いい会社に就職し、人生をイージーモードで謳歌している人がいる一方、ブラック企業で社畜化し、しんどい日々を送っている人がいる。このような勝ち組と負け組の差はいわゆる「格差」と呼ばれるが、人の「格差」とは人生のどのタイミングで発生してくるものなのだろうか。(文:みゆくらけん)
先日のガールズちゃんねるで、それを問いかけた人がいる。投稿者は高卒の社会人だが、転職をする時に「就職先も少なく、あるのは給料が安いところばかり」だという現実に気づき、せめて大学には行くべきだったと後悔しているという。
「人生どの辺から格差が生まれて来るのでしょうか?」
美人に生まれればラッキーだけど、美人ゆえに面倒ごとに巻き込まれることも
投稿者のこの問いかけに集まったコメントの中で、最も多くの声が上がったのが「生まれた瞬間」というもの。特に「どんな両親のもとに生まれてくるか」というのが大きいようで、
「家庭環境、容姿、才能、気質。生まれた瞬間に大体は決まっている」
という意見が大方だ。中には「生まれた瞬間」からさらに遡り、「受精卵になった瞬間から人生の半分以上が決まっている」という声も。確かに受精卵の段階で個人としてのDNAは確立する。容姿や才能など後の努力でどうにもならない部分が決まってしまうというのは、なんとも重い運命である。
特に女性の場合は容姿がダイレクトに格差につながると感じている人も多く、
「美しく生まれれば愛される人生。不細工に生まれれば悲惨な人生」
と言い切ってしまった人も。確かに美人に生まれればラッキーなのは間違いない。しかし美人イコール幸せとは限らず、人目を引く分、厄介な問題に巻き込まれやすかったりするのも事実だ。でもまァ、それであっても生まれる前に決められるのであれば、絶対に美人設定で生まれたいというのが世の女性に共通する願望ではないだろうか。
「兄は国立大卒で年収1500万。私は専門卒で300万。親のせいだとはさすがに言えない」
生まれる環境も自分では選べない。特に生まれた家の経済状況や教育に対する親の価値観は、子どもに大きく影響するという声が多い。
「受験が学校の勉強のみで受かればそんなことないけどそうじゃないからね。実際は学校の勉強以外に受験勉強が必要なので、そこにお金をかけられる家じゃないと限りなく不利」
不条理だが、確かにこれにも頷ける。良い人生を送るためにはある程度の経済力は必要で、ではその経済力をどうやってつけるのかと考えれば、やはり「どんな教育を受けてきたか」が重要となるからだ。
ただ、同じ親でもきょうだいで格差がある場合も多いため、「結局は本人次第」という意見もある。「兄は国立大卒で年収1500万。私は専門学校卒で300万。親のせいだとはさすがに言えない」という声を筆頭に
「本人が向上心をもつか、後ろ向きで言い訳がましいかで、格差は広がる気がする」
「家庭環境だけじゃなくて、就職や進路の別れ道は大きい」
という声も。自身を「貧窮家庭生まれ」とし、「格差は生まれた瞬間にできる」と考えていたという女性は、環境にめげずに就職活動を頑張った結果、「同じ仕事をしている友達とも給料が3倍くらい違うホワイト企業」に勤め、「紹介される男性もエリートしかいない」という現状について、
「就活頑張って本当に良かった。運命って変えられるんだってはじめて思った。こんな世界があるなんて知らなかった」
とコメントしている。
他にも格差を生み出すものとして「結婚」「頭の回転の良さを駆使出来る人間とそうで無い人間」「最終的には運」という意見が上がっていた。個人的には最後の「運」に強く共感できる。