まず最初に挙がったのは、「イランの宮崎駿」こと、アリ・ノーリ・オスコーイエ監督による『天国から見放されて Release from Heaven』(2017年)であった。イラン・イラク戦争をモチーフに、3DCGパートと2D作画パートのハイブリッドで描かれる本作は、土居が「テーマ的に後期宮崎作品に通じ、映像的には新海誠を思わせる」と語るように、「GEORAMA 2017-2018」を象徴する作品と言ってよいだろう。あるいはイラン版『戦場でワルツを』とでも言うべきだろうか。アッバス・キアロスタミを代表とする映画大国に根付いた、高度な映像文化の蓄積を感じさせる傑作である。
また土居は宮崎と新海の名を挙げたが、終盤で「世界から戦争はなくならない。子どもたちを暴力から遠ざけられるのは物語」と語り、過酷な現実を前に“絵”と“物語”が希望をつなぐ本作を、『この世界の片隅に』(2016年)や『マイマイ新子と千年の魔法』(2009年)の片渕須直監督と並べることも可能なはずだろう。
続いて2本目に挙げられたのは、2017年の新千歳空港国際アニメーション映画祭で日本初上映された際も大きな話題を呼んだ、スペインのアルベルト・バスケスとペドロ・リベラによる『サイコノータス 忘れられたこどもたち Psiconautas: The Forgotten Children』(2015年)である。
汚染された島という、宮崎駿『風の谷のナウシカ』の系譜を思わせる設定を持ち込みつつ、同時に『エヴァンゲリオン』や『シン・ゴジラ』に通じるシーンも含む本作を観ることで、『ソング・オブ・ザ・シー 海のうた』(2014年)のトム・ムーアと並ぶヨーロッパの新たなスターと言っていいだろうこのバスケスのことを、“スペインの庵野秀明”と呼ぶ者がいてもおかしくはない。
ことによっては、ポスト・アポカリプスの世界を舞台に、キュートな動物たちのダークな物語を紡ぐ本作のことを、“実質『けものフレンズ』”と言いはじめる者すら出はじめるかもしれない。
ここまでの2作は、いずれも重厚な作品であったが、他方でエンターテインメントに振り切った作品も目立つ。その代表が韓国のチャン・ヒョンユン監督による『ウリビョル1号とまだら牛 The Satellite Girl and Milk Cow』(2014年)だ。
スタジオジブリでインターンとして働いた経験があるというチャン・ヒョンユンは、『ウルフ・ダディ』(2006年)が広島国際アニメーション映画祭でヒロシマ賞を受賞した際に、その造形から『トトロ』のイミテーションとして批判を受けた過去があるが、作品を少しでも観てもらえれば、宮崎駿監督がこんなふざけた作品を世に問うとは到底思えないという点で、強烈な独自性も備えている。
公式のあらすじを読んでもらえれば説明は不要だ。「人工衛星のイルホは地球を観察するうち、ミュージシャンを夢見る大学生キョンの歌声に惹かれ、地球に落下。しかしキョンは魔術の力で牛になってしまい、狩りの対象に…! イルホは魔法使いのトイレットペーパーの助けを借りて女の子に変身、キョンを助けようとする」。まだら牛になった男が、人工衛星の女の子から乳搾りをされ、白濁した液体を放出しながら頬を染める描写は、この作品以外ではあまり観た記憶がない。カオスアニメ愛好家に判断を仰ぎたい一作である。