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『カルテット』と対極の作品に? 広瀬すず主演ドラマ『anone』に漂う、悲しい“諦め”

2018年01月17日 06:02  リアルサウンド

リアルサウンド

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 坂元裕二脚本、水田伸生演出の『anone』(日本テレビ系)が始まった。以前私は、『anone』への期待を、これまで「母親」を描いてきたドラマ『Mother』『Woman』(ともに日本テレビ系)の系譜を継ぐ、「母親」ではなく「子供」の側から描いた逆バージョンのようなものだろうと書いた。恐らく視聴者の多くが、『Mother』『Woman』のように重厚な社会派ドラマ、もしくは昨年放送の坂元裕二脚本ドラマ『カルテット』(TBS系)のような現代における優しい寓話の延長線上の物語を期待したのではないだろうか。


参考:『anone』は何を問いかける? 『Mother』から『カルテット』まで、坂元裕二の作家性の変化


 その期待に応えつつも大きく裏切るような第1話の展開は、若干の当惑と大きな興奮によって受け入れられたはずだ。敬遠した人もいるかもしれない。『Mother』『Woman』の延長線上にあるようで何かが違う、それでいて『カルテット』とも対になる暗く切ない寓話。それが第1話を観た感触である。


 『カルテット』の第5話において、理想や恋、夢に生きる主人公たちに「現実」という刃を突きつける吉岡里帆演じる有朱は、「努力は大抵報われないし、愛は大抵消える」とぶつける。彼女は、『カルテット』の世界の中では数少ない、どこまでも現実的で、登場人物たちをかき回すだけかき回してしたたかに生きていく“悪女”である。


 だが、『anone』において、「努力は裏切るけど諦めは裏切らない」と言う阿部サダヲ演じるカレー屋の店主・持本は、別に誰かを攻撃しようとしてその台詞を言っているわけではない。過剰な名言のオンパレードというオブラートで包まれても重くのしかかる自身の「余命半年」という悲劇を前に、事実を言っただけのことなのだ。そして、1話最後にその台詞は小林聡美演じる青羽るい子によってもう一度繰り返される。彼女の自殺を止めるために、持本は慌てて「フリスクをちょうど1個出すこと」を成功させようとするが、あっけなくフリスクは2個飛び出してしまうからだ。「ほらね、やっぱりだめでしょ」。そんな哀しい諦めが、この物語には漂っている。


 貧しさと孤独、そして死。そんな言葉だらけの暗い世界を生きる彼らがすがるのが、過去の記憶と海岸の大金という2つの「ニセモノ」である。


 広瀬すず演じるハリカは、風車が立ち並ぶ「柘」という町で倍賞美津子演じる優しいおばあちゃんと2人で暮らしたおとぎ話のように美しい過去の記憶を時折思い出す。それが苦しい現実を生きる彼女にとっての唯一の心の拠りどころだからだ。だが、その過去の記憶は彼女がすり替えた偽りの過去でしかなかった。思い出の地に辿りついたハリカに、無常にも風見鶏は、その場所が更正施設であり、優しいおばあちゃんが実は鬼のように怖い先生だったことを告げる。「あのね」で始まる物語は、彼女の「夢」に過ぎない。


 そして、スマホゲームのチャットを通してそれに付き合うカノンもまた、病院での生活を、窓の外にいるハシビロコウに見張られている動物たちの物語としてハリカに説明する。だが、実際は「ハシビロコウの絵が書かれた看板を病室の窓から眺めるだけの日常」という逃げ場のない現実を少しでも明るくするための密かな遊び、小さな「夢」だ。


 ニセモノの過去にすがるハリカ、ニセモノの現在を語るカノンは、残酷な現実の前に叩きつけられる。そこで新たに語られるカノン、本名・紙野彦星とハリカの施設からの逃亡劇と流れ星の記憶は果たして本物かニセモノか。


 ネットカフェで暮らすハリカと女の子たち、そしてカレー屋の店主・持本と青羽るい子がドタバタと争奪戦を繰り広げる、テトラポットの隙間に隠された大量のお札は、持ち主である田中裕子演じる林田亜乃音が必死で奪い返したり交換したりすることからして本物ではないのだろう。彼らがお金に執着するのは、差し歯のため、留学のため、カノンの医療費のため、さらには救いのない自分の人生へのせめてもの「幸運」のためといったところだ。


 信じられるのは気休めの名言、本物の家族、友達、奇跡ではなく、自分で作り変えたニセモノの過去という夢とニセモノのお金だけ。それがこの『anone』の世界だ。


 量産もののクッキーの中の形違いの1個をハズレと言うのかアタリと言うのか。『カルテット』の世界なら、彼らはそれを「アタリ」と言っただろう。ではこの生きづらい現代社会を生きる人々は何と言うのか。「あのね」と言っても聞いてもらえず、社会不適合者、病気とレッテルを貼られ否定され続けた女の子は、自ら「ハズレ」と名乗ってひっそりと生きている。


 夢と嘘、そしてテトラポット。『カルテット』を語る時と同じフレーズを使っているのに、2つのドラマは対極の位置にある。この物語は、『カルテット』の彼らが、さらにはその世界を愛していた視聴者が、「見たくない」と思っていた側の物語なのかもしれない。


 「ちょっと、この店って明るすぎません?」と小林聡美が言う。床下の大金を見つけた田中裕子の家で電球がパチンと切れる。ぼんやりと月の光が照らすように、タイトル『anone』が浮かび上がる。彼らが見つめた流れ星を、私たちが住む世界では、明るすぎて滅多に見ることができない。


 闇だからこそ、見える光がある。このドラマはきっと、そんなドラマだ。(藤原奈緒)