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アウディWEC撤退で危機に陥った名門ヨースト、マツダ共闘のきっかけは「旧知の女性からの電話」

2018年03月01日 10:52  AUTOSPORT web

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マツダ×ヨースト・レーシング誕生の舞台裏。きっかけは「旧知の女性からの電話」
「みんな聞いてくれ。2017年は非常に厳しい1年になる。だけどこの1年間は基本給を払い続けるし、誰も辞めさせるようなことはしない。ただ、もし来年の8月、あるいは遅くとも9月の時点で次のプロジェクトが決まらなかったら、その時はチームを解散しようと思う。それでも、年末までは給料を払い続けるから、次の身の振り方を考える時間は充分あるはずだ。その間に各自どうするか考えてほしい」

 2016年シーズンの終盤、それまで20年の長きに渡って耐久レースのプログラムを続けてきたアウディが、LMP1プロジェクトからの撤退を決めた。アウディ・スポーツのスタッフやドライバーにとっても寝耳に水の決定。それは、長年アウディ・スポーツと組んで活動を続けてきたヨースト・レーシングにとっても同じだった。チーム創設者のラインホルト・ヨースト、その後継者であるラルフ・ユットナーは、できるだけ早く次の仕事を用意する必要に迫られていた。

 だが、すでに年の瀬は迫っている。翌シーズンからの「いい話」が転がっているわけはなかった。もちろん、“ヨーストと組んでレースをしたい”という話はいくつも舞い込んできたが、冷やかしのようなものがほとんど。また、ヨーストもユットナーも、いまさら吊るしのレーシングカーを購入してスポンサーを探したり、資金持ち込みドライバーを乗せてプライベーターとして活動するのは本意ではなかった。次もマニュファクチャラーと組んでの活動を、と考えていたのだ。

 マニュファクチャラーと仕事をするなら、どのシリーズがいいのか? そこでユットナーが足を運んだのが、ちょうど1年前、17年のデイトナ24時間レースだった。IMSAウェザーテックスポーツカー選手権にはDPi規定が採用され、次々に新たなマニュファクチャラーが加わってきており、今後も発展が期待されたからだ。そこでヨースト・レーシングの運命が再び大きく動き始める。

「とくに具体的な話があって出かけたわけではなくて、実のところ、デイトナでもアウディのホスピタリティにいたんだ。すると、僕がデイトナにいることを聞きつけた旧知の女性から電話がかかってきた。“マツダ・モーター・アメリカの代表、ジョン・ドゥーナンとの会談に興味はないか?”という話だった」

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 WEC世界耐久選手権におけるアウディの活動終了により、2016年限りで活動の場を失った名門ヨースト・レーシング。3月2日(金)発売のauto sport No.1476では、マツダとのジョイントチーム結成の舞台裏を関係者へのインタビューを交えてお届けする。



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