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なぜオタクは好きな作品を語るときに「売上」を持ち出すのか 「日本人は単純なカタログスペックしか理解できない」という極論

2018年02月25日 09:11  キャリコネニュース

キャリコネニュース

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確定申告の時期は毎年憂鬱になる。税理士に任せておらず、自分でやっているのでミスをしたらダイレクトに自分が損をする。そんな緊張感には、何年やっても慣れることがない。

その上、昨年度の売上。これもなかなか笑えないほどに低くて「ああ、本当に俺は需要がないんだなぁ」と思うほかなくなる。おお、そうだ。売上といえば、今回は、オタクと売上を絡めた話をしてみたい。(文:松本ミゾレ)

数字は確固たる評価基準!批判を受け流す盾にもなる!という見方ってどうなの


先日、大手の匿名掲示板「2ちゃんねる」に「なぜアニメオタクは自分の好きな作品を売上で語るのか?」というスレッドを見つけた。

アニメオタクは自分の好きなアニメ作品のことを誇らしく思う根拠の一つに、売上を挙げる傾向にあるというのだ。数字はたしかに大事だ。世の中の大人は大抵、売上を確保するために何かやっている。アニメの場合は作り手側に利益が入ることが大切なポイントである。

だが、受け手であるオタクがその数字を、いちいちチェックしては作品の優劣を考えるというのは、ちょっとよく趣旨が分からないというのが僕の正直な気持ちだ。ただ、彼らが実際どう考えているのかについて知りたい欲はある。スレッドにはこんな声があった。

「アニオタに限らずどのジャンルでも数字という確固とした評価基準を信望してる連中は存在する」
「『あなたの感想ですよね』攻撃をかわす数少ない要素だから」
「日本人は分かりやすいカタログスペックしか理解できないんだから仕方ない」

と、ざっとこんな感じである。一つ気になるのは「日本人は分かりやすいカタログスペックしか理解できない」という意見である。これって結構図星なんじゃないだろうか。

車を買うにせよ、ちょっと値の張る家電を買うにせよ、カタログスペックを最初に重視して、デザインや、本当に役に立つのかといったことが二の次になっているところが、多分多くの人に当てはまる。アニメオタクの中にも、好きな作品を自分の言葉で語ることができなくて、結局売上という具体的な数字を持ってきてしまう人が多いんだろう。

送り手側が気にすることを受け手が必要以上に気にするのは滑稽では?

というかアニメに限定しなくても、何かと数字に固執したオタクって多い気がする。たとえば僕は特撮オタクだけど、しばしば仮面ライダー派とウルトラマン派が不毛なバトルをするときに「ライダーは視聴率が高い」とか「ウルトラマンは50年以上の歴史が」とか言い合うのを目にしてきた。

視聴率も、シリーズの継続年数も数字という共通点がある。最近では子供向けのおもちゃの売上なんかも、別にそんなの知ったところで意味がないのに、いい大人のオタクたちがわざわざ調べてきては、「おもちゃが売れないからクソ」とか言っていたりもする。

アニメ関連のオタクの習性には詳しくない自分も、「円盤(ブルーレイディスク)の売上が悪いから駄作」みたいな暴論ぐらいなら、僕もしばしば目にしてきた。なんというか、作品の良し悪しを中身では語らず、付帯する数字で判断して優劣をつけているという感じがしてならない。

送り手側が気にするべきところを、消費者が「ああでもないこうでもない」と議論するのは、僕は滑稽に思える。ちょっと暴論だけど、最近のオタクって、作品のテーマやストーリーについての洞察をすることより、数字でマウント合戦することに終始していないか?

たしかに売上が悪いと続編が作られない、といった心配はあるが、基本的に数字は消費者が気にするようなものではない。それよりも、もっと話題にすべきところはいくらでもあるように思える。時に今期は普段アニメを観ない僕も「ポプテピピック」と「バジリスク 桜花忍法帖」だけはチェックしているが、どちらもネットの反応を見ていると感想が表面をなぞるだけで、読んでいてもやもやしてくる。

SNSではその傾向はより顕著で、「これは爆死w」とか「はいクソ」「円盤売れない」など、短い定型文ばかりではないか。一口味わって吐き捨てるなんて勿体ない。何度も何度も噛み締めれば、さすがにもうちょっと違う感想が出てくると思うんだけどねぇ。