荒木経惟の展覧会『The Incomplete Araki: Sex, Life, and Death in the Work of Nobuyoshi Araki』が、アメリカ・ニューヨークのセックス博物館(Museum of Sex)で開催されている。
2002年にオープンしたセックス博物館はその名の通り「性の博物館」。ニューヨーク近代美術館(Museum of Modern Art)が「MoMA」の愛称で親しまれるように、「MoSEX」の通称で呼ばれ、人間のセクシュアリティや性風俗に関する歴史や進化、文化的な重要性を保護し、広く公開するというミッションのもとで運営されている。
昨年は日本でも東京オペラシティアートギャラリーや東京都写真美術館といった大きな会場で荒木経惟の個展が行なわれたが、緊縛ヌードをはじめとするエロティックな作品を多く発表している荒木と、「性」をテーマにしたセックス博物館の組み合わせは、日本では見ることのできない化学反応を起こしそうだ。
■『未完成なアラーキー:荒木経惟の作品におけるセックス、生活、死』
およそ50年にわたって写真における「親密さ」の役割が複雑であることを示しながら、挑戦を続けてきた荒木。日本語で『未完成なアラーキー:荒木経惟の作品におけるセックス、生活、死』と題された今回の展覧会では、約150枚のプリント、500枚のポラロイドが展示されている。荒木の写真とは切り離せないテーマや議論を通して、膨大な数の作品を制作してきた荒木の写真家としてのキャリアを見つめ直す回顧展だ。
展覧会では「『狂人』『変態』そして『天才』と呼ばれてきた」と荒木を紹介。エロティックで挑発的である一方、非常にパーソナルでしばしば議論を呼ぶその作品群は、日本国内でも海外でも、セクシュアリティとアートにまつわる複雑な議論の座標軸であり続けていると評する。
■「論争;写真家とモデルの関係」――女性モデルによる性的虐待告発にも言及
会場は博物館の2階と3階の2フロアを使用。2階では「論争」「戦後日本」「芸術的アイデンティティ」、3階では「強迫と情熱」といったキーワードで作品を掘り下げる。
「論争」のセクションは「アラーキー vs. 日本」「アラーキー vs. 西洋」「写真家とモデルの関係」といったテーマに細分化されている。そこでは性器が写っている作品はわいせつとしてモザイクがかけられる日本の法律に触れながら、露骨な性表現を多く含む荒木の作品がしばしば議論の対象となる一方で、『東川賞』など自治体が与える賞を受賞しているパラドックスや、国際的な評価の背景にあるエキゾチシズム、オリエンタリズムといった西洋からの視点に着目。
さらに「論争;写真家とモデルの関係」の展示では、緊縛ヌードなどの作品は同意に基づく性の解放や親密さを表しているのか、それとも性差別的な女性の「性的対象物化」なのかという問いを投げかける。
2017年にかつてモデルをしていた女性が、19歳の時に荒木に性的虐待を受けたとFacebookで告白した。この女性は当時病院に通うほどの精神的ショックを受け、荒木の作品や顔を見ると今でも吐き気を催すことや、ほかにも被害者がいることを知っていると綴った。
展覧会ではこの出来事にも触れ、荒木の作品にまつわる議論は作品の受容のされ方や意味に限定され、同意の有無に関する問題や権力の濫用の可能性といった視点が盛り込まれることは非常に少ないと指摘。男性写真家、それも有名な写真家である場合、女性の身体を使った芸術行為への合意形成における力関係を操ることができる、と問題提起している。
■#MeTooの時代、改めて問題提起する意欲的な試み
もちろん本展で扱うのはセンセーショナルなヌード写真のシリーズばかりではない。
妻・陽子との日々を切り取った『センチメンタルな旅』をはじめとする「私写真」の数々、キャバレーや風俗店、パチンコ、無数の飲み屋などがひしめく東京・歌舞伎町の夜の姿を捉えた1990年の『東京ラッキーホール』などの作品も紹介。さらには作品の流布やメディア、形態の重要性をテーマとした、無数の写真集で構成される巨大でインタラクティブなインスタレーションも登場する。
荒木の約半世紀におよぶキャリアをテーマごとに総括すると共に、荒木と女性モデルの関係性といった問題提起も孕む本展。海外メディアの反応を見ると#MeTooの時代に改めて荒木の作品や女性の性的対象物化について考え直すことのできるタイムリーな展示だと評価する声も多いが、果たしてニューヨークの観客の目にはどのように映るだろうか。現代の文脈で作家を捉え直す意欲的な展示であることは間違いなさそうだ。
展覧会は8月31日まで開催中。ニューヨークを訪れることがあれば、「セックス博物館」の名前に臆することなく入場してみることをお勧めしたい。