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深川麻衣演じるヒロインが最大の魅力に 『パンとバスと2度目のハツコイ』の“孤独”という名の繭

2018年02月26日 16:52  リアルサウンド

リアルサウンド

 フランスパンで殴られてケガをするなんて、本当はない。コインランドリーの「孤独」と名のついた本だらけの本棚とその本棚を守る子供はいないし、女の子の手を逃れて空を舞うビニール袋を初恋の人が偶然拾う……なんていうこと、本当はないのだけれど。でも、あの空を舞うビニール袋は“永遠”という言葉が相応しく、そのあまりの美しさに思わずため息が出てしまう。


参考:深川麻衣×今泉力哉監督『パンとバスと2度目のハツコイ』対談 深川「シンプルだからこそ難しい」


 元乃木坂46の深川麻衣と、三代目J Soul Brothersの山下健ニ郎による恋愛映画『パンとバスと2度目のハツコイ』。乃木坂46のPVをはじめ、映画『サッドティー』、『知らない、ふたり』や『退屈な日々にさようならを』などの今泉力哉監督が描いた。


 深川麻衣演じる市井ふみは、パン屋で働いている。周りで結婚する人も増え、少し焦ってくる頃、彼女自身は「私をずっと好きでいてもらえる自信もないし、ずっと好きでいる自信もない」、「私は多分1人になりたくなっちゃう人なんだと思う」とごちゃごちゃと考える。いわゆる「こじらせ女子」と定義づけされてはいるが、25歳前後の独身女性は、誰しも似たような感情を持ったことがあるのではないだろうか。


 そんな彼女が中学時代の初恋の人、山下健ニ郎演じる湯浅たもつと出会うことで物語は始まる。たもつに惹かれるふみと、別れた妻のことを未だに好きで、再婚したいと思っているたもつ、さらに今は結婚して子供もいるが中学時代ふみに恋愛感情を抱いていた伊藤沙莉演じるさとみも加わり、過去と現在ともに「全員片想い」という、もどかしくてしょうがない恋愛模様が繰り広げられる。


 冒頭、ふみは妻と不倫相手がフランスパンを片手に修羅場を演じている様子をボーッと見つめている傍観者にすぎない。傍観者のふみは、お昼時にパンを食べながらバスの洗車を眺めるのが趣味だ。端っこに佇み、外側からじっと、水しぶきを浴びるバスを眺めていた彼女は、やがてバス会社で働くたもつに頼み、バスの内側から洗車風景を見つめることになる。その時、それまで自分の話をしたがらなかった彼女が、進んでたもつに自分の過去の恋愛と恋愛観を語る。さらには、別れた妻への愛を語るたもつに対し「なんかすっごいムカツク」と冗談めかして、俄かに本音を滲ませる。それは、彼女自身がもう傍観者でいられなくなった証拠だ。彼女自身が恋のうねりの中に巻き込まれつつある。


 この映画の最大の魅力は、市井ふみというヒロインそのものだ。今泉監督が描く「女の子」、「恋」というものは、異様に瑞々しく煌いた、ちょっと不思議で、妙に切ない生き物である。そして、この市井ふみという存在は、その最たるものであるように感じた。


 目薬を両目にさし、目から零れた雫を拭う。ふみが何度も繰り返す、その一見ありふれた行為がどこか特別で、神秘的に映るのはなぜだろう。あるときは酔ってそのまま眠ろうとするふみの上に乗った妹・ニ胡(志田彩良)が、目に丁寧にさしてあげる雫。こぼれた雫を拭ったふみは、そのまま手を滑らせて枕の傍の電気のスイッチを消し、眠りに落ちる。またあるときは、水道の蛇口からポタッ、ポタッと落ちる水滴のショットと重ねて、ふみが自分で両目に目薬をさす様が示される。そして、その行為をなぜかちょっとだけ沈黙して見つめる登場人物たちの姿が、余計に観客を奇妙な心地にさせるのだ。


 この目薬をさすという行為には、2つの意味が考えられる。


 1つは彼女が緑内障であるということ。「日本人の失明原因の第1位」であるその病気は「毎日1回決められた目薬をさすだけ、それを怠らなければ」失明することもないと彼女は言う。「それを怠らなければ」という含みは、これから起こる物語にちょっとしたスリルを与える。日々を淡々といつもの流れでこなしていく彼女に、これからいつもと違うことが起こるのではないか。そう観客に思わせるとともに、自分とは違う、小さなスリルを持ちあわせた姉の特別な習慣は、妹をしばし沈黙させ、凝視させるのである。


 もう1つは、彼女は常時擬似的な涙を流し、それを拭うという行為を繰り返しているということだ。だが、1度だけ本物の涙を流すことがある。中学時代、自分のことを好きだったさとみと再会し、彼女が「今は幸せ」と答えたときだ。彼女は突然涙し、「なんでだろう、変なの」と言う。涙の理由はそのままに物語は進んでいく。


 この目薬で瞳を潤す、カバーするというイメージは、ふみの好きなバスの洗車を内側から見た光景と似ている。窓の外が大量の水で覆われた、ある意味水の繭で保護された世界。その中では、ふみと違いねじれていない真っ直ぐな好青年といった雰囲気のたもつでさえ物憂げだ。彼もまた孤独を抱えている。


 水に覆われた洗車中のバスと彼女の目薬、そして孤独のコインランドリー。それはどれも登場人物たちを守ってくれる「孤独」という名の繭のようなものだ。


 幸せなだけの恋愛映画は好きじゃない。いつも少しだけ淋しくありたい、あなたのための映画だ。(藤原奈緒)