星野源のニューシングル『ドラえもん』が、本日2月28日にリリースされた。タイトル曲“ドラえもん”はテレビアニメ『ドラえもん』のエンディングテーマであり、3月3日から公開される『映画ドラえもん のび太の宝島』の主題歌でもある。
“ドラえもん”。あまりにも直球なタイトルだ。驚くと同時に、しかしすこし不思議な納得感もある。星野源が現代において『ドラえもん』の主題歌として“ドラえもん”という楽曲を歌う。そこにはどんな意味があるのか。考察していきたい。
■普通の人たちだって、未来を作れる
2月27日に発売された『週刊朝日』で表紙を飾った星野源。インタビューでは『ドラえもん』についてこう語っている。
<ヒーローじゃなくても、めちゃくちゃ強くなくても、普通の人たちだって、未来を作れるんだっていう。ひみつ道具もすべて人間の叡智の力ですしね。普通の人間たちの物語なんです。そういう勇気を「ドラえもん」からもらってきました。(『週間朝日』3月9日拡大号 「星野源インタビュー」より)>
小さい頃には『ドラえもん』を見るだけの「何者でもなかった」自分が、大人になり、その作品に楽曲を提供するまでになったこと。ストレートに“ドラえもん”と名付けられた楽曲には、「自分で未来を変えられる」という気持ちが込められていることも明かされている。
■ドラえもんの先輩? アメリカの黒猫
『ドラえもん』の連載が始まったのは終戦から24年後、アポロ11号が人類初の月面着陸を果たした1969年。世界各地で反戦運動や学生運動が行われる一方で、日本のGDPは前年の1968年にアメリカに次ぐ世界第2位となった。翌年に大阪万博を控え、戦後の高度経済成長が勢いづいていた時代だ。
そんな時代を背景に描かれた『ドラえもん』。そのキャラクターの着想については諸説あるが、注目したいのは米澤嘉博が指摘した、先行するアメリカの漫画『フィリックス・ザ・キャット』との類似である。この漫画では黒猫のフィリックスが、なんでも取り出すことができる魔法の黄色いかばんを使って活躍する。
フィリックスとドラえもんの相違は少なくない。魔法と未来の技術。すらっとしたフィリックスと、ずんぐりむっくりなドラえもん。色に注目すれば、黒猫のフィリックスに対して、ドラえもんはアメリカ的な、星条旗を意識したカラーリングと見えないこともない。
ドラえもんは遠い未来からやってくる。初期は「21世紀から」の設定だったらしいが、その後「22世紀から」に変更されたというエピソードもあるが、ようするに「遠い未来から」である。高度な繁栄と技術力をもち、それでいながら、丸みとおかしみと、そして優しさをもった未来。その象徴としてのドラえもん。あの漫画には、熱狂に沸く時代の片隅で藤子・F・不二雄がひそかに思い描いた、希望が込められていたのかもしれない。
■戦後日本ポップカルチャーと星野源
戦後日本のポップカルチャーは、欧米、とくにアメリカとの関係性によって発展してきたというのが通説だ。模倣、翻案、あるいは反発。漫画やアニメだけでなく、ポップミュージックにおいても同様である。
アメリカ音楽を「発見」したヴァン・ダイク・パークスとの親交をはじめ、アメリカと深く関係を結びながら、同時に、白人でも黒人でもない黄色人種として「YELLOW MAGIC ORCHESTRA」を自ら名乗った細野晴臣は、そのことにきわめて自覚的なミュージシャンである。その細野とほとんど師弟関係にある星野源。2015年にはその名も『YELLOW DANCER』と題したアルバムを発表している。星野も日本のポップカルチャーの「核」を身の内に育んでいるアーティストの1人と言えるだろう。
■必ず辿り着くから、君をつくるよ
シングル『ドラえもん』の中で、聴きどころの1つとなるのが4曲目に収められた“ドラえもんのうた”の弾き語りカバーだ。ここではアメリカのルーツミュージックを経過したアコースティックサウンドと、日本の「国民的サブカルチャー」が直接的に触れ合っている。とはいえ大仰さは感じさせず、まるで「畳と押入れの部屋」にいるかのような安心感である。この曲にかぎらず、シングル全体を通してリラックスした日常感覚や、素朴な味わい深さが基調となっているのは、星野ならではのバランス感覚といえるだろう。
もう一度、1曲目の“ドラえもん”を聴いてみよう。星野源は、軽やかにこう歌う。
<背中越しの過去と 輝く未来を 赤い血の流れる 今で繋ごう 僕ら繋ごう>
そしてサビでは、今ここにはいない「ドラえもん」に向けて、こんなふうに語りかける。
<ここにおいでよ 一緒に冒険しよう 何者でもなくても 世界を救おう いつか 時が流れて 必ず辿り着くから 君をつくるよ どどどどどどどどど ドラえもん>
それは、私たち自身の手で作るしかないのだ。たとえ私たちが何者でもなくても。