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パキスタン出身男性が主人公の恋愛物語、『ビッグ・シック』はなぜ観客から支持されたのか?

2018年03月01日 10:02  リアルサウンド

リアルサウンド

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 サンダンス映画祭で初公開された瞬間から、映画会社による争奪戦が繰り広げられたという恋愛コメディー映画『ビッグ・シック ぼくたちの大いなる目ざめ』。低予算映画ながら評判を呼んで興行的にも好成績を収め、現在までに15の映画賞を獲得、81ものノミネートを果たし、来るアカデミー賞では脚本賞候補に食い込むなど大健闘を見せた作品だ。ここでは、そんな本作が話題を集め、観客から支持された理由に迫っていきたい。


参考:ジム・ジャームッシュの到達点となった『パターソン』、その深いテーマを徹底考察


 原因不明の病気によって、昏睡状態になることを余儀なくされた一人の女性。眠り続ける彼女の目覚めを待ち続ける一人の男性。『眠れる森の美女』のようなロマンティックな設定だが、本作は実在のカップルの身に本当に起こった出来事を基にした物語が描かれている。そう聞けば、感動の「難病恋愛もの」なんだろうと思ってしまうが、全体に散りばめられたユーモアが、本作をより軽やかなロマンティック・コメディーに仕上げている。それもそのはずで、主人公の男性クメイル・ナンジアニは、舞台に立つパキスタン出身のコメディアンなのである。彼のユーモアととぼけたキャラクターが、ややもすると重くなってしまう本作の印象をガラリと変えているのだ。そのクメイルを、実在するクメイル・ナンジアニ本人がそのまま演じている。


 日本では、パキスタンは比較的馴染みが薄い国というイメージがあるが、それはアメリカも同様で、クメイルは出自を活かして、知られざるパキスタンのネタを面白おかしく語ることを舞台でネタにしていた。そのネタ中にヤジをとばしてきた大学院生の女性エミリーを、クメイルは終演後に酒の席で口説き落とし、自分の部屋に連れ帰ってしまう。翌朝、酔いが冷めた彼らは、車中で「もうお互い会わない方がいいよね」と意見の一致を見せる。これが、おとぎ話らしくはないクメイルとエミリーの出会いのエピソードだった。2人の関係の障壁となるのは、「親が見つけた相手と見合い結婚する」という、パキスタン家庭の風習である。エミリーはパキスタン人でもイスラム教徒でもないため、クメイルは家族に彼女を紹介できないのだ。


 パキスタン出身の男性を主人公にした恋愛物語というのは、従来のアメリカ映画の常識からいうと、ちょっと考えにくい題材である。下手をすると、「ホワイトウォッシュ(本来の人種を差し置いて、主役を白人に置き換えることで特定の人種の職を奪うこと)」されていたケースであったかもしれない。だが、状況は変わった。いまやアメリカ映画界は、人種を含めたあらゆる多様性が最も重要なトピックとして注目される先進的なフィールドとなっているのだ。本作は様々な人種が共存するアメリカの実相を表した題材によって、まさにアメリカの多様性を代表する作品の一つとして機運に乗ることに成功したといえよう。


 本作では、クメイルがイスラム教圏のパキスタン人であるということだけで、「ISIS(イスラム過激派組織)へ帰れ」などと差別的な中傷にさらされる場面もある。アメリカとパキスタン、異なる文化風習の間でクメイルが苦悩するように、社会を形成する一人ひとりもまた、あらゆる面で多様化していく社会状況に合わせ、知識を深めたり寛容な態度をとることなしには共存することはできない。そのことを、家庭環境が全く異なった男女の恋愛を描いた本作の存在そのものが雄弁に語っている。


 面白いのは、恋愛描写に妙なリアリティがある部分だ。相手に拒絶される可能性を考えながらお互いが気のない振りをしたり、クメイルの部屋が狭過ぎるため、エミリーが「トイレに行きたい」と言い出しにくいという問題が発生するなど、恋愛における実際的なあれこれが次々に飛び出してくる。このように、男女それぞれのリアルな視点によって理想化されない関係が描かれていくのは、クメイルとエミリー本人が、3年間の歳月をかけて本作の脚本を書いているためであるだろう。このことによって本作の物語は、深い実感とフェアな客観性とを保ちつつ進行する。これは、リチャード・リンクレイター監督の恋愛映画『ビフォア・サンライズ 恋人までの距離(ディスタンス)』シリーズの2作目、3作目で、監督に加え男女の主演俳優二人が、セリフの内容など脚本に参加した手法に近い。


 エミリーを演じるゾーイ・カザン(『ルビー・スパークス』)は、本人がキュートだということ以外に、この練り込まれた脚本によって、いきいきとした魅力を獲得している。ホリー・ハンターが演じるエミリーの母は、ゴシック・ファッションにはまって墓場でポーズをとったエミリーのむかしの写真をクメイルに見せてくれるが、そんな過去を含めて、クメイルが彼女のすべてに愛情を深めていく様子がひしひしと伝わってくる。


 その後、そんなリアルな物語は、現代の“おとぎ話”のような驚きの展開を迎えることになる。数々のコメディー映画を制作、監督業にも携わり、自身もコメディアンであるジャド・アパトーが、同じくコメディアンとして親交のあったクメイル本人からこの実話を聞いて驚き、今回の映画化の企画が進行することになったという。


 おとぎ話のような物語とはいえ、「永い眠りから目覚めた王女と、王子様が熱い抱擁をしてハッピーエンド!」…というような安易な結末にならないところが、本作のすごいところだ。おとぎ話とは第三者によって語られるものであり、王子と王女の恋愛物語は「Ever After…(そして永遠に…)」と結ばれる。だが本作『ビッグ・シック ぼくたちの大いなる目ざめ』は、おとぎ話の主人公たち本人よって実感を込めて語られるという、例外的な物語だ。王子と王女はつくりものの予定調和の物語に収まるのでなく、自分たち自身が物語の展開を能動的に選び取り、未来を作っていくのである。その意味で本作は、まさに奇跡的な一作として存在感を放ち、その背景にある本物の心情が多くの観客の心を動かすことになったのだ。(小野寺系)