FIAフォーミュラワン世界選手権が1月31日、2018年から決勝レース前のスターティンググリッドにおける、グリッドガールの廃止を公式ホームページ上で発表した。このニュースは、ふだんからモータースポーツをあまり取り上げることがない媒体も含め、“女性差別の問題”をめぐりさまざまな声が挙げられている。
■“グリッドガール”と“レースクイーン”
まず、このニュースを読むにあたって誤解されている方も多いと思うが、今回の一件は『レースクイーンを廃止』するのではなく、「F1におけるグリッドガールを廃止する」ということを把握していただきたい。日本ではモータースポーツの舞台を彩る女性たちのことをレースクイーンと呼ぶが、これは和製英語であり、今回F1で廃止されたものとは違う。今回の件で多くのメディアが“レースクイーン廃止”と報じているが、正確ではないと言える。
グリッドガールは、主にヨーロッパを中心に開催されるレースや世界選手権で見ることができる。主に大会主催者やサーキットがおそろいの衣装を用意し、グリッドでドライバーのゼッケンや名前が書かれたボードを立てマシンを迎え、スタート直前までグリッド前に立つのが仕事だ。
F1ではレース後、パルクフェルメから表彰台に至るまで、拍手でトップ3ドライバーを迎えてくれる。以前は大会スポンサーのロゴ入りの薄着の衣装が多かったが、近年では社会情勢に配慮してか、その国の民族性を意識した衣装も多い。F1やF2、GP3やDTM、ヨーロピアンF3、そして二輪でもMotoGPをはじめ多くのシリーズで採用されている。
一方、レースクイーンという文化は日本生まれ(鈴鹿、もしくは富士が発祥の地と言われている)。1980年代から盛んとなり、90年代頃まではいわゆるハイレグコスチュームで注目を集めた。基本的に、参戦する各チームのスポンサーが出資し、企業ロゴなどをつけたコスチュームを女性モデルが着用する。近年は過度な露出はシリーズの規則で禁じられており、モデルたち自らが意見を出し合い、コスチュームを作ることもある。
一方、モーターショーをはじめ各種イベントで活躍するのは、イベントコンパニオン、あるいはキャンペーンガール(キャンギャル)と呼ばれる(レースクイーンを務めているモデルがイベント時に務めることも多い)。
日本のレースでは、スーパーGTのグリッドガールはそれぞれチームのレースクイーンが務めるのが一般的。スーパーフォーミュラや全日本F3といったレースでは、ファンから募った子どもたちがグリッドボードをもつ『グリッドキッズ』という仕組みを導入している。
また、日本にはサーキット専属の女性モデルも存在する。日本の主要サーキットすべてに『サーキットクイーン』がおり、彼女たちは主要レース開催のアピール活動、スタート前後のセレモニーや表彰式でのプレゼンターの補助などを行う。
ヨーロッパにももちろん各チームのスポンサーがアピールするために、女性がコスチュームを着用してピット周辺を闊歩することがあるが、彼女たちは『パドックガール』と呼ばれている。グリッドガールともレースクイーンとも違う。蛇足だが、日本でも知名度が高まっているニュルブルクリンク24時間では、近年までドイツのセクシービデオ会社がスポンサーするマシンに、ボディペインティングをした女性(つまりほぼ全裸)がいて人だかりになっていた(写真はあるがあえて載せずにおこう)。
日本生まれのレースクイーンという文化は、アジア圏のレースに輸出され、日常的な光景となった。韓国、中国や台湾はもちろん、タイなどでも多くのレースクイーンを見ることができる。ちなみに、日本のスーパーGTがマレーシアでレースを開催していた際、日本から参加したレースクイーンたちは、ファンをはじめサーキットのオフィシャルからも一緒に写真を撮ろうとせがまれる存在だった。
ちなみに、若手登竜門として伝統的なマカオグランプリでは、ヨーロッパ式に言うところのパドックガールに加え、大会冠スポンサー等の“パドックボーイ”が毎年見られる。彼らも今後職を奪われてしまうのだろうか……!?
■過去から受け継がれた文化がなくなってしまうのは……
今回F1がグリッドガールの廃止に踏み切った理由については、「この習慣がブランド価値に共鳴するものではなく、現代の社会規範とはまったく矛盾していると感じている」とFormula1.comが記しているとおり、さまざまな女性団体からの声、アメリカに端を発したセクハラ告発の動き等があったことも理由だろう。また、F1はヨーロッパ、アジア、アメリカとさまざまな大陸で開催されており、文化的な面からもグリッドガールの廃止は合理的な判断だったのかもしれない。
ただ、グリッドガール廃止という流れがヨーロッパの他のレースや、世界的な流れになってしまうことにはやはり違和感を感じる。もともとモータースポーツは“紳士のスポーツ”として生まれており、女性ドライバーやメカニック、エンジニアも存在するが、出場する選手は男性が多い世界だ。
現代でこそ、モータースポーツは飛躍的に安全性が高まったが、かつてのモータースポーツはまさに生き死にをかけた男たちが挑むスポーツだった。そんな彼らを讃え、無事の帰還を迎えていたのは美しい女性たちであり、勝者は女性から月桂樹をかけてもらい、キスをもらうのが日常の光景だった。グリッドガールやレースクイーンは、そんな古き良き文化から来ているのは間違いない。
そういったモータースポーツの根源的な文化が、時代の変化こそあれ、一部の意見や圧力によって途絶えてしまうのはあまりにも寂しいことだろう。欧米ではそうした先鋭的な意見もあるだろうが、男女がもつ根本的な性質を否定してしまうことは、モータースポーツ以前にいかがなものかと感じている。
また、主催者がレースを盛り上げるために起用するグリッドガールと異なり、日本のレースクイーンの場合、彼女たちにとっては「モデル業の一環」の仕事のひとつながら、チームに所属することから大半がチームと同じ気持ちでレースを応援し、笑い、泣き、多くがモータースポーツに熱い情熱を注いでいくことが多いこともぜひ覚えておいてほしい。
この件に関して「レースクイーンは薄着で笑っているだけ」という心ないコメントもネット上に散見されるが、レースクイーンとして人気が出る女性は、美貌もさることながら一般社会と同様にきちんと挨拶ができ、周囲に配慮が効く女性だ。彼女たちはプロフェッショナルなモデルとして厳しく教育され、企業の看板を背負う責任をもっている。
もちろん、“美”のために日ごろから努力と節制を怠らず、レースクイーンという仕事に自負をもっている。12月の極寒のなかだろうが、8月の酷暑のなかだろうが、彼女たちの仕事ぶりは変わらない。
日本国内で最も人気があるスーパーGTの場合、45台ほどのマシンに対して170名近くのレースクイーンが所属するが、近年は家族連れで訪れるファンが多いこともあり、両親とともに訪れた女の子が、レースクイーンに憧れ“コスプレ”してくることもよく見られるようになってきたし、実際にレースクイーンになった女性もいる。小さな子どもたちにとって、ドライバーが「カッコいいお兄さんたち」なら、レースクイーンは「カッコいいお姉さんたち」なのだ。
今回の件で世界中の多くのモデルの女性たちがSNS等で反対意見を述べている。彼女たちの多くはモータースポーツを愛し、「やりたくてグリッドガール&レースクイーンをやっている」からだ。スーパーGTやスーパーフォーミュラ等、国内の主要レースでは急激に変化を考えていることはなさそうだが、今後もぜひ日本では、欧米からの過度な意見に引きずられることなく、女性たちの憧れになるレースクイーン文化が築かれていくことを願っている。レーシングカーであれレースクイーンであれ、男性も女性も皆、サーキットには美しいものを観に来ていると思うのだ。