。


 一方、ポストクラシカルは、クラシック音楽ファンでなくても楽しめる間口の広さを持っている。19世紀以前のクラシック音楽が本来持っていた聴きやすさ、心地よさを復権している。例えば、ドイツ人の現代音楽の大作曲家であるカールハインツ・シュトックハウゼンが1950年代に作曲した管弦楽曲「グルッペン」と、同じくドイツ人のマックス・リヒターの2002年の作品「November」を聴き比べてほしい。歴然とした違いが聴き分けられるはずだ。


 二つ目は「音響」への姿勢だ。クラシック音楽が一般的にアコースティックの響きにこだわるのに対して、ポストクラシカルはアコースティックの響きを大切にしつつも、積極的に電子音や「打ち込み」(コンピュータ・プログラミング)を活用している点が挙げられる。クラシック音楽の演奏会は、アコースティックの響きを重要視するため、たとえ大編成のオーケストラであってもキャパシティに限界がある。一方、ポストクラシカルのライブは、積極的に音響機材を活用するため、スケールの大きなフェスにも対応することが可能である。


 三つ目は「他ジャンルとの融合と多様性」である。1960年代末、ロックの新しいムーブメントとして、クラシック音楽の思考性やジャズの即興性を取り入れた「プログレッシブ・ロック(通称:プログレ)」が生まれた。中でも、Emerson, Lake & Palmerはバルトークのピアノ曲「アレグロ・バルバロ」や、ムソルグスキーの「展覧会の絵」などをアレンジ。キーボーディストのキース・エマーソンの超絶技巧の演奏により、壮大かつ重厚なコンセプトアルバムを作り上げた。


 その点において、ポストクラシカルは、プログレのクラシック音楽版といえるかもしれない。ヨハン・ヨハンソンは90年代はパンクロック、ゼロ年代前半はハウスミュージックのミュージシャンだった。クラシックの若手ピアニスト、アリス=紗良・オットとの共作『ショパンプロジェクト』のリリースで知られるオーラヴル・アルナルズも、もともとはハードコア、メタルバンドのドラマーであった。彼らの音楽は、クラシック音楽の素養を活かしつつ、アンビエントやハウスミュージックのエッセンスを取り入れた「プログレッシブ・クラシック」とも言えるだろう。


 以上が、ポストクラシックシーンの特徴だ。


■ポストクラシカルの“鍵盤王”ニルス・フラームの魅力


 さて、ニルス・フラームである。彼は、1982年、ドイツ・ハンブルク出身の35歳。ポストクラシカルの旗手的存在のヨハン・ヨハンソンやマックス・リヒターより一回り下の世代だ。ヨハンソンやリヒターは作曲家、スタジオミュージシャンとしての側面が強く、ライブで前面に出る機会は少ない。一方、ニルス・フラームスはピアニスト、キーボーディストとして、ヨーロッパを中心に連日、積極的にライブ活動を展開している。


 彼はライブにおいて、グランドピアノのほか、エレクトリックピアノ、アナログシンセサイザーなど、あらゆる鍵盤楽器を駆使する点では、上記プログレのキース・エマーソンのような存在だろうか。それでも、彼の本領はアコースティックピアノにある。以下、ピアノに絞って彼の音楽を紹介したい。


 彼のピアノ音楽の特徴の一つは、電子的に蒸留され、精製されたような美しいピアノの響きではなく、あえてノイズを活かした素朴な響きにある。例えばピアノを弾いた際に隣同士の鍵盤がこすれるようなノイズや、調律が甘い弦同士(ピアノは一音につき、2本または3本の弦を同時に叩くことで発音する。通常は3本の弦のピッチをきれいにそろえる)の微妙なピッチの違いを活かすことで、どこか懐かしい空気を醸し出す。特に2011年の作品『Felt』では、そんな彼ならではのこだわりが十二分に発揮されている。


 その一方で、まったく新しいアコースティックピアノの響きにもチャレンジしている。例えば、アルバム『solo』(2015年)は、友人であるピアノ職人、デヴィッド・クラヴィンスが製作した「Klavins M450」の試作品で演奏された。「Klavins M450」は、高さ3.03メートル、響板の長さが2.75メートルある、究極のグランドピアノだ。


 我々が通常目にするグランドピアノが、現在の形になったのは19世紀後半である。以降、100年以上、88鍵というキーの数、フェルトのハンマーで叩くというメカニズム等、ピアノの形状は大幅に変わっていない。


 しかし、かつては作曲家やピアニストの要望に応えるように楽器が改良され、新しい音楽が想像される循環があった。19世紀の前半、ベートーヴェンからショパンが現代にも残るピアノの名曲を創作した時期は、ピアノという楽器そのものが改良されていった時代でもあった。また、1970年代、アナログシンセサイザーが世に出たのと同時に、ジャズ・ミュージシャンたちが積極的に取り上げ、フュージョンという新たなムーブメントが起きた。


 ニルス・フラームは100年前に完成した現在のグランドピアノに飽きることなく、新しいピアノの響きと音楽を追い求めているのだ。


 そして、今年1月、最新アルバム『All Melody』がリリースされた。作品の印象をひとことでいうと「多彩」。彼は、ピアノ、オルガン、チェレスタ、アナログシンセサイザー、ありとあらゆる鍵盤楽器を駆使。これまで述べてきたピアニストの側面と、ハウスミュージックのクリエイターとしての側面が融合した意欲作だ。また、これまでの作品群に比べて、ボーカルやコーラスを多用しているのも気になった。


 5月の来日公演では、『All Melody』の意欲的な成果をどのように披露してくれるのだろうか? 大いに期待したい。(鍵盤うさぎ)