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“24時間俳優”大杉漣が遺したもの 映画評論家・荻野洋一がその功績を振り返る

2018年02月23日 07:42  リアルサウンド

リアルサウンド

 2月21日、俳優・大杉漣氏が亡くなった。ドラマ、映画と数え切れないほどの作品に出演し、多くの映画監督・作家に愛された。現在放送中のドラマ『バイプレイヤーズ~もしも名脇役がテレ東朝ドラで無人島生活したら~』(テレビ東京系)でも、主要キャストのひとりとして出演、その姿を楽しみにしていた視聴者も多かったことだろう。


 昨年発売された書籍『映画監督、北野武。』(フィルムアート社)で、大杉氏にインタビューを行った映画評論家の荻野洋一氏は、大杉の人柄について次のように語る。


「大杉さんは“24時間俳優”と自らのことを称していました。転形劇場で舞台俳優としてキャリアをスタートさせ、ピンク映画作品への出演、そして1993年の北野武監督作『ソナチネ』で飛躍を遂げていきます。大杉さんは、『(転形劇場があった)三分坂を昇り降りしていたあの日から、私は一度として休んだことはなく、24時間、死ぬまで俳優であり続ける』と宣言していました。気さくであり、活気に満ちた話し方をしてくださるので、インタビュアーも思わず気持ちよくなってしまう、そんな暖かさを持ち合わせている方でした。大杉さんは演技を上手く魅せようという考え方ではなく、どうやってその作品に居ればいいのか、それを一番大事にされていたように思います。現場でスタッフ・共演者といかにいい関係を結べるか、作品の中の登場人物としていかに溶け込めるのか、それをずっと考えながら演じ続けていたそうです」


 『ソナチネ』出演時が43歳ということもあり、大杉氏のことを“遅咲き”と呼ぶ声もあるが、大杉本人はその意識はまったくなかったようだと、荻野氏は振り返る。


「大杉さんは“下積み”という言葉が嫌いでした。劇団で活躍していた時間も、ピンク映画へ出演していた時期も、自分にとっては全力で打ち込んだいい日々だったと。下積みの苦しい時期を乗り越えて、ようやく花開いたという感情はまったくないとおっしゃっていました」


 荻野氏は、自身が演出を手がけたWOWOWのサッカー番組の番宣企画に、大杉氏が出演した際のエピソードを次のように振り返る。


「日本代表のストライカー、高原直泰氏がドイツ・ブンデスリーガのハンブルガーSVに移籍した2002年、彼の移籍を応援するCMに大杉さんが出演してくださりました。「高原ー!!」と大杉さんが叫びながら椅子をぶん投げるという奇異なものだったのですが、その演出を気に入ってくださって。その後もヨーロッパ選手権の特番などにも出演してくださり、本当にサッカーへの情熱を持った方でした。あれだけの出演作があるわけですから、時間も限られていたと思うのですが、世界の全リーグを観られる体制は常に取っていたそうです」


 改めて、大杉氏はどんな魅力を持っていた俳優なのか、荻野氏は次のように語る。


「芸術映画にも出ているし、エンタメ映画にも出る、そしてバラエティにも溶け込める。分け隔てなく、“大杉漣”として、常に作品の質を上げる努力をされていた印象です。芸能人としての自分という優先順位は低くて、現場では常に監督・製作陣の意向を大事にされていた方だと思います。『役者として自分がやりたいことを表現しても、それを監督がすべて受け入れる必要はない。監督が削ぎ落としたものの中に自分が居ることができればいい』とおっしゃっていました。かつて、『ゴダール(アート作品)とマキノ雅弘(娯楽作品)を同じ地平で愛することができるのが映画への愛だ』と言われてきましたが、観客の立場であればそれは容易だと思います。でも、それを作品に出演する役者として、ずっとやっていくことはとても難しいことです。大杉さんのフィルモグラフィーを見れば、彼が切り開いたもの、残したものはとてつもなく大きいものだったと改めて感じます」


 当たり前のようにその活躍を観ることができた俳優が、突然いなくなってしまう事実に、大きな喪失感を持った方も多いのではないだろうか。大杉氏が切り開いた道を受け継ぐ俳優が現れることを期待しながら、彼の出演作を改めて振り返りたい。(石井達也)