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湯浅政明監督とスタジオの化学反応が生み出した奇跡 BD化を機に『マインド・ゲーム』の真価に迫る

2018年02月09日 12:02  リアルサウンド

リアルサウンド

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 日本の劇場アニメーションにおける、知る人ぞ知る一作『マインド・ゲーム』が、ついにBlu-ray化される。ファンにとっては待望の、そしてまだこの作品を知らない人には、いろいろな意味でアニメの既成の枠を逸脱した「伝説」に出会う絶好の機会である。ここでは、そんな本作『マインド・ゲーム』の真価に、できるだけ深く迫っていきたい。


参考:日本のアニメは世界でどう評価? 『夜明け告げるルーのうた』アヌシー映画祭最高賞受賞から考察


■注目されざる傑作『マインド・ゲーム』


 『マインド・ゲーム』が日本で公開された2004年は、宮崎駿の『ハウルの動く城』、押井守の『イノセンス』、大友克洋の『スチームボーイ』などの話題作が出そろい、また新海誠の『雲のむこう、約束の場所』などが公開されるなど、劇場アニメが賑わった年だった。それらの作品を押しのけ、その年の「文化庁メディア芸術祭」アニメーション部門で大賞を受賞したのは、湯浅政明の長編アニメーション監督デビューとなった、ノーマークの『マインド・ゲーム』だった。さらにカナダ・モントリオール映画祭で、実写映画にも競り勝って4部門を受賞するという快挙も達成している。


 とはいえ、「『マインド・ゲーム』なんて作品あったっけ…?」という人は多い。というのも本作『マインド・ゲーム 』は、その圧倒的な内容にも関わらず、話題作の裏でひっそりと公開を終えていたからだ。それは、やはり湯浅政明の2017年の公開作『夜明け告げるルーのうた』が、同様にアヌシー国際アニメーション映画祭グランプリを獲得しながらも、公開時の興行成績は振るわなかった状況とも似ている。これが意味するのは、映画賞で評価を受け、一部で熱狂的な支持を受けながら、日本の一般の観客や多くアニメファンは、本作に正当な反応をすることができなかったということだ。


 それも無理はないかもしれない。本作は原作となった漫画もあまり知られておらず、またキャラクター人気でファンを集めるようなデザインではなかったりなど、話題になるような要素が非常に少なく、手を伸ばしづらいタイトルだったからだ。しかし近年、アヌシーでのグランプリ受賞や、Netflix制作アニメーション『DEVILMAN crybaby』が注目を集めるなど、湯浅政明監督作品が脚光を浴びることで、最初の監督作である『マインド・ゲーム』も再評価の機運が高まっている。


■アニメの常識を外れていく物語


 本作の凄さは、鑑賞してみればすぐに分かる。いま見直しても、物語や表現手法など様々な点で、依然として「新しい」と感じさせる自由さがある。そもそも、原作となったロビン西の漫画『マインド・ゲーム』そのものが、すでにそういう“我が道を往く”作品であり、これを劇場アニメ化するという時点で、かなり実験的な試みだった。この漫画がそれほど注目を浴びなかったのも、やはりアニメと同じような理由からだろう。


 この大阪を舞台にした奇想天外な物語は、とことん地味で「しょうもない」ところから始まる。主人公である漫画家志望のアルバイター“西(にし)”が電車に乗っていると、そこに初恋の相手であり、いまも恋心を寄せている“みょん”ちゃんが駆け込んできて、二人は久しぶりの再会を果たす。西はみょんの姉・ヤンの経営する焼き鳥屋に誘われ、みょんの家族たちと、和気あいあいと焼き鳥を頬張りビールを飲み語らう。みょんの父は、「みょん、西君と結婚した方が幸せになれるで」と発言するなど、いい雰囲気だ。そこに、みょんと本当に結婚を前提にしている、みょんの恋人が現れる。たくましく男らしいトラックドライバーだ。西は平静を装いつつ、心のなかで敗北宣言をするのだった…。


 ここまでは、とことん地味で陰鬱という意味で個性的な筋立てだが、この店に、みょんの父親を捜す二人組の暴力団が押しかけてきてから、急激に雲行きが怪しくなってくる。片方の男はスキンヘッドで、サッカーのユニフォームのようなコスチュームの上にオムツをはき、全身から湯気を出しているなど、見るからに異常すぎる空気を醸し出している。この男は拳銃を振り回し、怪力をもってトラックドライバーを一撃で昏倒させ、みょんに襲い掛かり服を脱がしていく。あまりの恐怖に、その場にへたり込んで頭を抱えているだけの西。その情けない姿は、見る者を呆然とさせるが、いくらなんでも主人公なんだから、ピンチの女子を助けるために何かしら反撃を試みるのだろうと思っていると、精一杯の抵抗として「し…しばくぞ」という声を絞り出しただけで、そのまま尻の穴から銃弾を撃たれて脳天が破裂するという、これ以上ないひどい死に方をする。


 序盤で主人公が殺害されるという衝撃。だが、そこから物語は二転三転し、誰も想像していないだろう怒涛の展開へと突入していく。この常識無視の圧倒的な自由さが本作の大きな特徴だ。そしてその自由さは、物語の展開だけにとどまらない。


■監督とスタジオの化学反応が生み出した奇跡


 とにかく全編を通してひしひしと感じるのは、表現手法の面白さである。それまでに、『ちびまる子ちゃん』や『クレヨンしんちゃん』シリーズなどで、スーパーアニメーターとして、エキセントリックな動きとトリッキーな構図を駆使し、観る者を幻惑させてきた湯浅政明だが、ここではそのパッションとセンスを爆発させ、狂気を感じる異常な領域に突入している。


 アニメーションのなかに実写を取り込んだ表現も見逃せない。本作では大阪の雰囲気を出すために、吉本興業の芸人が多く参加している。高畑勲監督によるTVアニメ『じゃりン子チエ』でも、西川のりおが声の出演をすることで味を出していたが、ここでは、西を演じる今田耕司をはじめ、藤井隆、山口智充、坂田利夫、島木譲二などが、声優として演技するだけでなく、顔の実写映像が加工され、本編のアニメーションに馴染ませるかたちで使用されている。湯浅監督はその後、TVシリーズ『四畳半神話大系』に代表されるように、実写とアニメを融合させる手法を、作家性として確立させていく。


 これら実験的な試みが花開いたのは、前衛的かつハイクォリティーな表現を得意とする、当時最も尖ったスタジオだったと言って良い「STUDIO4℃」で製作できたことが大きかった。監督がスタジオの力を引き出し、スタジオが監督の才能を引き出す。お互いが高め合う理想的な関係が、本作を奇跡的な内容的成功へと導いたのだ。そこに元ボアダムスで、様々なジャンルの音楽を実験的に追及するミュージシャン、山本精一も加わる。かつて高畑勲監督は、自身の監督作『アルプスの少女ハイジ』について、「天の時、地の利、人の和が揃った作品」と表現したが、『マインド・ゲーム』も、まさにそういう作品だといえる。


■日本のアニメは「裏道」こそが「本道」


 さらには、『夜明け告げるルーのうた』でも見られた、過去の名作アニメのダンスシーンへのパロディも行われる。音楽と同期させたシーンに表現者としての足場を持つ湯浅監督だが、ここでは『ルーニー・テューンズ』でバッグス・バニーがバレエダンサーを装い、ふざけて踊りまくるという、おなじみの表現をダンスシーンに取り込んでいる。


 こういうところから要素を持ってくるという点から、湯浅監督が日本のアニメーションの常識にとらわれていないことが分かるのだ。湯浅監督は2014年にアメリカのカルトアニメ『アドベンチャー・タイム』の1エピソードを監督として手がけているが、日本のアニメ監督のなかでも、このような感覚にフィットできる人材は、ごく限られている。本作が海外で支持を得たのも、「日本のアニメ」のメインストリームとは本質的に異なる感性で作られている、“見たことのない”ものだったからだろう。


 本作は、日本のアニメーションの「本道」から外れることで、一般的には無視された過去のある作品である。しかし真の「本道」とは何なのだろうか。本作が、キャラクターの魅力に頼りきって、グッズが売れるような内容であったり、魅力を理解しやすいような、ありきたりの物語を決まりきった手法で表現する作品であったら、おそらく当時、国内でもっとヒットしていたのかもしれない。しかし、本作がそのような枠に収まらない「裏道」を走る作品だったかこそ、海外で高い評価を受け、国内でも再評価されるものになっているのである。つまり、『マインド・ゲーム 』が通った裏道こそが、自由な表現を楽しむという、アニメーションの本道に近いものだったのだ。


 本作の内容的達成というのは、常識にとらわれることを明確に拒否し、流れに逆らって新しいものを作るという勇気と信念を持たなければ、絶対に成し遂げられないはずだ。その姿勢は、“しょぼい人生”から脱出し、ありったけの創造力と根性と団結で激流を乗り越えていこうとする、本作のクライマックスと重なっている。だからこそ本作は、圧倒的な推進力を獲得しているのだ。未見の人たちも、すでに本作体験している人も、本作『マインド・ゲーム』を鑑賞することで、この自由へ突き進む圧倒的パワーを受け取ってほしい。(小野寺系)