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サエキけんぞうの『早春』評:新しい女性像を示した1970年のジェーン・アッシャー

2018年02月06日 11:12  リアルサウンド

リアルサウンド

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 これは凄い作品が隠れていた。1972年の劇場公開以来日本では上映の機会がなく、ソフト化もされていないため、好事家たちによりカルト化していたこの作品。1970年という絶妙な時期の発色がデジタル・リマスター版によって出会えたことの幸せは果てしない。


参考:菊地成孔「デジタルリマスターの威力ハンパねえ」 J・スコリモフスキ『早春』著名人コメント


 たとえば、70年代初頭にはロックのヌーヴェル・ヴァーグであるロキシー・ミュージックの1stアルバムが出ているが、それと同じような意味がこの映画にはある。ロキシーはイーノのシンセなど、テクノやパンクにつながる要素で、ロックの脱構築の先鞭をとった。『早春』で少年を翻弄するジェーン・アッシャーは、ヌーヴェル・ヴァーグ期にはない女性の新しい性のあり方を示し、実は革命的な「若者」表現になっている。現在「#MeToo」で揺れる映画界だが、そこに至る女性のダイナミックな変化の端緒と唱えることも可能で、セクシュアリティの新局面を大胆に描いている。70年代初頭は、60年代後半のヒッピー時代に代わる新しい若者文化変革の芽が出た時代だったのだ。


 そんな『早春』の音楽は、71年『ティーザー・アンド・ファイアキャット』でブレイク直前のシンガー・ソング・ライター、キャット・スティーブンスを主題曲、劇中音楽にドイツのCANを起用しているという嗅覚の鋭さである。


 このイギリス映画は、ポーランドのイエジー・スコリモフスキ監督による作品。彼の『手を挙げろ!』(67)は、ポーランド政府によって公開禁止となってロンドンとドイツのミュンヘンで撮影された。60年代の東欧には『ひなぎく』(チェコ、66)のような、西欧の若者文化にシンクしながらも追い抜くような作品があるのだが、文化的断面を感じさせながら先端的な女子像を描いたこの作品もそんな風情がある。


 舞台はロンドン、今でいうスポーツジム&スパ・タイプの公衆浴場に15歳のあどけなさが残る美少年、マイクが就職したことから始まる。マイク役は『初恋』(70)でアイドル的人気を奪取したばかりのジョン・モルダー=ブラウン。70年当時は、美少年ブームだった。1969年製作のイタリア映画『ガラスの部屋』の美青年レイモンド・ラブロックが日本でも大変な人気だった。フランスの男優ルノー・ベルレーも『個人教授』(68)、『カトマンズの恋人』(69)をヒットさせていた。そうした状況の中、ジョン・モルダー=ブラウンが起用されたのだろう。青年として人気だったラブロックやベルレーよりも若く、明らかに少年のあどけなさが魅力。そんなジョンの役割は最初期ロック・ファンタジー映画『小さな恋のメロディ』の美少年マーク・レスターに近いが、それも71年の作品なのでこの時はまだない。男優が美青年としてではなく、少年性でアイドルとなる、少年ブームの先がけだ。これもヌーヴェル・ヴァーグの『大人は判ってくれない』(59)を先に進める新しい動きだろう。


 マイクは、浴場で働く年上の女性スーザン(ジェーン・アッシャー)に恋心を抱く。そのスーザンのマイクを見る目線が、ロックエイジらしい奔放さを持っている。その性感覚は重層的で分裂的で、繊細な揺れが悩ましい。そんな新時代の少女の映像感がこの映画の本領で、新しい魅力だ。


 ジェーン・アッシャーといえば、ポール・マッカートニーの婚約者であったことは忘れられない。1963年に2人は出会い「オール・マイ・ラヴィング」「アンド・アイ・ラヴ・ハー」「恋を抱きしめよう」をはじめとする多数のポール作曲の曲に大きな影響を与え、そして兄のピーター・アッシャーとともにサイケデリックに至るビートルズに多大な文化的示唆を与えながら5年間交際した。この時期のポールのラブソングには、ほぼ全てジェーンとの関係が影響しているといわれるほどだ。


 ポールと別れて約2年、そのジェーンがその後のガール・ロック・ディーヴァを予見するような役割をこの映画で果たす。マリアンヌ・フェイスフル風の髪型で、マリアンヌやアニタ・パレンバーグ、果ては後のスージー・クアトロも彷彿とするような妖艶なセクシュアル・ミューズを演じる。家柄もセンスも最高級といえる彼女が、不敵な視線で大胆な新しい不良的少女観のブレイクスルーを果たす。文化VIP達の果たす歴史的役割の凄みを感じさせる、恐ろしいほどの快演である。


 スーザンには、この時代に実在した典型的にイヤミなタイプの金持ちの婚約者がいる。日本でも、ああ知ってる、こんな奴!という女性を拘束するタイプのクセの強い男性。誤解してほしくないのは、70年頃は恐らく万国共通で、エリート男性は女性を拘束する男尊女卑の時代だったこと。この2年後デヴィッド・ボウイのゲイ的な振る舞いも大きな冒険で、同性愛にも偏見が強い時代だった。1970年はまだまだ女性にとって旧時代だったことは、大きな前提となる。


 スーザンはそんな婚約者がいながら、ジムのトレーナー(年上)男性とも付き合う。70年には、日本には男女が出会うようなスポーツジムはなかったと思う。すでに英国にはそれがあったことはちょっとした驚きだ。


 そのジムの年配女性客たちが凄い。中年女性たちは、マイクへ濃厚なセクシュアル・ハラスメントを行うが、それが当たり前のようで、それ以前からそういうことはあったのだろう。マイクがとまどいながら、年配女性客の性アプローチをかわすところは、男性にとっても妙な見どころになっている。


 ジェーンのファッションも素晴らしい。セルジュ・ゲンスブール関連映画『アンナ』(65年)のアンナ・カリーナが着ていたようなファッショナブルな黄色いビニール・コートを着こなすし、目を引くようなオレンジの髪が、小粋なワンピースなど全てのファッションに映えている。どこに行くか分からない攻撃的な視線は、若きミック・ジャガーのように激しく魅力で、甘えた切ない表情の頼りないジョン・モルダー=ブラウンと好対照をなす。


 当時のロンドンのセックスショップなど、セクシュアル・コミュニティも描写され、風俗的にもそそる。ジェーンは、そんな男性社会をブッチぎった不敵さを示す。そのダーティ・フィーリングが見事。一世一代の不良ミューズぶりで、感涙ものだ。


 そうした不良少女イメージと、少年を相手にしているときにこぼれる清純な表情、あるいは婚約者に見せる保守的なたたずまいと、性をキーに多層な人格を演出する。そうした女性像はそれまで描かれなかったと思う。このジェーンのダーティさを起点に、多数のグルーピーを含む70年代ロック・セクシュアル・カルチャーが花開くといっても過言ではない。そのセンスが60年代的女性のモノ・イメージの女性像から70年代のハイブリッドなセクシュアリティを持つ女性に、女性像の歴史的切り分けを担保したと考えられる。


 ちなみに勃興する若者文化を背景としてセクシュアリティを演じる女優史はそれほど古いわけではない。まず50年代のマリリン・モンローが革命的存在。継いでブリジット・バルドーが56年に『素直な悪女』で、男達を翻弄する小悪魔を演じ革命的といわれた。しかし今見るとお嬢さんにしか見えない。ロックが未成熟な時代に、バルドーはバッドな不良テイストまでは届かず『軽蔑』(63)で芳醇な性的女性というイメージに留まる(その後ゲンスブールとの出会いで一瞬サブカル的不良性が花開く)。


 その後ゴダールの『気狂いピエロ』(65)でアンナ・カリーナが知性を示すモノローグのからむセクシュアリティを提示した。60年代後半は、先述のマリアンヌ・フェイスフル、アニタ、ジェーン・バーキンなどが出てくるが、女性の多層的な性表現というレベルまで表現が成熟していない。60年代の若者文化の革命の後、新しい女性の存在感は、出口を待っていたのである。


 なにせ、女性から逆ナンすることが新奇として売り出された『ミスター・グッドバーを探して』が1977年、女性が結婚しないことが世界的に珍しかったことが背景『結婚しない女』が1978年ですよ。1970年とは、どれだけ保守的だったのか。女性の社会存在の変化は、70年代から比べると、メチャクチャ変わったんですよ。


 とはいえ、スーザンのような奔放さは、見方によっては、日本でいうヤンキー文化の先がけであるという感想も出そうだ。確かに彼女の鼻っ柱が強く、物怖じしない役柄は、初期女ヤンキーの香りもする。しかし先述したように徹底的な男尊女卑文化が社会を覆っていた時代。婚約者に正統に振る舞いながらセックスショップのシンボルともなる彼女の役割は、性的な重層性を「持たざるを得なかった」ともいえる。いいかえれば、この「多重人格性に先端性があった」のである。


 一介のヤンキー娘は単層なのである。


 平然とした顔で婚約者とトレーナー、少年のはざまを行き来する彼女の感覚は、単なる淫乱なのではなく、社会の体制などものともしない直感的な知性に裏打ちされている。クールなのだ。デボラ・ハリー、クリッシー・ハインド、ニナ・ハーゲン、マドンナと続く大いなるミューズの時代の幕開け。性の神秘的な多層性を演じ分けるジェーン・アッシャーのセンシテヴィティ、その映像を誘導した監督の先見性こそが本作の白眉である。


 ラストには、美しすぎるジェーンの“ある姿”を垣間見ることが出来る。サブカルチャー・ファンにとっては、たまらないプレゼントである。


(サエキけんぞう)