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藤崎彩織=Saoriが初小説で描いたSEKAI NO OWARIとの重なり 円堂都司昭『ふたご』評

2018年01月16日 08:02  リアルサウンド

リアルサウンド

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 SEKAI NO OWARIは、2017年大晦日の『NHK紅白歌合戦』(NHK総合)で4回目の出場を果たし、「RAIN」を演奏した。ピアノを担当したのは、Nakajinだった。昨年1月に結婚したSaoriが産休に入ったため、代役を務めたのだ。新年の1月4日になってから第1子を出産したと発表されたが、彼女はバンドから離れている間、そのニュースだけで話題になったのではない。


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 読書好きのSaoriは以前からエッセイや書評を執筆し、昨年10月に初の小説『ふたご』を藤崎彩織名義で刊行している。同作はベストセラー上位になっただけでなく、驚いたことに第158回直木賞の候補作に選ばれたと12月20日に発表された。彼女はバンドに不在の期間も、小説で存在感を示したのである。


 それは、強く結びついた2人の物語。西山夏子は中学2年生の時に1学年先輩の月島悠介と知りあい、よく話すようになる。友だちの作り方がわからないと泣いた夏子にとって、「お前の居場所は、俺が作るから」といってくれた月島は大きな存在になる。彼は彼女を「ふたご」のように思っていると話す。しかし、2人はかなり違っていた。


 ピアノを友だちにしてきた夏子は、音楽科のある高校に進み、音楽大学に入学する。それに対し、校則に意味があるのではなくルールを守ることに意味がある——というぐあいに、様々なことの意味を考えるたちの月島は、感性の鋭さを示すものの、進学した高校になじめず退学してしまう。2人の交流は続くが、彼が遠くへ行ってしまうかと思えば、いきなり自宅を訪れたり、夏子はさんざんふり回される。月島の精神が不安定になって入院し、親から会わないでくれと告げられるが、それでも本人は会いに来る。


 月島は、一つのことを続ける、集中する、頑張るということができなかった。怠けているだけとみえるその状態に、自身が苦しんでいた。しかし、やがて彼はバンド結成を決め、残りのメンバーを探すよりも先に拠点となる場所を借りることにし、曲作りや練習の前にその地下室のリメイクに力を注ぐ。そんな本末転倒の行動に夏子も巻きこまれ、結局バンドへ参加することになる。彼が「嫌ならいいよ」といった時に彼女は断れない。


 中学時代からつきあいの続く月島が、夏子を「恋人」と呼ぶこともある。だが、二人の関係は恋愛とは違っており、彼が別の女性とつきあうのをみて、彼女はつらい思いもする。


 月島は昔の約束通り、自分のそばに夏子の居場所を作ったが、彼の言動に翻弄される彼女にとって、居心地は必ずしもよいものではなかった。ふり回される側の夏子の視点で書かれた本作は、彼女がいかに月島から影響を受けたかを語った内容に思える。太陽が強く輝く季節を名前にした夏子と、太陽の光の反射で明るく見える月を苗字に持つ月島。精神の不安定さがアーティスティックな感性と結びついている月島の命名は、「lunatic=狂気」という言葉が「luna=月(の女神)」に由来することを意識したのかもしれない。太陽と月の関係とは逆に、本作では月島の放つ感性の光を夏子が反射しているようにも感じられる。


 とはいえ、月島は、初めから夏子をバンドに誘わなかったのは、喧嘩になるからだという。加入後は彼女がいちいち歯向かってくると指摘する。語り手としての夏子は、自分がいかに月島に翻弄されたかを強調するが、彼のほうは彼女の自己主張を認識している。一方的な関係ではない。このような、心理のややこしさをとらえているあたりが興味深い。


 『ふたご』は二部構成であり、第一部では、夏子にも他の友人がいたはずなのに、親が少し出てくる以外はほぼ月島の話で終始する。彼女の世界の大部分を彼が占めていたのだ。第二部ではバンド結成が語られるから、登場人物の数は増える。なかでも、月島と昔から音楽の話をしていて最初のメンバーとなった山口凛太郎(通称ぐちりん)は、大きなポイントとなる。ぐちりんは月島と同様に夏子の中学の先輩だったが、第一部では言及されなかった。第二部になって月島には夏子との世界だけでなく、ぐちりんとの世界もあったとわかる。また、バンドに入ることで夏子は、これまで弾いてきたクラシックとは異なる音楽があることを実感する。


 月島と夏子の関係は単純ではなく、恋愛のようなときめきと同時にホラーのような怖さも含む。ここには、強く長い結びつきとなる誰かと出会いたいという一般的な願望が、一風変わった形で実現した様子が描かれている。


 著者のあとがきによると『ふたご』は五年かけて書かれ、登場人物もヤクザやホームレスを含めてあと十人ほどいたそうだ。そこからエピソードと人数を削ったのだが、第一部を2人だけの世界のように描き、第二部でそれが急変する展開にしたのはよかった。思春期的な狭い思いこみの世界が破壊され、アイデンティティの動揺を経て、1人の人間として強くなる。そのように青春小説的なテーマを効果的に伝える構成になっている。


 SEKAI NO OWARIを知らずに『ふたご』を読む人は、少ないだろう。お笑い芸人の又吉直樹はお笑いの世界を舞台にした初の中編小説『火花』で第153回芥川賞を受賞したが、作中の芸人=又吉ではなかった。それに比べ、『ふたご』では、夏子がSaori、月島がFukase、ぐちりんがNakajin、もう1人のメンバーのラジオがDJ LOVEをモデルにしているのは明らかだ。ファンならばSEKAI NO OWARI前史と小説で重なる部分がわかるだろう。


 著者本人も、現実との関係について「リンクしている部分はたくさんあるけど、していないポイントもある。読者の方に判断はお任せした方が、想像力が膨らむと思います」(『オール読物』2018年1月号)と語っており、SEKAI NO OWARIと重ねあわせて読まれることを忌避していない。


 月島と夏子が行う言葉の意味を考えるゲームは、神、思想、命、真実、正義などにまつわるクエスチョンを歌った「Death Disco」など、Fukaseの作詞術につながった思考法だろう。また、小説の読後にSaori作詞の「マーメイドラプソディー」を聴けば、人と魚が半分ずつである人魚の自由と不自由を歌ったこの曲で、音大と地下室の価値観の違いに悩んだ夏子を連想するかもしれない。


 『ふたご』は初小説だからぎこちない部分もあるが、体験に基づく心理のリアルさがある。また、手にした人がSEKAI NO OWARIに抱いている印象から想像を膨らませ、行間を読むこともできる。そんな風に虚実を横断する作品である点が面白い。


 小説後半で夏子は詞を書き、表現者として覚醒する。一方、現実のSaoriはFukase、Nakajinとともに曲作りをするだけでなく、ライブ演出も手がけるようになった。Fukaseから強い影響を受けながらSEKAI NO OWARIに参加した彼女は、合議でものごとを進めるなか、演出家として最も彼とバンドを客観視してきたメンバーだともいえる。


 人気上昇でSEKAI NO OWARIのステージセットは大きくなり、広い会場にファンタジー的なテーマパークを出現させたようになっている。最近はメンバー4人だけでなく、サポートのドラムとベース、ストリングスやホーンを加えるなど演奏も大編成。そんな時期に、メンバー間の絆が生まれ、デビューに向かう時期を扱った『ふたご』を発表した。同作後半では、手作業で改装してできたライブハウスでの初演奏が、重要なトピックとなる。


 今では巨大な存在となったSEKAI NO OWARIに対し、まだ形にならずもがいていた初心の時期をふり返り、その頃から今に至るまで持ち続けている思いを表現する。そのようにみると『ふたご』は、バンドの根っこがどんなものかをあらためて伝えるため、Saori=藤崎彩織が小説の形でSEKAI NO OWARIに施した演出だとも感じられる。彼女はふり回されるのではなく、むしろ包みこむほどの力を発揮しているのだ。(円堂都司昭)