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ジャパニーズ・ホラーはただの流行りものではなかったーー『ザ・リング リバース』に見るその行方

2018年02月01日 12:32  リアルサウンド

リアルサウンド

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 一時期、世界的なブームとなった「ジャパニーズ・ホラー」。その火付け役となった代表的作品といえば、中田秀夫監督の『リング』(1998)だ。「見ると7日後に死ぬ」という“呪いのビデオ”を見てしまった主人公が、その映像の内容を調査し、助かる方法を模索するという、都市伝説風の題材を扱った、ホラー・サスペンス小説の映画化作品である。西洋的な恐怖映画でもなく、また従来の日本の怪談映画とも異なった、斬新なホラー表現。さらに、テレビから貞子が這い出して迫り来る場面は話題を呼び、『リング』は映画史に残るホラー映画となった。


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 その圧倒的表現をハリウッドが見逃すはずもなく、そこから舞台をアメリカに変えたリメイク作『ザ・リング』(2002)が作られ、予想を超える大ヒットを記録したことで、オリジナル監督である中田秀夫が手がけた続編『ザ・リング2』(2005)を含めて、その後の数年間にわたり、アメリカでジャパニーズ・ホラーを基にした企画が増えることになる。


 久しぶりのハリウッド・リメイク版となる本作『ザ・リング リバース』は、同じプロデューサーによる企画ということもあり、“呪いのビデオ”の映像など、ナオミ・ワッツが主演した前2作と関連する部分は残っているが、新たな工夫を加えたうえで、もう一度1作目の物語をやり直している。今回は、そんな『ザ・リング リバース』の内容を追いながら、ブーム後のアメリカにおけるジャパニーズ・ホラーの行方について考えていきたい。


 日本の映画『リング』シリーズでは、顔が隠れるほどの長髪で白いワンピースを着た“貞子”というキャラクターが作品の代名詞となっているが、ハリウッド・リメイク版では、同じ格好をした“サマラ”という11歳の少女が貞子の役割を担っている。生前に不思議な能力を持っていたサマラは、その歳で井戸に突き落とされ、苦しんで死んだことで、現世に恨みを残した。呪いのビデオとは、井戸の底で抱いたサマラの念が映像となったものであり、それを見る人々に死の呪いを振りまいていたのだ。


 久しぶりのリメイクということもあって、本作になるともはや人々は、ビデオデッキでなく、パソコンのモニターやスマートフォンなどで呪いの映像を視聴するようになっている。面白いのは、「映像をコピーして他の人物に見せれば助かる」というルールが、ちゃんとパソコンのデータをコピーすることでも機能する部分である。本作のサマラの念は、呪いを広めるためにしっかりと時代に対応し、様々なデジタル機器の機能に適合しているのだ。


 本作の冒頭では、呪いの映像を見てから7日後に、ちょうど飛行機に乗って移動する人物が登場する。ファンの間では、インターネットなどで「サマラ(貞子)の呪い」から逃れる新しい方法がないかという話が、いままでに冗談半分で議論されてきたが、そのなかには「飛行機に乗っていれば追って来れないんじゃないか」という意見があったり、「テレビの画面部分を床に倒してしまえば出て来れないんじゃないか」と言われたり、「スマホしか無い状況であれば、小さな画面から“ちっちゃいサマラ(貞子)”が出てくるんじゃないか」と、ネタにされてきた。本作では、それらの障害をサマラが全部乗り越えてくる。そして最終的には、人を呪い殺すための頑張りを応援したい気持ちにすらなっていく。


 一時期、ホラーの最先端といえばジャパニーズ・ホラーであり、ハリウッドでもリメイク作を手がけることによって、その恐怖感覚をとり入れようと躍起になっていた。ジャパニーズ・ホラーのブーム後も、日本ではいろいろなホラーの趣向が試されてきたが、『リング』や『呪怨』シリーズのような、世界を巻き込むまでの普遍性を持った恐怖表現はいまだ出てきていないのが現状だ。それではジャパニーズ・ホラーは、世界規模では役目を果たし終えてしまったのだろうか。


 しかしその後、「ホラー・マスター」の異名をとるジェームズ・ワン監督が、『インシディアス』や『死霊館』などのオリジナル作品によって、本人が黒沢清監督などからの影響を公言するように、ジャパニーズ・ホラーにおける恐怖感覚を“化学の実験”のように抽出しながら、従来の西洋文化の恐怖表現と結び付けることに成功している。


 ホラー映画・歴代興行収入1位という記録を打ち立てた『IT/イット “それ”が見えたら、終わり。』でも、スライド投影シーンなどで『リング』、そして『リング2』を想起させる部分があるなど、いまや「ジャパニーズ・ホラー」は、ただリメイクの題材になるだけでなく、その恐怖の本質部分が利用されるようになってきたといえるだろう。それはあたかも、寿司や天ぷらなどの日本食レストランを流行させる時期が終わり、自国の料理のなかに、味噌・醤油などを隠し味に入れるような、お互いの文化が、より溶け合う段階に入っていることを示しているように思える。


 だがジャパニーズ・ホラーを牽引してきた『リング』は、まだまだその全てがしゃぶり尽くされているわけではないはずだ。今回の『ザ・リング リバース』は、その部分に食指を伸ばしたリメイク作だったように感じられる。リメイク第1作であった『ザ・リング』は、非常に丁寧な作りでありながら、やはり映画『リング』の内容をアメリカ映画として置き換えていくという作業に終始していたように思えるが、本作は呪いのメカニズムを科学的に解明しようとするシーンに見られるように、原作小説を書いた鈴木光司も認めるとおり、原作の内容に近いものになっている。日本版『リング』が扱わなかった原作の内容すら拾ってきて、もう一度『リング』シリーズを総括しながらやり直そうとする脚本になっていたのだ。


 そして、SNSを通した若者たちのコミュニケーションへの不安感、アメリカでとくに近年取りざたされている、聖職者による過去の虐待事件の捜査、そして絶えず起こっている監禁事件など、現在のアメリカの問題を描いた映画として、より存在理由も高められている。同じプロデューサーによる、リメイク作の姿勢についての変化というのは、業界自体の作品づくりの手法の洗練を意味するように思えるし、作品に深みを与えようとする意志を感じるところだ。


 本作が長編2作目となった、スペイン出身のF・ハビエル・グティエレス監督は、前作『アルマゲドン・パニック』で、SFやホラー、そして極限状態における細やかな人間心理を描いて評価されている。そこで描かれていた「水が下から上へと逆流するイメージ」は、本作で雨つぶが空に向かって登っていく描写にもつながっている。これは、中田秀夫監督が『仄暗い水の底から』や『ザ・リング2』で表現した演出に通底する部分だ。グティエレス監督がさらに前に撮った短編映画『Brazil』からは、恐怖描写にユーモアをとり入れる感覚に優れていることも分かる。その意味では、より複合的な価値を持たせられた本作の脚本に、監督の資質が適合していたといえるだろう。


 近年のアメリカのホラー映画を追っていくと分かるように、ジャパニーズ・ホラーは、一過性のブームとして消え去っていくような、ただの流行りものではなかった。それはむしろ、アメリカ映画のなかに深く織り込まれる存在となり、より身近なものとして作品を支える力となっている。本作『ザ・リング リバース』は、そのような状況を分かりやすく確認できる一作でもある。(小野寺系)