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BRAHMAN TOSHI-LOWが語る、問いかけの先にあるもの「長くやりたいがためじゃなく、今をぶつけあってる」

2018年02月05日 19:02  リアルサウンド

リアルサウンド

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 BRAHMANが、2月7日にアルバム『梵唄 -bonbai-』をリリースする。前作『超克』から5年ぶりとなる今作までには結成20年という節目があり、BRAHMANの内側に迫った映画『ブラフマン』の公開や、TOSHI-LOW単独としての活動も多く見られた。その中で生まれたバンド、メンバーへの向き合い方や、これまでTOSHI-LOWが自問自答し続けてきた表現に対する考え方の変化が『梵唄 -bonbai-』には表れており、BRAHMANの未来を感じさせる作品となっている。今回は聞き手に小野島大を迎え、TOSHI-LOWに作品が完成するまでの経緯を聞いた。(編集部)


・どこへ打ってもシュートが入る気がする


ーー新作『梵唄 -bonbai-』を聞いて、BRAHMANはいろんなものから解き放たれて自由になった感じがしました。


TOSHI-LOW:うん、なんかね、知らず知らずのうちに「自分たちはこうでなきゃいけない」みたいな思い込みで、自分を縛ってた部分があったのかなと思うんですよ。今はそういうのがない。そうしたら逆にすごく自分たちらしくなってるというね。今までは自分たちの行動にいちいち意味を求めてたんです。そんなのどうでもいいじゃんと思うところと、どうでもよくねえよって思うところで毎回自問自答してたけど、最終的には、やりたいようにやればいいじゃん、みたいな境地に達して。それが投げやりな感じじゃなく、どこへ打ってもシュートが入る気がするっていうか。見てなくても、ポン、と蹴ればゴールする。そういう風に俺たちできてるんだよっていう。


ーーふむ。前作から今作までの間に結成20周年を迎えて、ベスト盤が出て、映画も作った。ある種節目を迎えたという意識はあったんでしょうか。


TOSHI-LOW:うん、あれは節目を作ろうと思わないと。七五三みたいにさ、5歳になったらお祝いしようって決めておかないと、しないでしょ(笑)。ただ、あそこで捨てきりたかったものがあって。それまで築いてきたものとかキャリアとかプライドとかね。(20周年の)次の日から、新しく生まれ変わって、また一からステージに並ぶバンドである、そうありたいと思ってたわけで。20年やってきたからどうの、というのは関係なくて、一度ステージに並んでしまえば、昨日できたバンドも何十年やってるバンドでも一緒じゃん、という。一緒にぶつけて、どっちがかっけーか比べっこするんじゃねえの、みたいな、そういう意識。


ーーそれまで自分たちが積み上げてきたものが重荷になっていたみたいなところはあったんですか。


TOSHI-LOW:それが「自分たちはこうあるべきだ」「こう見えなきゃいけない」「こう見られたい」とかね。そういうものに繋がっていったんじゃないかな。


ーー人前に立って人目にさらされる仕事だから、「こう見られたい」という理想はあっても不思議じゃない気がしますが。


TOSHI-LOW:うん、理想はもちろんあっていいんだけど、人として、人目ばかりを気にするのはとてもいびつな気がする。ここ何年か考えていたのは、バンドマンとして……というのもあるけど、やっぱり人間としてどう進むべきかみたいな道を問われることも多かったから。表面だけを繕って見てもらうってことは心苦しくなっていったんじゃないかな。裏もあるのになあ、みたいな。


ーーなるほど。


TOSHI-LOW:よくよく考えたら、バンドやること、詞を書くことって、その「裏」を抉り出すための表現方法でもあったのに、もしかしたらそれも「こうあらねば」「強くあらねば」みたいな、自分に対する理想というか、押しつけみたいになってた部分もあって。そういうものから解き放たれたかった自分もいるのかな、という。


ーーなるほど。スカパラのホーンが参加してリメイクされた「怒濤の彼方」が象徴的ですけど、これまでのBRAHMANでは考えられないようなサウンドも聴ける。解き放たれた結果として、風通しのよい自由さのようなものを強く感じます。


TOSHI-LOW:メンバー個人の度量も大きいと思うんです。俺じゃなくて、各パートがほかの者の受け皿にもなりうるというか。要は「俺だけが乗るいびつな丼」ではない。ちゃんと音楽的であることを個人個人がすごく意識している。俺とは全然違う意味で、楽器として3人が各々のパートにとことん付き合ってきたんだろうな、というのを、ここ何年か感じるんですよね。オレが歌と付き合うように、ドラムとベースとギターが、もっと深く各々の楽器と付き合いたいと思って、それをみんながちゃんとやったということなんですよ。


ーーふむ。


TOSHI-LOW:当たり前だけど楽器って共通言語だから。巧さが必要だとは思わないけど、ベーシックな最低限の技術って、なきゃセッションできないじゃないですか。そういう意味でみんな、その共通言語を築くためにとことん自分の楽器と向き合って頑張ったんだろうなと思う。ギター(KOHKI)なんかは一番顕著で、内田勘太郎(憂歌団のギタリスト)とか山岸潤史(米国を拠点に活動するベテランギタリスト)みたいなブルースの人たちに可愛がられて、あんなセッションさせられたら、確かにすげえ伸びるよな、と。俺たちにブルースなんてできないよって思ってたけど、KOHKIがそうして得たものを出すと、それを受け止めるベースとドラムもいなきゃならないわけで。別にブルースマンになる必要はないけど、KOHKIが持ち込んだブルースを受け止める許容量はなきゃいけない。誰かが何かを新しく持ち込むことでバンドも対応して更新されていくんだなと思いましたね。


ーーKOHKIさんに限らず、各メンバーごとにそれは起こっている。


TOSHI-LOW:起こってますね。そこはもう信頼してるし。たとえば俺が考えたメロディを、こっちの方がいいからって変えられたとしても、そっちの方がいいと思えば俺は素直に受け入れられるし。逆に言えば、たとえばドラムに対して「こう叩いて!」と言うこともある。俺が考えた幼稚なフレーズをやらせたり。でもそういうのがお互いイヤじゃない。自分にないものをお互い受け入れながら作っている。それはバンドだからこそ、BRAHMANだからこそできることだし。だから頑張れるんですよ。自分のためだけだと踏ん張れない。


ーーああ、なるほど。そうでしょうね。


TOSHI-LOW:でもチームのためだとか、そういうことならみんな頑張れるじゃないですか。


ーー人のために何かをやるって意識は大事ですよね。特にある程度年齢がいくと、自分のためだけじゃなかなか動けない。


TOSHI-LOW:そうなんですよ。


ーー若いころは「オレがオレが」って意識の方が強いし、それが原動力にもなるけど。


TOSHI-LOW:うん、わかります。自分もそのうちの1人だったと思うし。ただどこかで、それが切れちゃったんですよね。バンドがこんなに長く続くとは思ってなかったけど、いつのまにか自分のためだけにやってたんじゃないってことに気づいてしまって。自己完結しようと思ってやってきたことがちょっとずつ辻褄が合わなくなってきた。それはすごく矛盾として感じたし、自分の言ってることは全部嘘っぱちじゃないかと思い始めた。自分はウソついて社会に迎合してるんだ、ダメじゃんって。それがマックスまできて、俺は音楽を頑張ってきたけど、結局音楽に愛されなかったなと思って、諦めようと思ったところに震災があって。


ーーああ、震災の直前に音楽を辞めようと思ってたって話ですね。


TOSHI-LOW:そうそう。でも(震災があって)そこで気づいたんですよ。今まで矛盾だと思ってたものが矛盾ではないと。あったかみもあるさ、割り切れないこともあるさ。自分の孤独を感じることがあったとしても、それも周りに人がいるから感じること。人の存在っていうのは大事なんだ。そういうことですら置き去りにしてきてしまった。それを「若かったからしょうがないよ」で済ますんじゃなく、改めてもう1回考え直さなきゃいけない。今回のアルバムに関しては、もう一回自分自身に問いを投げかけてみたかったというか。若い頃は「どうせ死んじまうのに」と思って歌ってたことを、今歌うならどう歌う? って考え直してみたかったんですよ。


ーーそれが1曲目の「真善美」ですね。


TOSHI-LOW:そうですね。その流れでできた曲です。


ーー自問自答が、そのまま聞き手への問いかけにもなる。


TOSHI-LOW:今言ったように、自分一人では「一人」を感じられないのと一緒で、自分だけで抱え込んでも意味がない。自分の回りにはいろんな人がいる。そこには仲間もいるだろうし。自分自身に書いてるつもりでも、人への言葉になる。それは毒にもなりえるしエールにもなりえる。それはもうわかってることで。わかってるとしたら、じゃあ何を書くか。


・また一からめくっていこう、自分たちを作っていこう


ーー最近はバンドを離れたTOSHI-LOWさん単独でやる活動も増えてますね。それも今作に影響してますか。


TOSHI-LOW:呼ばれますからね。呼ばれなきゃやらないですけど。もともとソロ思想がないから。ソロで何かしたいっていうのがない。バンドでやる表現が一番好きだし、すべてバンドでいいと思ってるんですけど、でも個人として呼ばれると、まったくバンドでやらないことをやらされるでしょ。ブルースやファンクを歌わされたりとか。俺が個人では選ばねえだろうなって歌を選曲されたりとか。でも歌を歌う身としては、それはとても楽しくて。それもまた、人のために動くってことだから。ふだんできないことをやれたり、バンドではできない人とセッションできたり。セッションってこんなに楽しいんだなって。ほんと、20代とかでやらなくて良かったと思ってる。


ーー(笑)。そうですか。


TOSHI-LOW:(笑)。はい。全拒否しといて良かったなと(笑)。そこで和気藹々としてやってしまったら、自分の中の闘争心とか尖ってる部分を失ってしまったかもしれない。尖ってて良かったものまで奪ってしまったかもしれない。


ーー周りに馴染んでしまうと自分が崩れてしまう恐れみたいな。


TOSHI-LOW:あったと思います。強いから突っ張って一人になったんじゃなくて、弱いから、紛れてしまうことで自分が崩れてしまう恐怖のほうがでかかったんだと思う。今分析すればすごくそう思うけど、でもその頃のインタビューでは、決してそんなことは言わなかった。


ーーでしょうね。


TOSHI-LOW:うん。でもそのことで、楽曲に対してもライブに対しても、インタビューとか、自分たちのあり方にしても、ある種鋭利なものを持ち続けられたのかなと。今思えばね。その時代はそれで良かったと思うし、後悔はないですけどね。


ーー意外なところでは、こないだはLUNA-SEA/XJAPANのSUGIZOのアルバム(『ONENESS M』収録「Garcia」)に参加されてましたね。


TOSHI-LOW:うん。だってさ、いきなりあのトラックが送られてきて「好きにやって」って、どうにもできねえよ!(笑)。


ーーSUGIZOさんの作るジャーマン・エレクトロみたいなトラックに、TOSHI-LOWさんがポエトリー・リーディングを乗せている。


TOSHI-LOW:もうイジメかと思ったよオレ、マジで(笑)。


ーー(笑)。あの音はさすがにTOSHI-LOWさんの文化の中にはないですよね。


TOSHI-LOW:まったくないす(笑)。どんな風にあんなトラックを作ってるのかもわからない。話があったとき、ワンコーラスぐらいちょろっと歌わされるもんだと思ってたら、あんな宇宙の果てみたいなのが送られてきたからびっくりして(笑)。


ーーでもあの音にTOSHI-LOWさんが加わったら面白い、ハマるだろうと少なくともSUGIZOさんは考えたってことですよね。SUGIZOさんはCDブックレットのライナーで「完全に彼(TOSHI-LOW)に向けて書きました」と言ってます。


TOSHI-LOW:ハマると思ったのかな。もしかしたら、ハマらないものを、こいつなら力業でなんとかするんじゃねえかと思ったんじゃないの? スギちゃんに訊いてみないとわからないけどさ。


ーーそういうのって、自分がどう見られてるのか知る機会ではありますよね。


TOSHI-LOW:自分の持ってるスペックというかさ、ゲームとかであるじゃないですか。“攻撃力”“防御力”“スタミナ”とか。ああいう自分の持ってるスペックと、相手が何を望んでるのかを考えて、具体的に自分のできることを探すしかないですよね。あの場合、意味のないキレイなメロディを探し出してつけるんじゃなく、ほかの人が言いづらいことであったりとか、辛辣なことを言うべき役目なんだろうなと思ったし。……さっき「解き放たれたい」って言った割には、自分が求められていることって決して嫌いじゃなくて。


ーー絶対そうですよね。


TOSHI-LOW:うん。だってそれを期待してくれてるんだ、俺にだったらできると思ってもらってるってことは、とても嬉しいことだし。好きな人にそう思ってもらえるというのは……自分が自分を諦めかけてたから。俺なんかじゃ無理だよ、なんて思ってた時期もあったからね。そんな時に俺にその場を持たせてくれるんだったら、結果どうなるかわからないけど全力でやってみたい。期待に応えたい。今はそう思ってるし、それでセッションとか、ほかの人と関わることができたのは大きかったし、自分で自分を発見する1年だったと思うしね。


ーー長年同じメンバーでバンドをやってると、その中での役割とか自分のやることは自然と決まってくるけど、そこから離れたところで人から求められると、自分でも気づかなかった自分の一面が見えてくる。それは最終的に自分の幅を広げることになりますよね。


TOSHI-LOW:その通りですね。SUGIZOのやつなんかは特にそうだね。自分が求められてることに応えて、自分の心の中にある言葉をしっかりと書いたうえで、でも最後のピースがハマらなくて。で迷ってる時に仲井戸麗市が「ガルシアの風」を朗読してるのを聞いて震えるぐらい感動して、その一節をもらってはめることで、最後のピースが埋まって完成したんですよ。


ーーなるほど。そういうソロとか頼まれ仕事みたいなものをやることで、BRAHMANの役割とか、そこで自分がやるべきこととか、逆に明確になってきたのではないかと思うんですけど。


TOSHI-LOW:そうですね。たとえば弾き語りで歌いたいものとか、OAU(OVERGROUND ACOUSTIC UNDERGROUND)でやってるような、音楽そのものを楽しいねって言えるものと、ブラフマンで求めてるものとは違うんだなと自分でも思うし。でもそれは別に新しいものじゃなくて、23年前にブラフマンを結成したときに、「激しくてさ、切なくてさ、強くてさ、でも柔らかくてさ、怒ってるけど面白くてさ。そんな音楽できないかな?」とみんなで話してたものと一緒だったんですよ。あれ、あの時もう言ってたことじゃん、って。要は、まだ音も何も鳴らしてない段階で「一緒にバンドやろうよ」ってRONZI(Dr)に言った時に話した通りのアルバムになってるって思ったのね、『梵唄 -bonbai-』がさ。


ーーああ、なるほど。


TOSHI-LOW:最後の最後にできた曲を並べてみたら、「これ、一番最初に自分たちがやりたかったまんまじゃん」って。メロディがあるのに激しくて、あっちいったかと思ったらこっちいって。飛んだと思ったら穴に落ちて。うわーっと怒鳴ってたら素っ頓狂にリズムが変わって、予想がつかなくて。でもフックでグッとくるような……最初の頃は他にないヘンテコなものにするために、わざと奇をてらって、誰もやってないようなものをやり狂ってて。でもヘンなものにしすぎると自分たちでも違和感があって。これ、1回だけならびっくりしてもらえるけど、2回聴かないぜって。そういうものがやりたいんじゃないんだよ。1回目はびっくりしても、2回目からは腑に落ちていくような展開を作りたい。10年後も聴いてられるような曲を作りたい。流行り廃りにいちいち対応するようなものにしたくない。そんなことを最初のメンバーと話した記憶があるけど、それが結局今やってることとまるっきり一緒だという。


ーーそれは23年かけて戻ってきたということなのか。それとも自分たちは同じことをやり続けてきたんだという実感があるのか。どっちに近いでしょう。


TOSHI-LOW:螺旋階段みたいなものですかね。同じようなところをグルグル回ってるんだけど、ちょっとずつ……上がってるのか下がってるのかわからないけど(笑)。遠くに来たとは思ってないし、回り道して戻ってきたとも思わない。間違いなくカロリーは使ってるんですよね。運動量はかなり費やしてる。でも実感がない。「あれ、あんなに歩いたのに、同じとこにいない?」って。


ーー同じところを回ってるようでも、実はすごい高いところにきていた。


TOSHI-LOW:かもしれないけど、ほかの人から見れば「あいつらずっとあそこにいるよ」って思われてるのかもしれない。


ーー二律背反というか、矛盾したものを内包してて、でもその総体がBRAHMANの魅力であるという。それがバンドってものじゃないでしょうか。


TOSHI-LOW:そうなんですかね? じゃああなんでほかのバンドはそれやらないんですかね?


ーー矛盾を抱え込んで、それを認めた上でバンドとして一貫してまとまったものするのはしんどいし、自信も努力も必要だから。でも単一の色しかないものよりは面白いし複雑な陰影が生まれる。


TOSHI-LOW:単一にしたほうがわかりやすいじゃないですか。バイクと革ジャンとロックンロール、みたいな。でもそこからこぼれてしまうものが俺はすごく好きなんだろうね。


ーーわかります。


TOSHI-LOW:今はね、ほかのメンバーから出てくる一個一個のフレーズとかアイデアを、大事にしたい。ボツにしたくない。できるだけ使おう使おうと思う。


ーーそれは昔と違うんですか?


TOSHI-LOW:うん、違う。いや……知らず知らずのうちにそうやってたのかもしれないけど。


ーー今のBRAHMANって、お互いのエゴがぶつかった末の適当な妥協の産物……お互いに少しずつ不満が残っているような……ではなく、お互いのやりたいこと、お互いの人間性や人生まですべて受け入れた上で調和している、という気がします。長い時間をかけてその境地まで辿り着いたというか。


TOSHI-LOW:……大人が2人いたら社会じゃないですか。長くやるって難しいと思うし。オレなんかエゴがむちゃくちゃ強いタイプの人間だから、人と一緒にやっていくって、「ああ、すげえ譲っていただいたんだなあ、受け入れてもらったんだなあ」ってこともいっぱいあったのかもしれないし。


ーーそれ気づくのには時間がかかるのかもしれないですね。


TOSHI-LOW:かかりますねえ。でも知ってしまったら、自分も相手に対してそうしなきゃいけないと思うし。それは妥協じゃないんですよ。やっぱ、もらいっぱなしはやだし。そういう意味では、ただぶつかり合うのでもない、ただ馴れ合うのでもない、自分たちの付き合い方はできてると思う。でもそれは長くやりたいがためにやってるんじゃなく、今をぶつけあってるんだと思うし。


ーー長くやって惰性にならないようにするのは大変ですね。


TOSHI-LOW:そうなんですよ。ただ俺たち、やってないことが意外にいっぱいあったから。なんで20代の時にセッションしなくて良かったかっていうと、今からそういうことやれるかと思うとワクワクするんですよ。実際、オレはここ何年かむちゃくちゃワクワクしっぱなしだし。やったことのないことはいっぱいあるし。だってこんなイビツで偏屈なバンドがこんなに長くやれて、受け入れてもらえるなんて、まったく思ってなかったから。どっちかというと、高円寺20000V(現・東高円寺二万電圧)で、ノイズとかそういう人たちの一派だと思われてたし、それで良かった。どうせドラムがフルチンのヘンなバンドでしょ、みたいに思われて、それで終わっていくと思ってたし。でも、だからこそやりたいようにできたと思ってるんですよ。どうせ誰も見てねえし、好き勝手にやっちまおう、みたいな。それがいつのまにか見ている人が増えて。見ている人が増えると、「やべえ!」って、パンツを履き出すわけですよ(笑)。パンツを履いてズボンを履いて、そういう自分たちの辻褄を合わせるために理由が必要になってくる。そうすると、「今」ってものと、「続けてる」ってことが、ギシギシいいだすんですよ。


ーーああ、なるほどね。


TOSHI-LOW:でも聴いてくれる人はいる。ギシギシギシギシいいながら、時間は進んでいく。自分がその上に立っていると、グラグラしてるのがわかる。グラグラしながらも動いてはいる。でもある日グラグラで立ってられなくなって、じゃあ自分の足場にあるものなんだろう、これは矛盾の沼じゃん。どうにも立ってられない。ズブズブズブズブ……ああもうダメだわ、このまま飲み込まれてしまう……と思った時に、社会で違うことが起きた。ここまで埋まったんだったらもういいや、捨て身でいっちゃおう。結局バンド始めた時みたいな捨て身の姿勢に少し戻るんですよね。全部戻れるわけじゃないけど。


ーー震災の時の話ですね。


TOSHI-LOW:で、20周年って禊ぎも済んで、また一からめくっていこう、自分たちを作っていこうって、何年かかけて作ったのが『梵唄 -bonbai-』なんです。


・これから知ることも、体験することもいっぱいある


ーー今回はゲストも多く参加してますね。そのへんも今回のBRAHMANの開かれた姿勢を反映していると思います。割り切れるものではないと思いますが、たとえば細美武士さんだったら、細美さんの声なり音楽性なりが欲しかったのか、細美さんという人間そのものが必要だったのか、どっちでしょう。


TOSHI-LOW:人間じゃないですかねえ。あまりミュージシャンとしてみんなを見てないっていうか。ミュージシャンとして呼ぶなら、コーラスの人を呼べばいい。上手なスタジオミュージシャンでもいいわけで、音楽だけだったら。でも、その人じゃなきゃいやなんだよなあ、というのがあるから。


ーーこれまでストイックにメンバー4人だけで作ってきた。そこで新たにゲストを迎えることに、葛藤や抵抗はなかったですか。


TOSHI-LOW:4人で鳴らしてる音に自信があるからね。「これ細美に歌ってもらいたいんだけどどうかな?」って訊いたら「いいじゃん!」って反応が返ってくる。BOSS(ILL-BOSSTINO/THA BLUE HERB)とやった「ラストダンス」ってあるじゃん(シングル『不倶戴天』に収録)。あれはブルースの要素が入った曲ができてきて、かっこいいんだけど、オレにはどうにもできない、どうしよう、ってなったのよ。そこで「BOSSにラップしてもらおうと思うんだけど」と提案したら、みんな「ハッ」としてピン! ときたみたいで。それも含めて閃きがあったし、それに対しての抵抗感みたいなものはなかったよね。きた! 面白いね! という反応だった。ウチとBOSSにしかできないものをやるべきだと思ったし、両方にとってチャレンジになったけど、最高のものができたと思ってる。アルバムには入らなかったけど。


ーーBRAHMANはいつもアルバムにカバーを1曲入れてますが、今回はソウル・フラワー・ユニオンやヒートウエイヴがやっている「満月の夕」です。共作者の中川敬(ソウル・フラワー・ユニオン)と山口洋(ヒートウエイヴ)もゲストで参加してますね。BRAHMANはNHKのTV番組『The Covers』に出演した時、この曲をやはり中川、山口をゲストに迎えて演奏してます(2015年8月11日放送)。これはその時のバージョンですか?


TOSHI-LOW:ほぼ一緒。でも新しく録った。


ーーしかもアルバムの最後に、締めの一曲として収録されている。それだけの重みを持たせたかったということですよね。


TOSHI-LOW:「満月の夕」は、山口洋、中川敬より、今俺のほうが良く歌えるって自負がある(笑)。でもそれは当たり前なんですよ。俺は「今の『満月の夕』」を歌ってるから。あの人たちは23年前(阪神淡路大震災)の満月の話を歌ってる。その時はそれが良かった。あの時は2つのストーリーがあったわけですよ。どちらも間違ってない。瓦礫の中から見た月も、瓦礫の外側から見てる月も、どっちも正しかった(注:ソウル・フラワー・ユニオン=中川は被災地の中から見た風景を、ヒートウエイヴ=山口は、東京から見た思いを歌った。両者は微妙に歌詞が異なっている)。ミュージシャンが大震災という大きな出来事に出会い、ボランティアという形で中に入って感じたことを世に出る形で歌にした、その始まりだったと思うんです。ボランティアとかチャリティとか、ミュージシャンが何をすべきか、それを示した元年だった。そこから17年を経て、今度は俺たちがやるべき、向かい合うべき出来事(東日本大震災)が起こった。でもそこで自分たちが歌いたかった歌は、意外に自分たちのものではなかった。「満月の夕」の冒頭の旋律が、頭の中で鳴ったんですよ。瓦礫の街でね。それで弾き語りで歌い始めた。で、いつのまにかバンドでも歌うようになった。それは東日本の震災からの「満月の夕」なんです。だからあの2つ(中川/山口バージョンの歌詞)を内在させて歌った。それを俺たちは「今の『満月の夕』」として置いておくべきじゃないかと思って、録音して、こうしてアルバムに入れたんです。


ーーなるほど。


TOSHI-LOW:これがあったら、もし次のーー絶対あってほしくないけどーーミュージシャンが動かなければならないような社会的に大きな出来事があった時に、この歌を次の誰かが歌えばいい。そうやって歌い継がれていい曲だと思ってる。その時は売名だとか偽善だとか、そんなことを言われずに済むように、顔隠さなくてもいいように、そこで生きて、何かを感じたミュージシャンが素直にそういうことができるようになればいい。今の段階を踏んでるからこそ、違う時代になってほしいと思ってる。その中のひとつの答えとして「満月の夕」を入れたかった。それには中川と山口が必要だったということです。


ーー単なるお気に入りのヒット曲のカバーではなく、歌い継がれてきて、そして今後も歌い継がれるべきトラディショナルソングを、BRAHMANなりの新たな解釈で歌ってみた、みたいな、そういうニュアンスに近いのかもしれない。


TOSHI-LOW:うんうん、「ナントカ節」を歌ってみた、みたいなね。それでいいと思うし、それがカバーの姿であると。だから本当は口頭伝承でも良かったのかもしれないけど、それをアルバムっていう中に入れてもいいじゃないかと。さっき話した最後のピース、最後に入れるダルマの目として、自分たちの今を表すためにどうしても必要だったし、それは自分たちの曲じゃなくてもいいって、みんな思った。そこで自分自分しなくても、アルバム最後の曲だから自分たちの曲にしなきゃとか、そういう意識すらもないっていうか。カバーだろうがなんだろうが、やってしまえば自分たちの曲ですからね。だって自分たちの響きから人に伝わるんだから。知らない人から見れば「あんたらがやってる曲」だと思うんで。俺みたいなのが歌いにいって、じいちゃんばあちゃんに「サインしてくれ」って言われるような、あの頃の福島の状況を見て、俺は何を歌うか。そこで自分の歌にこだわるなんて意味がないと思って。


ーー中川敬も同じこと言ってましたね。


TOSHI-LOW:うん。でもその一方で、自分のオリジナルをとことん突き詰めたいって気持ちもあって。そういう意味でも、まだまだBRAHMANでやってることって面白えなって思うし、未だにワクワクするし。ただ以前はBRAHMANとOAUとソロで分けて考えてたところもあったんだけど、今はそれが一体化してる。それはちょっと予想してなかった。「満月の夕」を歌い出した時に、バンドでやるとは思ってなかったから。でもバンドでやったからこそ、中川や山口を受け入れる器ができたと思うし。


ーーなるほど。あの『The Covers』での「満月の夕」は感動的でしたよ。2人はああいう形で共演することを事前に知らされてなかったんですか。


TOSHI-LOW:ほんとは知らないことはなかっただろうけど、まあTOSHI-LOWが仕掛けるんだったら「どっきりカメラ」じゃないけど、乗ってやろうか、みたいなアニキ心はあったと思う。俺はあいつのことは好かんけど、お前が間に入るならやってやるよ、みたいな感じ。


ーー倦怠期に入った夫婦みたいですね。間に子供がいて初めて会話が成立するみたいな。


TOSHI-LOW:(笑)。はははは! 今でもその状態みたいですよ。オレを介して話してくるもんね。相手に直接言えっての(笑)。


ーーあと「ナミノウタゲ」という、ハナレグミの永積タカシが参加した曲もあります。以前TOSHI-LOWさんと永積さんの対談の司会進行をやらせてもらったことがありますが、その時2人で何かやろうって話が出て、それが今回こういう形で実現したのかなと思いました。


TOSHI-LOW:そうそう。いいすよね。あのあと、あいつと活動圏が近くなったので、よく会うようになったんですよ。俺とあいつはお互い違うシーンにいてすれ違いが多かったから、なかなか関わることがなかった。でもそこですごくフラットに、近所のコーヒーを飲む友達、みたいなところから始めてさ。時間が合えば飲んだり、ギターを弾いたり、乞われて2人でセッションをやったり。俺はさ、楽器始めて、家に友達呼んで弾いたり、ちょっとうまい奴に教えてもらったり、2人でちょっと歌ってみたりとか、そういうみんなが経験するようなことをやったことなかったけど、こういう気持ちなのかなあって感じていて。


ーーああ、なるほど。


TOSHI-LOW:で、ある日「清志郎セッション」(忌野清志郎ロックン・ロール・ショー中野サンプラザホールLove&Peace~2017年5月9日)に俺が出ることになって。そのリハの前にあいつに会ったら「清志郎さんに謝らなきゃいけないんだ」とか言い出すわけよ。「一回セッションの誘いを断ったら清志郎さんが気を悪くしちゃって、『ARABAKI ROCK FES』で会った時もすごく怒ってるみたいだった。結局会ったのはそれが最後で、すごく後悔してるんだ」みたいなことを言うわけ。なら行こうぜ! って言って多摩の清志郎のお墓に行ってさ。ネットの情報だけを頼りに探してね(笑)。お墓の前でビールで乾杯してさ。「タカシ、清志郎怒ってた?」「いや、怒ってなかったよ! 大丈夫だった!」とか言って満足して帰ってきた(笑)。そういう、ギター持ってガキが遊んでるみたいなさ。そういうことをここ1~2年タカシとつるんでやってたわけですよ。音楽うんぬんとかハナレグミがどうとか関係なく人間として。


ーーつまり友達になったわけですね。今までミュージシャンとそういう付き合いをすることはなかなかなかった?


TOSHI-LOW:バンドってさ、人生のカウンターアクションだと思ってやってたからさ。ライブハウスで集まった奴と、対暴走族とパンチ合戦みたいなさ(笑)。ライブハウスの前の歩道橋から、走ってくる暴走族にションベンをかけるのに命を賭けるとかさ(笑)。そんなことばっかりやってたから。普通に友達と「そのコード、そうやって押さえるんだ」とかさ、あまり記憶になくて。


ーー10代の頃にできなかったことを今やってるみたいな。


TOSHI-LOW:そうやって音楽にワクワクするような経験がなかったからさ。そんな些細なことですらいっぱい残ってる。若い頃やってなかったことを今やれるのは、とても幸せなことだなと思ってね。ほかの人がやり尽くしてるようなことを俺はやったことなくて、初めて経験してるっていう。今から専門学校行っても嬉しいと思うもん(笑)。改めて音楽理論を学んでさ。「あっ、そういうことなんだ」って納得したりして。そういう音楽理論を教えてくれる友達ができたら楽しいなあと思うよ。


ーー今まで知らなかったこと、経験してなかったことを知ろうとする気持ち、好奇心を持ち続けることって大事ですよね。年取ってくると「俺はもういいよ」ってなりがちだから。


TOSHI-LOW:俺は音楽って幅の淵しか通ってなかったことがわかったからさ(笑)。そこが俺の頂点、王道だと思ってやってきたけど、ほかの人から見れば、すげえ端っこの際(きわ)の崖っぷちみたいなとこでやってたんだなと。だから今はいろんなものを見てみたい。新しい音楽をほじくり出して聴こうとは思わないけど、今はすごくフラットだからさ。それは若いバンドに対しても、古い音楽に対しても、フラットでいられてる。売れてるものに対してのヤキモチもないし。幸せですよ、だから。


ーーここがBRAHMANにとって、TOSHI-LOWにとっての新たなスタート地点でもある、ということですね。これからの未来が楽しみだと、誰よりTOSHI-LOWさん自身が感じてるんじゃないですか。


TOSHI-LOW:うん。面白えだろうなって思うよ。これから知ることも、体験することもいっぱいあるからさ。


(取材・文=小野島大)