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『ROKUROKU』雨宮慶太が語る、ホラー表現の醍醐味 「多様な怖さの表現にチャレンジできた」

2018年01月26日 16:02  リアルサウンド

リアルサウンド

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 映画監督のみならず、イラストレーター、キャラクターデザイナーとして海外からも注目を集める映像クリエイター・雨宮慶太が原作&総監督を務める『ROKUROKU』が、1月27日より公開される。日本古来の妖怪と人間との戦いを描いた本作は、ろくろっ首、ぬり壁、カラ傘、猫目など、誰もが知っている異形の存在を大胆不敵にビジュアル化し、美しくも恐ろしいモンスターたちと人間の戦いが映し出されている。


 このたび、リアルサウンド映画部では、本作の総監督・雨宮慶太にインタビューを行い、“妖怪”への想いから、ホラーにしかできない表現について、じっくりと話を聞いた。


■自分の中にある妖怪原体験をもとに


ーー日本古来の妖怪たちがオムニバス形式で9人登場します。どの妖怪も一度観たら忘れられないビジュアルですが、そもそもなぜ“妖怪”を取り上げようと思ったのですか。


雨宮慶太総監督(以下、雨宮):︎もともと妖怪が好きだったということが大きいです。子供の頃は水木しげる先生の作品や大映の妖怪映画が好きで、繰り返し読んだり観たりするほどの妖怪好きの少年だったので、いつか自分が考えた妖怪を映像化したいなと思っていました。


ーー妖怪というと、どこか“キュートさ”を押し出すキャラクターが増えてきた中、本作の妖怪たちは本当に怖いビジュアルです。


雨宮:ロクロクは幼少の頃に空想したイメージですが、他の妖怪は企画した時に描いていきました。ただし、自分の中では彼女たちもキュートさがある妖怪だと思っています。


ーー妖怪たちをすべてCGIで表現するという選択肢もあったと思いますが、特撮技術や特殊メイクを施した“アナログ”な表現と組み合わせたことで、独特の怖さと魅力が出ていると感じました。


雨宮:すべてCGIで表現するという選択肢は確かにありました。その方が現代的な妖怪表現なのかもしれません。しかし、自分の中にある妖怪原体験は実写ドラマの『悪魔くん』であり、大映の『妖怪百物語』です。それらは全て素晴らしい造形物だったり、俳優さんが演じていたものでした。なので、自分にとって映像の中での妖怪表現は現場に被写体があるものなのです。今回は野本かりあさんがすべての妖怪を演じてくださりました。妖怪を体現できる彼女の演技力と、理解あるポストプロチームのおかげでユニークな妖怪がカタチにできたと思います。


ーーロクロクやカマイタチは比較的顔が見えることもあり、野本さんかな?と伝わる部分もあるのですが、まさかすべて演じられているとは思いもよりませんでした。すべて女性の妖怪である理由は?


雨宮:本来、妖怪は実体がないものでそれを先人たちがイマジネーションを駆使してビジュアル化したと解釈しています。それならば自分なりに妖怪をビジュアル化したら楽しいだろうと考えて、今まであまりなかったアプローチ、妖怪をすべて女性モティーフで表現したら?という発想が浮かびました。


ーー登場する9人の妖怪のうち、もっとも思い入れがある妖怪は?


雨宮:もちろんどれも可愛い我が娘なのですが(笑)、映画化が決まってからイメージを固めた箱女とカマイタチは思い入れが深いです。『ROKUROKU』の妖怪は怖さだけでなく、どこかユーモラスな可愛さがあるモノにしたいと造形しています。


ーー箱女と猫目は可愛さ以上に、本当に怖かったです(笑)。「カラ傘」では、カラ傘のイエローとモノクロ描写の対比がひじょうに美しいビジュアルでした。


雨宮:カラ傘の黄色を印象的に見せたかったのでモノクロにしようと山口監督と相談しました。他のエピソードもそれぞれ独特な色彩にしてほしいと要望していたので、多彩な色彩の映像になったと思います。原作の段階では『ROKUROKU 赤い着物』という題名で考えていたくらいなので、赤が印象的に残る映画のイメージはありました。


ーー山口雄大監督とはどんな連携を?


雨宮:当初は複数の監督によるオムニバスで考えていました。山口監督にはメインで何本かやってもらえたらいいなと思ってましたが、最初のオファーの時に全話監督したいという熱量を感じたので『ROKUROKU』は山口雄大監督に委ねる決心をしました。妖怪表現や全体のルックは自分の要望を話しました。山口監督からはロクロクをドラゴンみたいに表現したいと提案されました。もともとロクロクが四つ足歩行するイメージはなかったのですが、面白そうだと感じてラストのロクロクは四つ足歩行をしています。ただし合成の難易度がグッと上がったので苦労しました(笑)。


ーー確かに二足歩行ではなく、四つ足歩行になったことで、唯一無二の妖怪になっていると感じます。監督と総監督、役割の違いはなんでしょうか。


雨宮:監督は映画の責任者で総監督はコンテンツの責任者だと考えてます。総監督業務は裏方です。映画が面白かったら監督の手柄で、ダメだったら総監督の責任だと常々自分に言いきかせて総監督業務をしています。


■亡霊ではない、“妖怪”だからこそできる表現


ーー小説版では、高校生と小学生が主人公です。本作の設定変更の経緯、映画化するにあたり何を最も重視されたのですか。


雨宮:小説版では人間の業や怨念を題材に恐ろしい物語を梅田寿美子さんが描いてくれました。映画版はどちらかというと不条理な怪異と遭遇した人のエピソードを静かに描けないだろうかと台本を作成してもらいました。


ーーイズミとミカは、子供の頃に交わした約束によってロクロクに襲われてしまいます。結果として“バッドエンド”ともいえますが、この結末は最初から?


雨宮:小説版の『ROKUROKU』、自分が監督した短編ホラー『カタカタ』、どれも同じワールドの物語ですが、偶然すべてバッドエンドになってます。特にバッドエンドにしようと狙ったわけではありません。


ーー“ホラー”というジャンルにしかできない表現方法の醍醐味はなんでしょうか。


雨宮:ホラーにしかできない表現は多岐にわたりますが、醍醐味はなんといっても怖さの表現だと思います。今回は亡霊でなく妖怪です。亡霊の表現では難しいケレン味が出来るのが妖怪です。怖いけどキレイ、怖いけど滑稽。そんな多様な怖さの表現にチャレンジできたと思います。


ーーこの作品に込めた思い、メッセージを教えてください。


雨宮:便利な物に囲まれて欲しい情報が瞬時に手に入るようになりました。もう怪異がはびこる隙がなさそうな時代ですが、それでも得体の知れないモノたちはいます。でもそれらに対峙する勇気は超人ではない普通の人の中にもあるんだと信じています。


(取材・文:石井達也)