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チャン・ハンユーと福山雅治の“正義を信じる心” 『マンハント』はジョン・ウーの希望の結晶だ

2018年02月17日 13:22  リアルサウンド

リアルサウンド

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 あのジョン・ウー監督が、日本を舞台にアクション映画を撮った。しかも、チャン・ハンユー(『戦場のレクイエム』)とともに福山雅治を主演に据えた、70年代の日本映画のリメイク作品である。タイトルは、「人間狩り」を意味する『マンハント』だ。


参考:ジョン・ウー監督が語る、『マンハント』キャスティングの背景 「福山雅治さんは感受性の強さ」


 本作のオープニングは、異様な空気に包まれている。港町に演歌が流れ、日本情緒あふれる小料理屋にぶらりと一人で入ってくるのは、チャン・ハンユーが演じる、リメイク元の作品で主演を務めていた高倉健をイメージしただろう無骨な印象の男。その店で和装の美しい女将と、静かに昔の映画の思い出を語り酒を味わっていると、乱暴なヤクザたちが店に押し掛けてくる。


 昭和の仁侠映画かと思うような時代錯誤的なこのムードは、ジョン・ウー独特のハードなアクション描写によってすぐにかき消されることになるが、とにかく「こういうのがやってみたかった」という、監督による往年の日本映画へのストレートな愛情が伝わってくる。そう、本作は70歳代に突入したジョン・ウー監督の趣味が前面に突出しまくった映画なのだ。


 ジョン・ウー監督といえば、とりわけ『男たちの挽歌』に代表される、男の美学的な生きざまや死にざまを描くノワール・アクションによって、香港の内外で爆発的な人気を勝ち取った監督だ。飛び交う大量の銃弾と血しぶき、スローモーションを多用して見せる二挺拳銃アクション、何でもありのエクストリームな活劇のアイディアなどがつめこまれた、凄惨なバイオレンスとあざといまでの耽美ムードの融合によって、そこには唯一無二の世界が生み出されている。


 このような圧倒的な表現への人気はアメリカにも波及し、90年代にハリウッドでのキャリアをスタートさせてから、スタイリッシュなアクションが高い次元で一つの完成を見せた傑作『フェイス/オフ』や、話題作『ミッション:インポッシブル2』を撮ったことで、娯楽映画のトップ監督としてワールドワイドな存在となった。『マンハント』では、そんな国際派のウー監督らしく、コミュニケーションツールとしての英語や、中国や日本の言語が飛び交う、越境的な作品となっている。本作はそのような独特な世界観に、自然にナルシシズムがしみ込んでいる福山雅治がマッチしているというのが意外な発見であった。


 本作のリメイク元となった、高倉健主演・佐藤純彌監督の『君よ憤怒の河を渉れ』(1976)を観たことがある観客ならば誰もが思うだろう…「これ、元の作品と違うじゃないか」と。サスペンスが中心だった内容は、ジョン・ウー製ハードアクションへと生まれ変わった。拳銃、マシンガン、スナイパーライフル、さらに車、バイク、ボートを使ったおなじみの攻防はもちろん、ジョン・ウーの実の娘が演じる謎の女性アサシンのタッグチームの強襲や、福山雅治とチャン・ハンユーが演じる、刑事と容疑者による手錠に繋がれながらの立ち回りが見どころだ。そこから日本刀を投げ渡されて一閃、襲い来る敵を斬りつける描写は、『男たちの挽歌 II』でも見られたアクションである。


 とはいえ、『君よ憤怒の河を渉れ』には手錠を効果的に使った映画だという印象は薄い。手錠といえば、むしろ同じく高倉健主演作『網走番外地』の方を想起させられる。ジョン・ウー監督の作家性の根幹にあるのは、往年の日本映画である。監督本人が公言しているように、「男の世界」を描いた作風は、『網走番外地』シリーズの石井輝男監督や、『仁義なき戦い』シリーズの深作欣二監督などの作品からも深い影響を受けている。それはギャング文化における美学的な要素のみにとどまらず、石井輝男監督が多用した素早いズームや、深作欣二監督の躍動感のあるカメラの動きなど、演出部分にまで及ぶ。


 『君よ憤怒の河を渉れ』や、任侠映画などにおいて高倉健が演じていた役柄は、組織や権力のなかで自分を曲げずに「正義」や「仁義」を通す大衆的ヒーローである。それは経済優先、功利主義にひた走る日本社会への一種のアンチテーゼとしても機能し、それゆえに日本では学生運動に身を投じる若者たちの象徴的存在に祭り上げられていた。


 ウー監督の代表作の一つである『男たちの挽歌』で描かれたのは、香港社会の権力構造に押しつぶされ未来を閉ざされた男たちだった。彼らは香港の夜景を見つめて「この美しさも、うわべだけだ」とつぶやく。本作における、社会の犠牲となるホームレスや、大企業の力によって捜査を握りつぶされる刑事の無念が示すのも、発展した都市のきれいな遠景とは裏腹な、汚い社会の仕組みだ。


 若かりし時代のジョン・ウーの胸を熱くさせたのは、そのような仕組みや法律を超えた精神的な高潔さを描いた、日本の「任侠映画」的な価値観である。「任侠」ということばのルーツを辿ると、中国の春秋時代にまで行き着く。中国の文化を源流とする概念が日本映画のヒーロー像をかたちづくり、また中国(香港)の映画人が新しいヒーローを作る。そしてそれが『マンハント』というかたちで、また日本に凱旋して来たのである。その映画のなかでは、チャン・ハンユーと福山雅治が演じる男たちが、日本人だから、中国人だからという民族的なこだわりよりも、さらに普遍的な、真実を追い求める心、正義を信じる心によって連帯し共闘する。


 本作のラストでつぶやかれる「For A Better Tomorrow(より良い明日のために)」というセリフは印象的だ。“A Better Tomorrow”とは、『男たちの挽歌』の英語タイトルでもある。二つの国の俳優やスタッフたちによる交流、そして映画という文化による交流は、根深い対立感情が存在する両国が、理解し合えるという一つの実績であり、希望である。『マンハント』は、世界が「より良い明日」を迎えるために、ジョン・ウーだけの、ジョン・ウーならではの方法で撮られた希望の結晶なのだ。(小野寺系)