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ポップアートとしての『ポプテピピック』ーーその先進的構造の背景を読み解く

2018年02月17日 10:02  リアルサウンド

リアルサウンド

 とんでもないTVアニメシリーズが出現してしまった。いろいろな意味で破壊的な内容が話題となっている『ポプテピピック』である。爆発的な人気と注目を集めながら、自ら「クソアニメ」を名乗るこの作品、一体何が凄いのか、どう新しいのか。ここでは新設されたリアルサウンド「テック編集部」独自の方向から本シリーズをじっくりと解剖し、分析していきたい。


参考:クソアニメ『ポプテピピック』なぜ話題に? 構成センスとパロディ要素から紐解く


■批判を寄せつけない「クソ漫画」の先進的構造


 竹書房『まんがライフWIN』連載の“大川ぶくぶ”の4コマ漫画が本作の原作である。背が小さくキレやすい“ポプ子”と、顔の長い“ピピ美”という2人の女子中学生が、意味不明の遊びをしていたり、世の中のムカつくものに暴力を振るったり、理由なく漫画、アニメ、ゲーム、映画など既存の作品のパロディー行為をひたすら繰り返しているという内容だ。とくに現在の30代くらいの年代が反応できるようなパロディーネタが多いが、それらネタが複合的に提示されることも多く、マニアック過ぎて分かりにくいものもある。


 一見して、日常系+不条理系の混合的なジャンルだと思えるが、そのふざけたキャラクター・デザインからは、美少女が登場するようなタイプの日常系4コマ漫画というジャンルをあざ笑っているかのような批評的姿勢が垣間見える。


 4コマをいくつも読んでいくと、なんとなく頭に浮かんだテキトーなセリフで1コマ目を始めているんだろうなと思えるようなユルい雰囲気で、グダグダに終わるようなケースも多い。だが、この作品は自ら作中で「クソ漫画」を名乗ることで、つまらないと思うようなネタが入っていたとしても、「クソなんだからしょうがないだろ」と、それ自体もネタにしてしまうという、とんでもなくズルい構造になっているのだ。


■連続で「再放送」が流れる狂気


 その構造は、アニメ版にも引き継がれている。本作『ポプテピピック』を見て驚愕した点はいろいろあるが、そのなかで最も仰天したのは、30分枠の放送時間のなかで、同じ内容のエピソードが2回流れるという点である。オープニングとエンディングを含めて、「再放送」と称して15分弱のアニメが連続で繰り返されるのだ。これは一体何なのか。


 プロデューサーの発言によると、当初15分枠のショートアニメとして制作を進めていた間に、30分番組としてTV放映したいと考えるようになり、時間を延ばすためにこのような変則的な構成を思いついたらしい。通常ならあり得ないことだ。“TV局への納品物として致命的な欠陥がある”レベルである。本作はここで原作同様に「クソアニメ」を自ら名乗ることで、「クソだからしょうがないだろ」という無理矢理なロジックで押しきっている。


 アニメ製作者たちの負担が半分になっているという事実は見逃せない。これには多くのアニメスタジオが、「こんなことが許されるんなら、うちだってやりたいよ!!」と思ったのではないだろうか。しかもそれが話題を呼んで好評だというのだから、なおさらだろう。だがこれを単純な「手抜き」だと言いづらいのは、テンポが良く、短い時間の中でもアイディアがみっしりと詰まっているからである。


 ただ、全く同じ内容を2回流すというのは、いくらなんでもやりすぎだと思ったのだろう。本シリーズでは、ポプ子とピピ美の声を、1回目、2回目と声優を交代して演じさせるという趣向を用意している。


 原作漫画では、アニメ化の際には誰に声を演じてほしいかというエピソードがあり、ポプ子が「私のCV(声優)は!江原正士さんでおねがシャス!!ピピ美ちゃんは!?」「大塚芳忠さんで!」というやりとりが存在する。江原正士はトム・ハンクスやロビン・ウィリアムズの吹き替えで知られ、大塚芳忠はドニー・イェンやジャン=クロード・ヴァン・ダムの声優として知られているように、この男くさい声が女子中学生を演じたら面白いというネタなのだが、第1話では、この2人の声優が本当に声をあてていたのが衝撃的だった。


 他の回でもポプ子とピピ美のゲスト声優として、アニメ『タッチ』の声優コンビである三ツ矢雄二、日高のり子が呼ばれたり、『シティハンター』で共演した神谷明、玄田哲章というコンビが呼ばれているなど、キャスティング自体がパロディーとして機能するように作られている。ある意味目くらましとしての趣向ではあるが、これが意外と好評を得ている。


■「クソアニメ」を支えていたのはアート系クリエイター


 自身もクレイアニメなどを自主制作していたアニメーターであり、NHKで複数のバラエティ番組のアニメを手がけてきた青木純がシリーズ構成を担当しているのだが、本シリーズの構成はやはりバラエティーのように各コーナーが設けられ、複数のクリエイターがそれらを分担して製作にあたっている。ここで、現在までに放送された個性的な各コーナーを紹介したい。


 原作の4コマをアニメ化した、最もシンプルなコーナー「POP TEAM EPIC」、そしてアニメ版独自の、比較的長尺のストーリー部分が「POP TEAM STORY」と呼ばれている。これらは神風動画やスペースネコカンパニー(青木純)が主に担当してきた。このあたりは原作の雰囲気に準拠した、通常のアニメ化部分であるといえよう。


 異様なのは、原作とは似ても似つかない、地獄のような狂った絵柄で4コマをアニメ化したコーナー「ボブネミミッミ」である。これは、やはり破壊的でトランス状態に陥ったようなアニメーションを手がけてきた映像ユニット“AC部”が担当している。このコーナーがあまりにもアクが強いため、鑑賞後最も頭にこびりつくのは「ボブネミミッミ」だという人も多いだろう。


 美術大学に在学中の山下涼(2018年卒業見込み)が担当するのが、『スペランカー』、『魔界村』、『ときめきメモリアル』など、なつかしいレトロゲーム映像をパロディー化した「POP TEAM 8BIT」だ。山下は本シリーズに参加する前に、「学生CGコンテスト」で同様のレトロゲーム映像を製作して銅賞を獲得している。


 当真一茂、小野ハナによる“Uchupeople”が手がけたのが、「POP TEAM DANCE」である。フェルトパペットを使ったストップモーション・アニメーションの手法で、パペットになったポプ子とピピ美の歌と踊りを楽しむことができる。アース・ウィンド・アンド・ファイアーのPVのパロディーは、その元ネタを選択するセンスを含め見事だった。


 フランス語作品「JAPON MiGNON」は、日本人によるフランスへのステレオタイプなイメージを皮肉をこめて笑うシリーズで、これは神風動画のフランス人スタッフ、ティボー・トレスカがコーナー監督を担当しているという。このコーナーはほとんどNHKで放送されそうな雰囲気を持っている。


 さらに5話では「ポプテピクッキング」という新コーナーも現れているように、今後の構成は、その出来によって流動的に変化していく可能性がある。つまり、これら気鋭のクリエイターたちが、『ポプテピピック』という舞台で、お互いにしのぎを削って勝負をしているようなものなのだ。


 そして、じつはここで紹介したクリエイターや主要スタッフは、東京藝術大学、多摩美術大学、東京造形大学、京都造形芸術大学など、美術大学の出身者が多い。このことは本シリーズにとって重要な意味を持っている。


■ポップカルチャーに埋もれた世代


 庵野秀明監督は、『新世紀エヴァンゲリオン』を作る前に、精神的に落ち込んだ状態にあったといわれる。本人の発言によると、作品づくりにおいて、自分のベースにはアニメや特撮などオタク的な要素しかなく、そういうものを作り続けていくことに絶望した部分があったのだという。そこから開き直って、そのようなオタク要素をドシドシつめ込んで再構成したものが『エヴァ』だったわけだ。それはオタク文化で育ち、自分自身の新しい表現というものが希薄な「コピー世代」の戦い方だったといえよう。しかし、その出来は単なるパロディーに収まらなかったことは周知の通りだ。


 そういう意味で、本シリーズの原作となった漫画『ポプテピピック』も、漫画、アニメ、ゲーム、アイドルソング、B級映画など、ハイカルチャーからすると、いわば枝葉と見なされる文化ばかりを享受してきただろう作者による作品であり、そういう読者に向けた作品になっているといえる。面白いのは、ここに登場するポプ子とピピ美という、あらゆるポップカルチャーを消費しながら、同時に強い“空虚さ”を感じる存在というのは、そのことを自虐的に象徴化したものとなっているということだ。


 さらに興味深いのは、アニメ化された本シリーズが、原作同様に80年代以降のポップカルチャーの文物をパロディー化しているにも関わらず、それらの洗礼を浴びていない若い世代が、これを楽しんで見ることができているという現象である。それは、パロディー満載のクエンティン・タランティーノ監督作が、元ネタが分からない観客でも十分に楽しめるという現象に近い。


■ポップアートと『ポプテピピック』


 現代美術に決定的な影響を与えたマルセル・デュシャンは、1917年に男性用小便器を横に倒しただけのものを「泉」と名付けて出品しようとした。この、“既存のものに新しい意味を与える行為”は、美術用語で「レディ・メイド」と呼ばれることになった。アンディ・ウォーホルは、その考えをさらに進め、キャンベルスープ缶やマリリン・モンローなど既存のイメージを利用し、大衆文化を美術にとり入れる。ロイ・リキテンスタインやウォーホルのようなアーティストは、このような方法で「ポップアート」を確立させていった。


 大衆的な文化を、あたかも別のものとして甦らせるというポップアートは、ある種のパロディーとも近い。「これ知ってる?」という面白さだけでなく、それ自体が一つの作品として新たな意味づけがなされ、新たな価値が生み出されているのである。


 美術に本格的に関わった者ならば、ポップアートとパロディーを結び付けることに意識的なはずである。アート集団によるアニメ『ポプテピピック』は、原作の持っていたポップカルチャーへの批評性を、さらに自覚的に先鋭化させ、そこを“新しい何か”を生み出すための、ある種の実験場・遊び場にすることに成功したといえる。すでに様々な成果が生まれているが、今後も次々に新しいものが『ポプテピピック』という土壌から生まれてくる可能性がある。


 ポプ子とピピ美は、ポップカルチャーの表層を擬人化したような中身のない存在だ。それだけに感情移入するような対象にはなりにくいが、だからこそ、様々なクリエイターの触媒となり、斬新な発想をも受け入れてくれる柔軟性と余裕を持っているように感じる。その自由さこそが、『ポプテピピック』の強みである。そしてポプ子は、ピピ美は、この国の“流行”を担う女子学生の姿を借りて、「ポップとは何か」という根源的な疑問を、絶えずわれわれに投げかけてくるのだ。※日高のり子の「高」は「はしごだか」(小野寺系(k.onodera))