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ニューウェイ、“あり得ないほど巨額のオファー”を提示したフェラーリF1よりレッドブルを選ぶ

2018年01月12日 13:52  AUTOSPORT web

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フェラーリのマシンを見つめるエイドリアン・ニューウェイ
フェラーリが、デザインの第一人者で現在レッドブルF1のチーフテクニカルオフィサーを務めるエイドリアン・ニューウェイを獲得すべく、過去3度にわたって契約を打診したことが分かった。ニューウェイによれば、そのうち特に直近のアプローチにおいては巨額の報酬が提示されたという。

 F1でもっとも評価の高いデザイナーであり、自身がデザインしたマシンでウイリアムズ、マクラーレン、レッドブルを優勝に導いたニューウェイを、すべてのF1トップチームが欲しがっている。

 しかし、この高名なエンジニアの獲得を試みながらこれまで一度も成功していないチームがフェラーリだ。もっともそれはフェラーリが努力を怠っていたからではないようだ。

 ニューウェイは自叙伝となる“How to build a car”を出版後、自身の人生とモータースポーツ界で過ごしてきた日々について、イギリスのSky Sports F1のナタリー・ピンカムに語った。その中で彼は、過去のフェラーリとの交渉経緯についても明かしている。

 ニューウェイは「これまでに3度、アプローチを受けた」と当時を振り返った。

「最初は自分がインディカーのチームで働いていた時だ。フェラーリがインディカーの製造を決め、私にチーフデザイナーとしてプロジェクトに参画しないかと打診してきた。だがその時は、それが私にとって正しい道だと思わなかったので辞退した」

「その後、1996年には前よりもずっと真剣な様子で、ジャン・トッドが私にテクニカルディレクターとして契約しないかと言ってきた。その時、私には、所属していたウイリアムズから残留を打診されており、さらにマクラーレンかフェラーリに移籍するという選択肢があった」

「私は時間をかけてそれらを真剣に検討したが、その頃は子供が小さかったためイギリスに残りたい、という決断をした」


 直近でフェラーリからのオファーがあった2014年は、パワー不足のルノー製エンジンを搭載したレッドブルがパフォーマンスを発揮できずに苦戦していた時期で、ニューウェイにとっても眠れない日々が続いていた。

「あの頃、ルノーは特にメルセデスから大きく離され、フェラーリからもやや遅れを取っていた。追い付ける目処も立っていなかった」と語ったニューウェイは、さらにこう続けた。

「ルノーは、問題を完全に解決するための費用を投じようとは考えていないように見えた。それは私にとって、気の滅入る、心配の種だった」

「当時、私はやや難しい立場にいた。レッドブルを去りたくはなかった。なぜなら私にとっては、撤退を決めたジャガー・レーシングを引き継いた当初から、クリスチャン(・ホーナー、チーム代表)とともに大いに関与して今日の状態を創り上げた、わが家同然のチームだからだ」

「そのチームが不振だからといって去りたくなかった。だが同じくらい、エンジン部門に片手を縛られているような状況にもいたくなかった」

「それはとても難しい判断だった。フェラーリから驚くような、とても興味をそそられる内容のオファーが提示されたのだ。この先、自分が何をすべきか、誰のもとで働くべきかを考え続けて、眠れない日々を過ごした」

「最後には、レッドブルから去るのは良くないことだと考えるようになった」


 著書の中で、ニューウェイは当時のフェラーリ会長、ルカ・ディ・モンテゼモロをトスカーナの農場に訪ねて、息をのむような内容のオファーを受けたことについて詳しく記している。

「我々は真剣に話し合った。彼らのオファーは驚くべきものだった。ルカは私に、市販車とレースカーにまたがるフェラーリの運営すべてを任せたいと言ってきたのだ。約束された見返りは、映画スターのような生活とあり得ないほど巨額の報酬だった。その金額は私がレッドブルで十分に得ていたサラリーの2倍を軽く超えていた」

「とても難しい決断をしなければいけなかった。様々な要素を何度も何度も検討して、眠れない日々が続いた。家族のこと、文化の違い、作業環境の違い、成功するか否かの見極め、それぞれの選択肢における影響など、多くのことを考えた」

「そして最後に、私はルカに感謝を述べたうえでオファーを辞退した」