2018年01月27日 10:12 弁護士ドットコム
最高裁は2017年11月29日、強制わいせつ罪(刑法176条)の成立要件に関する1970年の最高裁判例を変更する判決を言い渡した。故意以外の性的意図を一律に同罪の成立要件とすることは相当でないとするもの。
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これまで批判が強かった判例が変更されたことで、捜査の現場でも被疑者の内心の問題である「性的意図」の有無の立証に必要以上に時間を取られなくなることで、実務処理面でも大きな影響が考えられる。以前に「性的意図」が問題となった事件につき地裁の裁判官として判決を下したことのある松本時夫弁護士に話を聞いた。(ジャーナリスト・松田隆)
今回の最高裁判決の事件は7歳の女児に陰茎を口にくわえさせるなどの行為を行わせた上に撮影し、知人に送信したというもの。被告人は、知人から借金をするために行ったもので「性的意図」はなかったと主張していた。
これに対し最高裁は、行為者の性的意図の有無を判断材料とする場合もあり得るものの「故意以外の行為者の性的意図を一律に強制わいせつ罪の成立要件とすることは相当ではなく」と判例の解釈を変更。当該事案は性的性質が明確な行為であるとして、強制わいせつ罪の成立を認めた。
1970年1月29日の最高裁判決の事件は、専ら報復目的で23歳の女性を脅迫し、裸にして写真を撮ったというものである。最高裁は「強制わいせつ罪が成立するためには、その行為が犯人の性欲を刺戟(しげき)興奮させまたは満足させるという性的意図のもとに行われることを要し」として同罪の成立を認めなかった。
強制わいせつ罪の故意は「暴行又は脅迫を用いて、わいせつな行為をしている」という認識と言っていい。ところが強制わいせつ罪が成立するためには故意だけでは足りず、「その行為が犯人の性欲を刺戟(しげき)興奮させまたは満足させる」という「性的意図」を必要とするのが1970年判決である。
極めて抽象的に表現すれば「いやらしい考えで、わいせつな行為をしたら成立」、「いやらしい考えがなかったら不成立」ということである。
もっともこの判決には根強い批判があった。被害者にすれば、性的な行為で屈辱を味わったのに「相手はいやらしい考えがなかった」と、強要罪(刑法223条)などの軽い罪(3年以下の懲役、強制わいせつ罪は6月以上10年以下の懲役)で済んでしまうのではたまらない。
学説もこの判決には批判が根強かった。
その後、下着販売の従業員として働かせる目的で女性を裸にして写真を撮影したという、直ちに性的意図が認められにくい事件が発生。この場合、1970年の判例に沿って強制わいせつ(致傷)罪は成立しないという判断も可能だったようにも思える。
しかし、東京地裁は1987年9月16日、その写真を見る人が性的意図を持って見ることが明らかな場合は、撮影した人にも性的意図が認められるというロジックで被告人の性的意図を認め、強制わいせつ致傷罪の成立を認めた。
こうした下級審の判決もあり、学説では「1970年の判例は、維持が難しいのでは」という声が強くなっていたのは事実である。
この時の裁判長裁判官で、現在は弁護士の松本時夫氏は、強制わいせつに対する社会の受け止め方の変化が判例変更の背景にあるとする。以下、松本弁護士に聞いた。
――今回の最高裁の判例変更につき、どのような感想をお持ちでしょうか
判例変更という形をとらないでも、同じような判断(強制わいせつ罪の成立)はできたのかなという気はします。二審の大阪高裁が昭和45年(1970年)の判例と反対の考えを示しているので、それに対して前の判例を変える判断を示したのだろうと思います。
大阪高裁が昭和62年(1987年)の東京地裁の判決のように、性的意図が認められにくくても、他の証拠から性的意図を認める判断をしていたら、最高裁は(判例変更をせずに)「昭和45年の解釈として、ここまで広げられる」というような言い方で、判例変更をしなかったかもしれません。
そう考えると、今回の大阪高裁は判例を変えようという意図があったのだと思います。
――1987年の東京地裁判決でも1970年の判例と違う判断もできたのではないでしょうか
判例を変えようという意図で判決すると、場合によっては最高裁まで行って高裁に差し戻されてと、時間も労力もかかることがあります。それは実務的な処理としては適当ではありませんし、被害者も加害者も喜ばないでしょう。
あの事案は被告人側は自分がやったことは決して許されないとわかっていましたし、事実、控訴もなく確定しています。判例はあくまでも個々の事案に則したものなのです。
――そもそも1970年判決はどうして性的意図が必要としたのでしょうか
内心的意図が必要というのは、ドイツの刑法理論から来ています。「強制わいせつ罪は内心的意図によって成否が決まる」という議論を受け継いだものでしょう。
――なぜ、判例が変更されたのでしょう
昭和45年当時、強制わいせつにあたるかどうかという議論が一般社会にどの程度あったかという問題でしょう。当時はそういう犯罪がしょっちゅう行われていたわけではありませんから、そうした議論はほとんどなかったと思います。
しかし、今の時代は、例えば、電車で痴漢行為が頻繁に行われるようになっていて、(犯人の意図に関わりなく)そういう行為をすること自体、許し難いという社会的な概念が生じています。
被害者は実際に性的な被害を受け、(行為から性的意図は明らかでもあり)それに対する犯人の心理的意図がどうだったかなど考える余地はありません。それを処罰すべきという声が社会的に非常に強いわけです。現代と昭和45年とは状況が違います。
――学者、学説の動きはどうでしょう
今はほとんどの学説が「性的意図はいらない」と言っています。加害者の心理によって犯罪の成否を議論すべきではないという議論をしています。
――最高裁は「一律、性的意図は不要」と言わなかったのはなぜでしょうか
たとえば医療行為だったら、犯罪が成立するはずがありません。また、後ろから抱きついて女性を倒した時に乳房を掴んだら、それ自体は強制わいせつ的な行為ですが、殺害しようとしていたのなら殺人罪の成立を認めればいいわけです。それらが、最高裁が言っている「行為そのものが持つ性的性質が不明確な場合」でしょう。
――この判決が捜査の現場に与える影響はどのようにお考えでしょうか
客観的にわいせつな行為があれば、直ちに強制わいせつ罪が成立するということを、特に若い警察官などが知っていれば取り締まりしやすいでしょう。内心的な意図がどうであったかという難しいことを考えなくて済みますから、安心して処理できるのではないかと思います。
【取材協力弁護士】
松本時夫(まつもと・ときお)弁護士
1957年東京大学法学部卒業、1958年司法研修所入所、1960年東京地方裁判所判事補。その後、札幌地裁、福岡地裁、司法研修所教官、東京地裁等を経て1993年東京高裁判事、1998年には広島高裁長官に就任。退官後、2000年に弁護士登録し、桐蔭横浜大学法学部教授を経て2004年同学法科大学院教授となり、2008年に定年退職した。
事務所名:宮崎法律事務所
URL:http://www.m-law.jp
【プロフィール】
松田隆(まつだ・たかし)
1961年、埼玉県生まれ。青山学院大学大学院法務研究科卒業。日刊スポーツ新聞社に29年余勤務後、フリーランスに転身。主な作品に「奪われた旭日旗」(月刊Voice 2017年7月号)。
ジャーナリスト松田隆公式サイト:http://t-matsuda14.com
(弁護士ドットコムニュース)